コラム:「超異次元緩和」から「植田プット」へ=門間一夫氏
[東京 8日] - 高市早苗政権のもとで長期金利は上昇し円は下落している。高市氏が自民党総裁選で勝利した10月4日以前の状況と比べると、10年物国債金利は1.6%台後半から1.9%台へ上昇し、ドル/円相場は147円程度から一時150円台後半まで円安が進んだ。
<高市政権の積極財政への懸念>
その一因と言われているのが高市政権の積極財政である。歴代政権は財政健全化の目安として、基礎的財政収支(プライマリーバランス=PB)の黒字化を重視してきたが、高市政権はそれを少なくとも単年度の目標とはしない方針である。「積極財政」に「責任ある」という形容詞はついている。政府債務残高の対国内総生産(GDP)比率を緩やかに低下させる方向性は維持されており、財政赤字を野放図に拡大させるわけではなさそうだ。それでも、これまでの政権よりは財政赤字に対する許容度が高く、政府債務残高GDP比率をどの程度のペースで引き下げていくのかについても、具体的なイメージは示されていない。
経済財政政策に有識者の意見を反映させる合議機関として、政府の経済財政諮問会議がある。その有識者として、高市首相はリフレ派の論客を任命した。新設した日本成長戦略会議にもリフレ派のエコノミストを登用した。経済財政諮問会議ではさっそく「財政規律の柔軟化が必要」「プライマリーバランス黒字化目標は歴史的な使命を終えた」などの意見が出されている。
11月28日に閣議決定された2025年度補正予算は、その規模18.3兆円とコロナ禍後で最大である。不況や失業ではなくインフレが問題となっている局面なのだから、大規模な補正予算を組むことは財政規律の点で問題があるだけでなく、インフレをさらに悪化させるとの批判がある。長期金利上昇や円安は、責任が感じられない高市財政への警鐘という見方が少なくない。
<円安を「日本売り」とみるのは無理がある>
そうした見方には一理なくもないが、これを財政懸念による「日本売り」とみるのは無理がある。第一に、「日本売り」なら株、債券、通貨のトリプル安となるはずだが、株価はしっかりしている。11月中は株価が調整する局面もあったが、それも10月中にみられた急騰の反動である。急騰やその反動の主たる背景も、高市政権への期待と失望というよりも、人工知能(AI)関連で強気と弱気が交錯する米国株価の影響という面が大きい。何より、先ほどの長期金利や為替と同じように自民党総裁選以前と比較してみると、日経平均株価は4万5000円程度から5万円程度へと水準が明確に切り上がっている。
第二に、10年物国債金利は、上昇したと言ってもその上昇幅は0.3%程度である。しかもその半分以上は、日銀の植田和男総裁が12月1日の講演で、今月の利上げを示唆したことに伴う市場心理の変化である。財政政策に関しては、総需要押し上げへの期待や国債の需給予想への影響もあるので、「信認の低下」による金利上昇はあったとしてもごくわずかである。
財政規律を懸念する人たちは、22年に英国で起きたいわゆる「トラス・ショック」を引き合いに出す。当時のトラス首相が高インフレの局面で大減税プランを打ち出した結果、市場が大混乱し首相の在任期間が史上最短で終わったあの事件だ。そのトラス・ショックでは、英10年債金利が1カ月足らずのうちに3%程度から4%台半ばへと1.5%も急騰した。最近の日本国債金利の動きは、それとは比較にならない。
第三に、その長期金利の水準である。先述のとおり上昇したとは言っても、10年物国債金利の水準はなお1.9%台である。今後、2%程度のインフレ率が定着するのなら、それとの比較で見た長期の実質長期金利は、マイナスからようやくゼロ近傍になった程度である。直近の名目GDPは前年比プラス4.1%であり、それと比べれば半分の水準にすぎない。ドイツは日本よりインフレ率が低く財政は圧倒的に健全だが、そのドイツの10年物国債金利でさえ2.7%程度はあり、日本の長期金利はそれよりずっと低い。日本の10年物国債は、リスクプレミアムがおそらくまだマイナスであり、それでも買い手がつく人気商品なのだ。この金利水準で「市場が警鐘を鳴らしている」と言うのは、いささか大げさである。
この点、超長期債(30年債や40年債)の金利はもっと高く、ここに財政への懸念が反映されているとの見方もある。ただ、超長期ゾーンは資金運用サイドの需要がもともと限定的であり、その限られた需要に対して発行が多すぎるという構造問題がある。発行を短中期ゾーン中心へ切り替えるなど、政府が発行年限を適切に管理すれば済む話のように思う。
<ここから「植田プット」へ>
以上を踏まえると、今市場で起きている現象は「日本売り」とは考えにくい。では、なぜ円は大きく売られているのだろうか。その理由は財政政策にあるのではなく、金融政策が緩和的すぎるという単純な事実による面が大きい。消費者物価の前年比上昇率は3年7カ月にわたって2%を超えているが、日銀の政策金利はわずか0.5%である。
政策金利から消費者物価上昇率を引いた実質金利でみれば、大幅なマイナスが長く続いている。実質金利を金融緩和の尺度とみれば、アベノミクスのもとで13年から行われた「異次元緩和」の時よりも、今の金融政策の方がはるかに緩和的である。過去3年半は日銀が歴史的な「超異次元緩和」を行っているも同然であり、ちょうどその間に円が大幅安となったのは当然である。
もちろん、自民党総裁選から追加的に進んだ円安には「高市円安」の要素があった。ただ、それは財政懸念による「円離れ」というより、「高市政権のもとで日銀は利上げしにくくなる」「超異次元緩和が強化される」という市場の思惑が主因だったとみられる。
しかし、その高市政権にとっても、利上げ以上に困るのが円安である。目玉政策である物価高対策にとって、円安こそ最大の「敵」だからだ。円安圧力が収まらなければ国民の失望を招き、高市政権に対する高い支持率も低下してしまう。11月半ばに円が150円台後半まで下落したころから、片山さつき財務相は介入も辞さぬ構えを見せるようになった。これ以上円安になるぐらいなら、利上げの方が政府にとって「まし」なのである。
日銀の視点から見ると、2%物価目標がおおむね達成されつつある以上、ここからの円安は1円、1円が物価の上振れリスクにつながっていく。内外の金融市場の混乱などよほどの異常事態がない限り、12月19日に政策金利が0.75%へ引き上げられるのは確実である。
その際、植田総裁は、中立金利の下限が従来想定していた1%よりは高いとの認識も示すだろう。1%以上まで追加利上げをしても「景気にブレーキをかける利上げではない」という説明ができるようにしておき、来年の利上げ継続へのフリーハンドを確保するということだ。ただ、実際に利上げを継続できるのか、その場合のペースや終着点がどうかは、結局のところ円相場次第だと考えられる。
米国経済の下振れなど外部要因から為替が円高方向に動けば、そもそも国内経済が強いわけではないので、日銀が政府の理解を得ながら利上げを続けるのは困難である。逆に円安圧力が根強く続く場合は、今月と同様、来年も政府は「利上げの方がまし」となるはずだ。高市政権が円安を嫌う以上、「円安なら利上げ」という「植田プット」はかなり強力だと考えられる。過度な円安エネルギーは政策金利の上昇という形で解放され、結果的に来年、円安は進まないだろう。
編集:宗えりか
*本コラムは、ロイター外国為替フォーラム向けに執筆されたものです。筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
*門間一夫氏は、みずほリサーチ&テクノロジーズのエグゼクティブエコノミスト。1981年に東京大学経済学部を卒業後、日本銀行に入行。86年に米ウォートンビジネススクール留学。調査統計局長、企画局長を経て、12年に日銀理事(13年3月まで金融政策担当、以降、国際担当)を歴任。16年に日銀を退職し、みずほ総合研究所エグゼクティブエコノミスト。21年4月から現職。
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筆者は「Reuters Breakingviews」のコラムニストです。本コラムは筆者の個人的見解に基づいて書かれています。