池田小事件から25年「また明日」の声響く教室で、愛娘を失った母が安全のバトンをつなぐ
教室に響く、子供たちの無邪気な笑い声。25年前、突然奪われた「安全で平和な学校生活」が今、目の前に広がる。平成13年の大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件で、長女の優希(ゆき)さん=当時(7)=を失った本郷由美子さん(60)は、その光景に穏やかな安らぎを覚える。東京都内の小学校で娘と同年代の1年生の学校生活をサポートする支援員として働く日々。娘が命がけで伝えてくれた「学校の安全」の重さを実感している。
小学1年のときの本郷優希さん=平成12年(遺族提供)まぶしい日常
4年前、インターネット上で小学校支援員の募集のページが目に留まった。教員の負担軽減が主な役目で、週に数回登校から下校まで児童と過ごす。
「優希が導いてくれたのね」。子供の笑顔を守る手伝いがしたいと思い応募。まもなく採用された。
朝8時台の教室で、登校する子供たちを待つ。「先生おはよう」。屈託のない笑顔にこちらまでつられてしまう。ともに給食を食べ、体育の授業では一緒になって縄跳びもする。
子供たちが目の前で生き生きと過ごしている。クラスの誰一人欠けることなく、自分の席に座っている。当たり前の日常がまぶしかった。娘はそんな日々を過ごすことがかなわなかったから。
同時に「あの事件があったから子供たちが笑顔で過ごせている」との思いも浮かぶ。事件がきっかけとなり、不審者侵入の対策が強化されるなど学校現場は大きく変わった。娘が伝えてくれた「学校の安全を守る」というバトンがつながっていると思えた。
出会ったグリーフケア
事件直後、優希さんと同年代の子供を見ると、胸が締め付けられた。子供の胸に包丁が突き刺さっているように見えたことさえあった。
あまりのショックで世界から色や匂いが消えた。すべて白黒に見え何も感じない。人と関わるのが怖く、家に引きこもるようになった。
それを変えてくれたのが、米コロラド州の高校で1999年に発生した銃乱射事件の遺族から届いた手紙だった。<あなたが何をどう感じても間違っていることはない>。気持ちを丸ごと受け入れてもらえたようで、心が和らいでいった。それが、親しい人との死別など喪失を経験した人の悲しみ(グリーフ)に寄り添い、立ち直りを支援するグリーフケアとの出会いだった。
思い返せば、この25年はめまぐるしかった。上智大学グリーフケア研究所で学びなおし、グリーフケアの普及活動に邁進(まいしん)。その傍ら、社会福祉士の資格を取得し、加害者支援も重ねた。
昨年10月に出版した著書「グリーフケアとアウトリーチ」を手にする本郷由美子さん受け入れる安心感を
そんな日々のなかで、グリーフケアの考えも確立された。グリーフは死別だけでなく、病気や失職、周囲からの心ない言葉など日常にあふれているもの。人は常にグリーフを抱え、そのたびに周囲からの声掛けなどの寄り添いによって癒えていくことができる。
すると、事件の犯人の育った環境にも思いをはせるようになった。犯人はネグレクト状態で育ち、親から「生まなければよかった」とまで言われていた、と聞いた。当時の幼い犯人の頭をなでてくれる大人がいたら。「大丈夫?」と一言でもかけてもらえていたら-。「ありのままを受け入れてもらえる安心感を一度でも感じた経験があれば事件を思いとどまっていたかもしれない」
だからこそ、支援員になったいま、子供から発信されるサインに注意を払う。鉛筆を投げてしまったり、ぼーとしていたり。いつもと違う様子はグリーフを抱えているサイン。丁寧に見守り、その気持ちに寄り添う。
心安らぐ時間がある。授業を終えて自宅に帰っていく子供たちの背中を見送るとき。それは今日も一日無事に過ごせた証し。振り返る子供たちに、学校の先生になることが夢だった優希さんとともに声をかける。
「また明日」
(中井芳野)
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グリーフケアの普及への思いを込めた著書「グリーフケアとアウトリーチ」(方丈社)も昨年10月に出版した。東日本大震災の被災地をめぐった僧侶の金田諦應(たいおう)さんとの共著。
大阪教育大付属池田小の児童殺傷事件
平成13年6月8日午前10時10分すぎ、大阪教育大付属池田小の校舎に、宅間守元死刑囚=事件当時(37)=が侵入、包丁で児童らを次々と襲った。2年の女児7人と1年の男児1人が死亡、1、2年生13人と教員2人が重軽傷を負った。国と学校は安全管理の不備を認め謝罪。校門の施錠や防犯カメラの設置など、各地の学校で安全対策が強化される契機となった。元死刑囚は現行犯逮捕され、15年に死刑判決。元死刑囚が控訴を取り下げ刑が確定し、16年9月に執行された。