旧制高校の薫りに惹かれ金沢大学へ 共通1次に失敗、合格発表で僕の受験番号はなかった…
《大阪府立三国丘(みくにがおか)高校では生物部で実験に明け暮れる毎日》
高校生としてはレベルが高いことをやっていたかって? うーん、どうでしょうか。
言葉で説明すると難しいようだけど、やっていることは寒天培地を作り、そこにいろんな花粉を持ってきてパパッと落として置いておく。何日かたって見にいくと、花粉管核が伸びている。それを染色して見るっていう、それだけのことなんですよ。ただ、ずっと続けてやりましたね。
生物部は、特にやることが決まっていないんです。みんながそれぞれ、やりたいことをやっていた。魚の飼育をやっている生徒もいれば、ホタルの研究をやる生徒も。それで何かの「成果」を求められるわけでもありません。ただ、他の生徒がやることを見ているだけ、とか、名前だけ在籍している生徒もいましたしねぇ(苦笑)。
生物部で実験をやったことで僕が花粉に関してすごく興味を持ったことは確かです。
当時、部で定期購読している「遺伝」という雑誌がありました。そこに、2ページくらいの「花粉分析」という岡山理科大学の先生が書いていたコラムがあり、毎月、毎月、そこをむさぼるように読んでいました。
そうしたら、地層のところにも花粉は残っていて、それを調べたら「花粉で当時の気候が分かります」とか、さらには「当時の気候変動まで分かる」といったことが書かれていたんですよ。
これを読んで、そのときはもう、「よし、大学へ行ったら花粉分析をやるぞ。そして、当時の気候も明らかにしたい」などと思ったわけですね。
《そして、大学入試の時期がやってくる。昭和61(1986)年、受験したのは金沢大学理学部の地学科だった》
なぜ、金沢大学を選んだのかって? 僕らのころの国公立大学の入試は、まずマークシート方式の「共通1次試験」(現在の大学入学共通テスト)を受ける。そして、2次試験は1つの国公立大学だけしか受けられません。
僕は、共通1次の結果が思ったより悪かった。だから2次試験の配点が多く、挽回できるチャンスがある大学を探しました。それに、理学部で「英語が2次試験で入試科目にない」大学。当時の僕はあまり英語の成績が良くなかったので(苦笑)。
いくつか候補があった中で、最終的に金沢大学の受験を選んだのは父のアドバイスが大きかったでしょうか。
父親は昭和一桁生まれの「古い人間」です。旧制高校(昭和25年に廃校)には強いノスタルジアがある。「金沢大学は四高(しこう)=※第四高等学校、明治20年創立。歴史が古く全国で8つあったナンバースクールの一つ=の後身やぞ。師範学校などが前身の学校とはちょっと雰囲気が違う」などといって金沢大学を勧めるのです。僕もだんだんその気になって…。
もうそのころには将来、研究職や、博物館の学芸員になりたいと考えていました。ならば、受ける学科はどうするか? 理学部の地学科か? それとも生物学科か? 直前まで悩みましたが、最終的に地学科を選んだのは前年入試の競争倍率が1・1倍と、低かったこと。
ところが、同じことを考えた受験生が多かったのか、僕が受けた年の地学科の倍率は約2倍に跳ね上がり、一方の生物学科は何と1・1倍(苦笑)。
合格発表は、大阪から北陸本線の特急に乗って見に行きました。結果は「不合格」。どこを探しても僕の受験番号はなかった。もう帰りの列車の中では大ショック。悔しまぎれに「来年はもっと良い大学に入るぞ」なんて決意したのですが…。
《しばらくして、なんと「補欠合格」の知らせが届いた》(聞き手 喜多由浩)