【大河ドラマ べらぼう】第36回「鸚鵡のけりは鴨」回想 「豆腐の角に頭ぶつけて」定信に見せつけた春町の反骨 権力の重みを思い知った定信の慟哭 挫折経ても戦い続ける蔦重
武士の作家の時代の終焉 定信も重過ぎる教訓
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」。いよいよ寛政年間(1789∼1801)に入った第36回「鸚鵡のけりは鴨」では、松平定信(井上祐貴さん)による「寛政の改革」が本格化。この結果、当時の文芸の中心的存在で、ドラマでも大きな役割を果たしてきた恋川春町(岡山天音さん)、朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)という2人の武士の大作家が筆を折り、順風満帆だった蔦重(蔦屋重三郎、横浜流星)のビジネスが大きな壁にぶつかる局面が描かれました。定信も権力を行使することの重みを思い知る結果となりました。やはり武士の大田南畝(桐谷健太さん)らも含めて、多くは時の権力の意向によって転身を余儀なくされた格好でしたが、この時期を境に、江戸のカルチャーシーンの担い手が武士から町人へと徐々に移り、文芸作品のテイストも変わっていくことになります。そうした意味でも後半に入ったドラマの節目となるシーンでした。蔦重が50手前でこの世を去るのは寛政9年(1797年)です。
春町、アーティストの矜恃を示した最期
寛政元年(1789)ごろ、ご政道を批判したとして絶版処分を受けたのは『鸚鵡返文武二道』(恋川春町作)、『文武二道万石通』(朋誠堂喜三二作)、『天下一面鏡梅林』(唐来三和作)など。いずれも幕府による文武の奨励を茶化した内容を含んでいました。
「文武の奨励」は松平定信にとって政策の根幹をなすテーマ。町民の打ちこわしが田沼政治にピリオドを打ち、定信の治世をスタートさせたように、武士階級の権威の失墜と町民たちの勃興は誰の目にも明らかになってきました。これを巻き戻すことが定信にとって最優先課題でした。
学問の充実も急務。高名な儒学者の柴野栗山(嶋田久作さん)を招き、振興を図りますそうした情勢下で発売になった『鸚鵡返文武二道』は、とりわけ定信を強く意識した内容でした。主要登場人物で、帝の命を受けて武芸や学問を奨励する「菅秀才」には定信の家紋である「星梅鉢」をずばりあしらっています。
前回に登場した「国の政治は凧を上げるようなもの」など、定信の著書「鸚鵡言」を連想させるふざけた表現が登場します。そもそもタイトルがパロディです。
寿亭主人春町 [著] ほか『鸚鵡返文武二道 : 3巻』,[蔦屋重三郎],[寛政1(1789)]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892636そして馬鹿馬鹿しいお話の連発です。 寿亭主人春町 [著] ほか『鸚鵡返文武二道 : 3巻』,[蔦屋重三郎],[寛政1(1789)]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892636店先の品物を的にして矢を射るお武家さまが出てきたり。 寿亭主人春町 [著] ほか『鸚鵡返文武二道 : 3巻』,[蔦屋重三郎],[寛政1(1789)]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892636馬術に励むあまり、道を歩いている女性に馬乗りになる者も。時の政権の主要政策である「文武奨励」が、上滑りしている実態を露骨に揶揄しています。現代人の目にも「さすがに同時代的には物議を醸すだろう」と感じさせる踏み込んだ内容。出版に反対したてい(橋本愛さん)が真っ当に思えます。「定信は黄表紙好き」という吉原経由の情報(間違ってはいませんが)を自分に都合よく解釈したのだ、という逸話は、蔦重の強気の判断の背景をうまく説明していて巧みな脚本でした。
とはいえ定信、ここまでやられて黙っているわけもありませんでした。発禁処分へと事態はエスカレート。
「豆腐の角に頭をぶつけて」 見事な春町の散り際の表現
史実としては、さらに公儀から呼び出しを受けた春町は出頭せず、結局、同年7月に死去したとされます。自害説はありますが、真相は不明です。ここまで時間を掛けて春町のキャラクターを創り上げ来た制作陣と岡山さんは、鮮やかな「着地点」を見い出します。
春町の持ち味は「筋目を大事にする」「大真面目に徹底してふざける」「創作への真摯な思いは人一倍。プライドも高い」といったところでしょうか。
世話になった鱗形屋に義理立てし、蔦重の元で仕事をすることに強く抵抗しました 自分のアイデアを盗まれたと考え、「筆を折る」と大騒ぎしたことも。 自分の作品の評価を常に気にしていました公儀から出頭を要請されるという状況になっても、春町の創作への情熱は絶えることはありません。
春町の文芸の力量を高く評価する主君、松平信義(林家正蔵さん)の庇護もあり、武士の身分を捨ててでも文筆活動を続けたいと考えました。
所在不明になった別人の人別(戸籍にあたる)を用意し、その人に成りすますのは歌麿ですでに経験ずみ。歌麿の時も汗をかいてもらった駿河屋(高橋克実さん)に頼んで準備を整えました。
しかし詐病を疑われ、「屋敷まで行く」と定信に言われては万事休す。春町を生かすために懸命に努力してくれた主君や、蔦重ら大切な仲間に迷惑をかけないためには、もう自害の道しか残されていませんでした。このあたりの展開の説得力に脱帽です。
それとなく耕書堂には別れを告げに出たのでしょう 見るのがあまりに辛いシーンでしたそして腹を切るだけで済ませないのが、一流のクリエイターたる春町の面目躍如でした。
「豆腐の角に頭をぶつけて」本当に死んだ奴がいた、という伝説を残したオチ。文字通り、身体を張った大真面目なおふざけ。そして、ふざけることよって、罪科を問うた定信に対する強烈な皮肉も込めたのでしょう。
深刻になるのが嫌だったのか、遺書もやぶいてしまいましたなおタイトルの「鸚鵡のけりは鴨」は、春町の辞世「我もまた 身はなきものと おもひしが 今はの際は さびしかり鳧(けり)」からきています。「けり」は過去や詠嘆を表す助動詞で、「鳧(けり)」という漢字を当てることがあります。「鳧」というは漢字はチドリの一種のけりという鳥を表すと同時に、別の鳥のかも(鴨)も示します。ここから、『鸚鵡』で始まった騒動を、『鴨』でけりをつけた、というオチを導いたようです。この世から去る場面ですら、オチを付けずにはいられない戯作者の真骨頂を表現しました。
なぜこんな死に方を。「真面目に最後までふざけないと」と喜三二が言えば思わず納得でした。「戯けたら腹を切らねばならぬ世、誰が幸せなのか」
尊敬する家来の死を定信に伝えた松平信義のシーンも痛切極まりないものでした。定信に対する憤りや、春町を守れなかった自責の念と哀惜の情、精一杯の皮肉を込めたその死にざまなど、一切合切を含めて信義、もう笑うしかありませんでした。
切腹後、豆腐の角に頭をぶつけた春町の死の経緯について、「御公儀を謀ったことに、(春町の本名の)倉橋格としては腹を切ってわびるべきと。恋川春町としては死してなお、世を笑わすべきと考えたのではないか、と版元の蔦屋重三郎は申しておりました」と報告。そしてさらに蔦重からのメッセージとして「ひとりの至極真面目な男が、武家として、戯作者としての分をそれぞれ弁え、全うしたのではないかと越中守様(定信)にお伝えいただきたい。そして戯ければ、腹を切らねばならぬ世とは、一体誰を幸せにするのか。学のない本屋風情には分かりかねると、そう申しておりました」。
信義を通じて定信に対して、「おれは公儀の方針に組しない。一歩も引くつもりはない」と伝えた蔦重でした。そのとおり、蔦重の出版活動はこの後も敢えて困難な道を選んでいきます。
文芸の理解者ゆえの苦悩、春信の姿と重なる定信の慟哭
春町の死は、その原因を作った定信にとっても非常に辛いものになりました。
これまでも紹介しているとおり、幼少期から文芸に対する造詣が深く、和歌も得意で、『源氏物語』にちなんで「たそがれの少将」「夕顔の少将」という異名を取ったこともあるのが定信です。日本の古典や漢籍に通じているのはもちろん、同時代の文芸にも強い関心を持っていました。春町や蔦重など、創作者や編集者に対する敬意もひとかたならぬものがありました。
それがよりによって自分の判断が引き金を引き、子どものころから慣れ親しんだ才能ある作者の命を奪うことになるとは……。権力の行使には極めて重い責任が伴い、取返しのつかないことも巻き起こすものです。そのことを思い知った定信でした。ふとんに突っ伏し、春町の死にざまと重なる慟哭の姿が定信の心情を語って雄弁でした。ここまで登場人物としては自信過剰で尊大という、ヴィラン的存在に留まっていた定信ですが、今回のエピソードでキャラクターにぐっと深みを増しました。これから定信、どのように江戸のカルチャーシーンと向き合っていくのでしょうか。
喜三二を巡る名シーンの数々を回顧
「宝暦の色男」とよばれ、文芸と吉原を愛した戯作者、朋誠堂喜三二も著作である『文武二道万石通』をめぐって主君である秋田藩主から叱責され、黄表紙のジャンルから身を引く決断をしました。懐かしい吉原の面々も交え、喜三二を労う宴が賑々しく開かれました。
実際、当時もそんな宴会があったに違いない、と想像させるドラマでの喜三二のキャラクターでした。第2回「吉原細見『嗚呼御江戸』」から登場しましたが、第12回の本格登場までほとんど一瞬のカメオ風出演で、SNS上では「オーミーを探せ」が話題になりました。
そして皆で喜三二の著作の数々、吉原での活躍を振り返りました。視聴者のみなさんも懐かしい思いでいっぱいだったことでしょう。
「亻(ひと)と我との隔てなく」
『雀踊り』は第12回「俄なる『明月余情』」から。先代の大文字屋(伊藤淳史さん)と若木屋(本宮泰風さん)が、吉原を挙げてのお祭り「俄」で張り合い、互いに一歩も引かないダンスバトルを展開しました。
ダイナミックな祭りの光景を勝川春章(前野朋哉さん)と蔦重のコンビで見事に活写したのが「明月余情」でした。
「雀踊り」 稀書複製会 編『明月余情』第1編,米山堂,大正9-10. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/932212蔦重に頼まれ、この「明月余情」へ喜三二が寄せた序がさすがの名文でした。
「我と人と譲りなく 亻(ひと)と我との隔てなく 俄の文字が調いはべり」。ドラマの筋と作品世界がぴたりと重なり、「文芸大河べらぼう」を象徴するエピソードとなりました。この回の「俄」といえば、「べらぼう」史に残る名シーンがもうひとつありました。
松の井は幸せに暮らしていました
うつせみ(小野花梨さん)の背中をドンと押し、「祭りに神隠しはつきものでござんす。お幸せに」と新之助(井之脇海さん)の元に送り出したのは花魁の松の井(久保田紗友さん)。現実主義者のクールビューティーと思われていた松の井がロマンティストの一面をのぞかせたことが、うつせみと新之助の足抜けの場面を一層、感動的にしました。
その彼女が10年の奉公を無事に勤め上げ、今は吉原を出て所帯を持ち、「松の井改めおちよ」として幸せに暮らしている姿を見せてくれました。松の井が背中を押したうつせみと新之助はもうこの世におらず、吉原の厳しい現実を見せつけられてきた中で、彼女の晴れ晴れとした笑顔は喜三二を喜ばせ、視聴者もホッとさせたことでしょう。
蔦重を出世させた喜三二の名作
喜三二と松の井のコンビといえば、第18回「歌麿よ、見徳は一炊夢」も印象的でした。
男性の機能でスランプになった喜三二。松の井は甲斐甲斐しく喜三二のサポートにあたります。
とんでもなく巨大な大蛇の夢、という迷(?)場面もあり、喜三二はあるストーリーを思いつきます。
「見徳一炊夢」(天明元年、1781年)は浅草の金持ちの息子が夢の中で遊興の限りを尽くすナンセンスなお話で、蔦重にとって重要な作品になりました。
喜三二 戯作『見徳一炊夢 : 3巻』,[蔦屋重三郎],[安永10 (1781) ]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892464大田南畝の黄表紙評判記「菊寿草」(1781年)で「極上上吉」、つまり最上級の作品に選ばれたからです。これを機に蔦重は南畝とのコネクションができ、狂歌の世界へと進出していきます。その道は日本橋進出へと繋がっていきました。
蔦重にとって喜三二が非常に重要なパートナーだったことが改めて分かります。
そのほかにも地図帳のように見える『娼妃地理記』も回想。吉原を日本になぞらえ、妓楼を郡、楼中の名妓を名所旧跡に見立てて女郎の評判を記録する、という喜三二でなければ書けない奇想天外な名著でした。
こちらは春町の作品「廓𦽳費字尽(さとのばかむらむだじつづくし)」。漢字遊びに、遊里の人間模様を面白おかしく織り込みました。
恋川春町 [作]『廓𦽳費字尽 : 3巻』,つた屋,[天明3(1783)]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892483自信喪失に陥っていた春町を喜三二と歌麿が励まし、作品作りに繋げたシーンは見事でした。創作に携わる者同士ならではの細やかな情の表現でした。蔦重を高みへと引っ張り上げてくれた、頼れる顔触れが次々にいなくなったここ数回のドラマ。これからは蔦重が若者たちの才能を育む順番になっていくことでしょう。 (美術展ナビ編集班 岡部匡志) <あわせて読みたい>
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