SNS禁止に怒る「Z世代」◇ネパール政権崩壊、根本には貧困:時事ドットコム
世界最高峰エベレスト(8848メートル)を中心に、白銀を頂く山並みが空に浮き立つヒマラヤ。その南麓の山国ネパールで9月8日、「Z世代」と呼ばれる10~20代の多くの若者(警察発表で約1万2000人)が、SNSの利用を禁じる政府の措置と政治家の腐敗や汚職に抗議するデモに結集した。警官隊との衝突による死者が70人を超える中、血の弾圧を非難されたオリ首相は9日、辞任に追い込まれた。
この経緯は、アジアの途上国で近年繰り返されている反政府デモのパターンそのものだ。インドネシアでも8月下旬、国会議員の高額な住宅手当への抗議デモで若者が暴徒化したばかり。2022年にはスリランカで反政府デモが激化し、ラジャパクサ政権が倒れた。昨年はバングラデシュで強権政治を続けていたハシナ首相が学生デモの嵐の中で退陣し、国外へ逃亡している。いずれもSNSを通じてデモが呼び掛けられ、若者たちが呼応するという共通点があった。
ただし、ネパールに駐在した経験がある元外交官は筆者に対し、「SNSはあくまできっかけ。根本的な要因は貧しさであり、若者たちはこの国の将来に希望を持てない」と説明した。若者は不満の矛先を政府に向け、怒りを同じ世代で共有して過激な直接行動に出る。この風潮が途上国に広がっている。(時事通信社解説委員 杉山文彦)
特権階級への不信感
ネパールでは、一部の特権階級が権力を独占し、その子どもたちが海外で派手な暮らしをしているという動画が最近SNS上で拡散した。縁故主義(ネポティズム)をもじって「ネポキッズ」とやゆされていた。
そのさなかにオリ政権は9月4日、ユーチューブやインスタグラムを含む26のSNSへのアクセスを遮断した。Z世代にとってSNSはかけがえのない情報源だけに、政権への反発は当局の予想以上に急速に拡大した。特権階級が腐敗しているという反発もあり、たちまち抗議デモに火がついた。
デモ勃発後、政府はすぐSNS遮断を解除したが、Z世代の怒りは収まらなかった。特徴的なのは、暴徒化した一部の若者が議会や官庁、警察署などのほか、オリ首相ら大物政治家の自宅にまで放火している点だ。
それほど権力者に対するネパール国民の不信感は根強い。この国では18世紀後半から230年以上、グルカ王朝が続いた。その末期の1990年早春、絶対王政の腐敗に怒る民主化要求デモが首都カトマンズで開始され、4月初めにデモ隊は10万人に膨れ上がった。今回と同じく警官隊が発砲し、50人以上の市民が殺害された後、ビレンドラ国王はついに民主化を宣言した。そのとき筆者は現地で取材に当たっていたが、街はお祭り騒ぎで、王宮前の道路では笑顔の若者たちがトラックの荷台やバスの屋根に鈴なりになって「勝利パレード」を繰り広げていた。
市民に話を聞くと、王族や国王の側近らが外国企業から開発援助プロジェクトの手数料をピンハネしていたのは「公然の秘密」だと皆が口をそろえた。
貧富格差、カーストも影響
それから35年が過ぎて、若者たちが今、再び立ち上がった。これは逆に言えば、貧困や腐敗汚職の問題が民主化以降もあまりに長い間、何も解決されていないということになる。
1991年の総選挙で老舗政党のネパール会議派(NCP)、94年総選挙では統一共産党(UML)がそれぞれ勝利し政権を担ったが、ほとんど実績を上げられなかった。1996年、UMLから分派した「ネパール共産党毛沢東主義派」が変革を掲げて武装闘争を開始し、10年にわたる内戦で1万5000人以上が死亡した。
この間、王室では混乱が続いた。2001年にはビレンドラ国王夫妻ら王族が、息子のディペンドラ皇太子に宮廷で射殺され、皇太子も直後に自殺した。結局、グルカ王朝は2008年に崩壊した。
ネパールは共和制に移行したが、政治の混迷は解消されていない。NCPを率いるデウバ氏が5期、UMLのオリ氏が3期首相を務め、政府と和平合意を結んだ毛沢東主義派のプラチャンダ書記長も3期政権を担ったが、国民の間では「同じ顔触ればかりで、政治が何も変わらない」との不満がくすぶっていた。
前出の元外交官によると、ネパールには各種の政党があるものの、「彼らは主義主張で動いているのではない。毛沢東主義派も中国のお先棒を担いでいるのかといえば、実は全然関係ない」という。
この国は人口約3000万人の8割をヒンズー教徒が占め、インドと同じくカースト制度が根を張っている。上下の階層間の貧富の差が激しく、上流階層が王朝崩壊後も権力と富を独占してきたのが実態だ。
「政界でも金持ち連中が権力をたらい回しして、その中で自分たちだけで甘い汁を吸ってきた」と元外交官は内幕を明かした。「SNSなどが発達してきて、そういうことが外からも見えてきた。今までは実情を知るすべがなかった若者が、ますます不満を抱いている」と述べている。
ヒマラヤ観光も一時不振に
9月12日、オリ政権崩壊を受けて暫定首相に担ぎ出されたのは、2016~17年に女性初の最高裁長官を務め、汚職への厳しい態度で知られているスシラ・カルキ氏(73)だ。9月15日に就任した閣僚3人も若者グループの推薦を受けた元官僚や弁護士ばかり。政治家は排除され、腐敗や汚職の撲滅に期待が高まっている。
下院(定数275、任期5年)は解散され、来年3月5日に総選挙を実施して、政界の刷新を図る段取りだ。カルキ新首相は「汚職根絶や良い政治、経済的な平等の確保」に優先的に取り組むと宣言している。
しかし、ネパールには観光以外の産業が乏しい。関係者は「この国の基本的な産業構造は変わりようがない。産業を発展させる要素が非常に限られている」と指摘する。ドル箱のヒマラヤ観光は2019~21年の新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)で不振に陥り、そのあおりで15~24歳の失業率はいまだに2割を超えている。それが今回のデモの遠因だ。
300万~400万人に上るネパール人がインドや中東へ出稼ぎに出ているが、そこからの仕送りもコロナ禍で一時途絶えた。1人当たり国内総生産(GDP)は1447ドル(2024年)と、南アジアの最貧国に甘んじている。
若者が政権参加を要求
ネパールの前途は厳しい。ただ唯一の救いは、政治が混乱してもミャンマーのように軍がクーデターを起こすことはなく、一種の文民統制が確立されている点だ。元外交官は「ネパールでは19世紀、勇猛なグルカ兵が英国の侵略に果敢に抵抗し、植民地化を免れた。英国はグルカ兵の強さに驚き、自軍に組み入れた。そのときネパール人は英国から、軍の規律を学んだのかもしれない」と話す。自主独立の気風と民主的な風土が根づいていることは間違いない。
今回もオリ政権が崩壊するや、直ちに暫定政権が生まれた。来年3月の総選挙に向けた準備が進んでいる。しかも、これまでと違うのはZ世代が積極的に政治の前面に登場し、自分たちを政権に参加させるよう要求している点だ。この貧しい山国を変革したいという若者の思いを受け入れるかどうかによって、ネパールの未来が決まる。
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杉山文彦(すぎやま・ふみひこ)
時事通信社解説委員
ニューデリー特派員、カイロ特派員として、アフガニスタン内戦や中東情勢など途上国の問題を幅広く取材。パリ支局長、外信部長、編集局総務を務めた。2016年から現職。編著に『世界テロリズム・マップ 憎しみの連鎖を断ち切るには』(平凡社新書)など。