【詳報】優勢の一力名人が封じ手 芝野挑戦者は「すごい辛抱」
一力遼名人(28)=棋聖・天元・本因坊と合わせ四冠=に芝野虎丸十段(25)が挑戦している第50期囲碁名人戦七番勝負(朝日新聞社主催)は22日、神奈川県箱根町のホテル花月園で正念場の第4局を迎えた。
50年目を迎えた節目の名人位を争う七番勝負は、昨年と名人・挑戦者の立場を変えての再戦。一力名人は初防衛を、芝野挑戦者は復位を目指す。名人が第1、2局の難局を制して2連勝を飾ったが、第3局は挑戦者が1日目からリードを奪う展開で1勝を返した。
七番勝負における最重要局とも位置付けられる第4局。名人が王手を掛けるか、挑戦者が肩を並べるか。本局の結果は天と地ほどの差を生む。
対局は2日制で持ち時間各8時間。22日午前9時に始まり、午後5時半以降に打ち掛け。23日午前9時に封じ手を開封して再開し、同日夜までに終局する見込み。立会人は片岡聡九段(67)、ユーチューブ解説は鶴山淳志八段(44)、新聞解説は寺山怜六段(34)が務める。
朝日新聞のデジタル版では、第4局七番勝負の模様をタイムラインで徹底詳報する。
序盤から目まぐるしい変化を経つつも五分の形勢で推移してきた中盤、戦場が移って挑戦者の石運びが停滞し、名人優勢の流れに。挑戦者の耐える時間が続いている。
第1の戦場は上辺。名人の白28のカカリから戦いが勃発し、挑戦者は左方の強大な黒壁をバックに猛攻を仕掛けた。名人は捨て石作戦で対抗。白74まで本隊の一団を右辺に根づかせ、五分の形勢で切り抜けた。
第2の戦場は左下。今度は挑戦者の黒75のカカリに名人が攻勢に出た。名人の着手に勢いがつき始め、挑戦者は辛抱の手を重ねる。白98に対する黒99、白100に対する黒101などその最たる例だ。
〈途中図〉先番・芝野挑戦者(105手まで)「すごい辛抱だなあ」。解説の寺山怜六段が感嘆した。碁は相手の言いなりでは勝てない。しかし受忍を続け、後半のどこかで勝機をつかもうとしている。「挑戦者は相手を惑わせる手を選んでいます。優勢の名人がわかりやすい勝ち筋を見つけられるかが2日目のポイント」
逆転力は挑戦者のストロングポイントの一つだ。果たして勝負形に持ちこめるか。
17:30
名人が封じる
午後5時25分ごろ、名人は上着を羽織った。まもなく迎える封じ手に備えていると、運営本部に詰める検討陣は受け取った。
封じ手を前に、上着を羽織る一力遼名人=2025年9月22日午後5時25分、神奈川県箱根町、菊池康全撮影午後5時半となり、封じ手が可能な時刻を迎えた。予想どおり、名人はすぐに106手目を封じる意思を示した。
封じ手が入った封筒を立会人の片岡聡九段(手前)に手渡す一力遼名人。左は挑戦者の芝野虎丸十段=2025年9月22日午後5時32分、神奈川県箱根町、菊池康全撮影形勢好転の名人は、かさにかかって左辺の黒を追及する。対して挑戦者は耐えに耐える。白1に黒2、白3に黒4は「すごい辛抱」と解説の寺山六段は驚いた。
〈途中図〉先番・芝野挑戦者(98―105手)いずれの折衝も、白が得をして黒は価値の低い手を打たされている。こうした手と手の交換は、業界用語で得する側が「利かした」、やられた側が「利かされた」と表現する。
プロは「利かされ」を嫌う。挑戦者はそれを甘受して、逆転の機会をうかがっているのだ。
白5のカカリにも、△の動きを警戒して黒6とさらに手をかける。白7の挟撃にも手を抜いて黒8と下辺の白地の拡大を制限する。
AIの形勢判断は、挑戦者の勝率0.8%。非勢は挑戦者も認識しているはずだ。挑戦者が名人のまわしに手をかけられるか、名人が許さず寄り切るか。
今年の挑戦者は「逆転の芝野」と言われている。午後5時現在、消費時間は名人3時間25分、挑戦者3時間35分。
芦ノ湖と箱根山戦争
対局場のホテル花月園から遊歩道を15分ほど歩いて下ると、箱根駅伝の往路フィニッシュ地点でおなじみ、芦ノ湖へとたどり着く。
と言っても、駅伝のフィニッシュ地点は湖の南東側にある箱根町港のそば。花月園から近いのは湖の北側、桃源台港。まったく反対側であると言ってよい。
朝、桃源台港には変わった船が停泊していた。これは「箱根海賊船」。株式会社小田急箱根が運航している。
桃源台港から望む芦ノ湖。箱根海賊船が停泊している=2025年9月22日午前7時49分、神奈川県箱根町、照井琢見撮影観光地・箱根の交通路をめぐっては、かつて小田急・東急系と西武系による「箱根山戦争」と呼ばれる競争が起きていた。客を奪い合ったり、自社が建設した専用道からライバル社のバスを閉め出したり……、今では考えられないような、熾烈(しれつ)な争いがあったそうだ。
作家の獅子文六は1961年から、この競争を題材にした小説「箱根山」を朝日新聞に連載。翌年には映画化もされている。
この海賊船も、西武系の芦ノ湖遊覧船に対抗して導入されたものなのだ。
現在、芦ノ湖遊覧船は西武グループではなく富士急グループの箱根遊船が運航している。「戦争」の世も遠くなりにけり?
と、思いきや。芦ノ湖遊覧船改め「箱根遊船 SORAKAZE」の湖北方のターミナルは桃源台港ではなく、そこからは少し東方の湖尻港。別々の港を利用している。
痕跡は今も残っているのだ。
15:30
名人優勢か
左下から中央に波及する新たな戦いで、形勢が名人に大きく傾いた。
黒14まで、挑戦者は左辺の白地を制限しつつ上辺の模様を中央に広げようとしたが、名人の白15のツケが好手。黒16以下22で上の白石は取られたままだが、黒2以下の左下から延びる黒の一団が模様の一翼を担うというよりも、攻めの標的になっている感が強い。
〈途中図〉先番・芝野挑戦者(76―97手)現局面の形勢を、AIは名人の勝率97%と判定。しかし今年の挑戦者はこの手の碁が多い。劣勢からの大逆転が十八番のようになっており、立会人の片岡九段は「なんだかんだいって、いい勝負になるんですよ」。
棋譜を確認する一力遼名人=2025年9月22日午後4時5分、神奈川県箱根町のホテル花月園、菊池康全撮影黄金のススキが輝く箱根・仙石原にあるホテル花月園は囲碁と将棋のタイトル戦を数多く開催してきた名宿として知られる。
囲碁名人戦の挑戦手合が打たれるのは3年連続。一昨年、39年ぶりに開催されてからは「定石」となっている。
他棋戦では今年7月2日の本因坊戦五番勝負第5局が記憶に新しい。一力本因坊2連勝、芝野挑戦者2連勝の星で迎えた最終局。本因坊が踏みとどまって3連覇を達成した。
一力名人は花月園で過去7戦。初対局から5連敗を喫した鬼門だったが、現在2連勝中。芝野挑戦者は過去4戦。3連勝の後、先述の本因坊戦で痛い星を落としている。ただ、一昨年、井山裕太王座の挑戦を受けた名人戦では開幕3連勝の後に2連敗を喫した後の第6局、悪い流れを食い止めて初防衛を果たした縁のある場所でもある。
ホテル花月園に並ぶ、ここで行われた囲碁や将棋のタイトル戦の品々=2025年9月22日午後1時52分、神奈川県箱根町将棋では1983年の名人戦第6局が今もなお語り継がれる。加藤一二三名人に谷川浩司八段(いずれも当時)が挑戦した七番勝負。谷川八段が勝利してシリーズ4勝2敗で初タイトルの名人を奪取し、21歳2カ月の当時史上最年少の名人となった。会見で語った「1年間、名人位を預からせていただきます」の名ゼリフは語り草になっている。「21歳名人」は不滅の大記録とも呼ばれたが、40年後の2023年に藤井聡太が20歳10カ月の名人になって記録を更新した。
ちなみに囲碁界の史上最年少名人とは、言うまでもなく芝野挑戦者である。19年、19歳11カ月で張栩名人(当時)からビッグタイトルを奪取。09年に20歳4カ月で名人位を手にした井山王座の記録を10年ぶりに塗り替え、史上唯一のティーンエージャー名人となった。
15:00
二人ともモンブラン
午後3時になり、両対局者のもとへおやつが運ばれた。双方とも注文は和栗モンブラン。同じメニューが運ばれてきて、2人は何を思うのか。
一力遼名人が注文したのは「和栗モンブラン」と「アイスティー」=2025年9月22日午後、神奈川県箱根町のホテル花月園このモンブラン、仙石原にある洋菓子店「ラッキィズ・カフェ」で提供されているもの。オーナーの菅原美樹さんによると、クリームは和栗のペーストを混ぜていて、甘さ控えめ。下はタルト生地になっていて、ざくざくとした歯ごたえも一緒に楽しめるそうだ。
菅原さんは「頭が疲れてきたところだと思います。甘いもので糖分を補給して長丁場を乗り切ってほしいです」と、両対局者へエールを送った。
午後3時時点の消費時間は、挑戦者2時間25分、名人2時間35分。
芝野虎丸十段が注文したのは「和栗モンブラン」と「マンゴージュース」=2025年9月22日午後、神奈川県箱根町のホテル花月園■名人の捨て石作戦[14:0…
この記事を書いた人
- 大出公二
- 文化部|囲碁担当
- 専門・関心分野
- 囲碁