【闘病】女子高校生に降りかかった「難病」に次ぐ『難病』《SLE・特発性大腿骨頭壊死症・ITP》

はるかさん(仮称)は中学時代に特発性血小板減少性紫斑病(ITP)と診断され、高校2年生で全身性エリテマトーデス(SLE)が発覚。ステロイド治療や脾臓摘出手術を経て病気と向き合いながらも、前向きな姿勢を崩さず、現在では松葉杖や車椅子を用いながら地方公務員として活躍しています。若くして発症した指定難病との闘いの中でも、はるかさんの姿勢は希望と勇気を与えてくれるものです。

※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2025年2月取材。

体験者プロフィール: はるか(仮称)

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東京都在住の1984年生まれ。高校2年生(16歳)進級直後の4月に全身性エリテマトーデス(SLE)と診断され、ステロイドパルス療法や免疫抑制剤投与を受ける。その後、現在に至るまで何度も再燃と寛解を繰り返し、下肢障害と排泄障害の後遺症を残す。長期のステロイド使用により特発性大腿骨頭壊死症も発症したが、現在もステロイド(プレドニン)を服用し、自己導尿をしながら、松葉杖や車椅子を使い地方公務員として日々元気に働いている。

はるかさん

幼少期から、インドア・アウトドアを問わず負けず嫌いで、興味があることには全力で取り組む性格でした。中学2年生(14歳)の体育の授業中に骨折し、手術前の血液検査で「特発性血小板減少性紫斑病(ITP)」が判明しました。骨折の手術をおこなうため、ステロイドパルス療法で一時的に血小板を増やす治療をおこないました。ITPは指定難病で、高校1年生(16歳)までステロイド(プレドニン)の服用を続けましたが、血小板が正常値に戻ることはありませんでした。主治医から「脾臓摘出をすれば6割の人が治る」と説明を受け、高校1年生の夏に脾臓摘出手術を受けた結果、幸運にもITPは治癒しました。

編集部

「全身性エリテマトーデス(SLE)」と診断されたのはその後ということでしょうか?

はるかさん

はい。通院時の血液検査で異常が発見され、手に皮疹が現れるようになり、高校2年生(16歳)の初めに「全身性エリテマトーデス(SLE)」と診断されました。診断が下る前、予備校で倒れ、1週間意識不明の状態が続いたこともありました。私の場合、抗体が脳や神経系を攻撃するタイプのSLEでした。また、20歳でステロイドパルス療法の長期服用の影響により「特発性大腿骨頭壊死症」を発症し、30歳で左大腿骨の人工関節置換手術を受けています。

はるかさん

当時は高校生という青春真っ只中だったので、勉強、部活動、恋愛に夢中だったため、主治医から「SLEかもしれない」という話があったところで、病気の重大性をまったく自覚していませんでした。ITPの診断時も同じです。

はるかさん

なんとなく体がだるいと感じることはありましたが、当時はそれを上回る活力があって、それが病気の兆候だとは思いませんでした。高熱が出ることもありましたが、解熱剤を飲むと嘘のように熱が下がったため、毎日のように解熱剤を服用しながら生活していました。倒れる直前にも40度ほどの高熱が出ていましたが、解熱剤を飲んで熱を下げたうえで、友人との約束のディズニーランドに遊びに行くという無茶をしてしまいました。このことは、今では深く反省しています。また、高熱以外にも、手足や顔面にしびれを感じたり、手に痛痒い赤い皮疹が現れたりすることがありました。手足や顔面のしびれが出た時点で早めに病院で診てもらうべきだったと、今になって振り返ると反省ばかりです。

編集部

どのように治療を進めていくと医師から説明がありましたか?

はるかさん

診断が明確に下される前に意識を失って倒れてしまい、医師の説明を理解することは困難でした。当時の記憶はほとんどありませんが、免疫異常の病気であるためステロイド治療が中心になることは理解していました。また、嚥下、記憶、読み書きなどの障害があったため、毎日リハビリをおこなっていたことはかすかに覚えています。

はるかさん

若い頃は、少々寝不足や疲れがあっても無理がききました。しかし、この病気ではそのような甘い考えが命取りになると、近年になってようやく自覚しました。そこで、早寝早起きを徹底し(9時就寝、5時起床)、なるべく自炊をしてバランスのよい食生活を心がけるようになりました。同世代からすると、年配者のような生活に見えるかもしれませんが、この生活を始めてから、病気の再燃頻度が大幅に減りました。

編集部

闘病に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。

はるかさん

大切な人とのグルメ旅に出かけることです。食べることが大好きで、ドライブやアウトドアも楽しめるのが嬉しいです。これらを思いっきり堪能したいという気持ちが、日々の生活で無理をしないよう自分を抑えるきっかけになっています。病気が再発すると、食欲がなくなり、体がだるく感じ、さらに手に皮疹ができて痛みを伴い、何をするにもつらくなります。そのため、元気なうちに好きなことを楽しむのが心の支えとなっています。

編集部

もし昔の自分に声をかけられたら、どんな助言をしますか?

はるかさん

助言というより忠告として、「今を精いっぱい生きることは大切だけど、必ずツケが回ってくることを忘れずに!」という言葉を伝えたいですね。当時の私は猪突猛進型だったので、聞いてくれる可能性はあったとしても、結局は本能のままに行動してしまったと思いますが……(笑)。

編集部

現在の体調や生活などの様子について教えてください。

はるかさん

現在は後遺症により松葉杖と車椅子を併用していますが、再燃も体調を崩すこともなく、行きたいところへ行き、食べたい物を食べ、不自由なく生活しています。薬の服用は主にプレドニン10mgのほかに、免疫抑制剤を使用しています。副作用の強いプレドニンはできれば少なく抑えたい気持ちはあるのですが、過去に10mgを切ると再燃するということが多々あったので、その不安から10mgから減らすことに抵抗があり、踏み切れていません。また、これも後遺症の一つで、排尿が自力でできず、自己導尿という方法により、都度自分でカテーテルを使って排尿しています。こちらはカテーテルを都度挿入することで感染症リスクを負っているので、衛生面ではより気を付けるようにしています。

はるかさん

治療にあたり、医療従事者の方々には伝え切れない感謝の気持ちでいっぱいです。ただ、中には一方的な知識や方針の押し付けで、患者の意見や想いを受け付けていただけないことが稀にありました。一方で、患者側が頑なに医師の意見を聞き入れないこともあります。「医師と患者」という関係以前に、「人と人」なのだから、お互い歩み寄り、考えや意見、想いを話し合い理解し合っていける関係性作りに努めた治療ができたらなと望んでいます。

編集部

この闘病を通して、最も伝えたいことがありましたらお願いします。

はるかさん

全身性エリテマトーデスという難病を抱えたことで、悲観的になった時期もありましたが、取捨選択を学び、経済的自立を果たせたことに感謝しています。病気を通じて人からの支えを深く感じ、1人では生きられないことを実感しました。ポジティブに捉え直す術を身につけ、日々の生活に感謝しながら生きています。この考えが広がれば幸せな人が増えると願っています。

はるかさん

私の患っている全身性エリテマトーデスや特発性大腿骨頭壊死症に限らず、難病は一生付き合っていかなければいけない病気です。だからこそ、悲観的になっても自分が損をするだけなのですよね……。自分が置かれている状況や、身体に爆弾を抱えているのだということを最低限きちんと自覚した上で、「人生一度切り! 思い切り楽しんで、病気すらも味方に付けて生きていこう︎」というめちゃくちゃポジティブな気持ちで日々笑顔を絶やさず生活することを心掛けています。実際、病気を患ってからたくさんの幸せを感じるようになっています。自分が明るく楽しければ、自然と周りにもその気持ちが伝染し、幸せも舞い込んで来ると私は信じています。それを強要するわけではありませんが、ウソでもよいので日常的に笑うことを心がけてみてください。病気に関係なく、そんな人がたくさん増えたら嬉しいなと日々感じています。

編集部まとめ

はるかさんのインタビューを通じて、難病を抱える中でも希望と感謝を忘れず、前向きに生活する強さを感じました。幼少期からの闘病や複雑な治療の経緯を経て、日々の生活の中で取捨選択を学び、ポジティブな視点を持ち続けている姿勢が印象的です。さらに、医療従事者への感謝や人と人の関係性を大切にしたいという思い、難病を通じて得た支えの大切さなど、彼女の経験から私たちが学べることは多いと感じました。「病気すら味方につける」という力強い姿勢と、日常生活に笑顔を絶やさない明るさが、周囲にも幸せを広げていることが伝わってきました。

なお、メディカルドックでは病気の認知拡大や定期検診の重要性を伝えるため、闘病者の方の声を募集しております。皆さまからのご応募お待ちしております。

記事監修医師田島 実紅(医師)※先生は記事を監修した医師であり、闘病者の担当医ではありません。

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