1953年に投函したはがき、72年を経て差出人の元に戻る 米

(CNN) 米ニューヨーク市の国連本部から投函(とうかん)されたはがきが今年8月、イリノイ州オタワの郵便局に届けられた。はがき自体はありふれたものだった。1953年6月17日午後8時の消印が押されていたことを除けば。 【画像】はがきには「今、国連ビルにいます。あらゆるところが非常に近代的です」などと書かれている 宛先は「F・E・ボール牧師一家」。郵便局員は、国連内で72年間行方不明になっていたはがきが最近になって見つかり投函されたのではないかとみていると、地元紙が伝えた。 しかし、時が流れ、ボール家はすでにその住所には住んでいなかった。 それでもオタワの郵便局長マーク・トンプソン氏は、このはがきをただ捨てることができなかった。元の受取人か子孫に届けるべきだと考えて、調査を始めた。 うわさは広まり、地元の記者が記事に取り上げた。署名は「アラン」とだけ記されており、送り主の正体に関心が集まった。 テリー・カルボーン氏にとって、系譜学は退職後の趣味であり、人助けの手段でもあった。カルボーン氏は記事を読み、まさにこれだと確信。記者に連絡を取って、「助けられるかもしれない」と申し出た。 さらにラサール郡系譜学協会も調査に加わり、ボランティアが当時の新聞記事や資料を調べ、「F・E・ボール牧師」と「アラン」に関する手がかりを捜索。公共図書館の資料を活用して、はがきの差出人「アラン・ボール」をめぐる謎の核心に迫った。 調査はやがて西へと向かった。「アラン」とは、現在88歳で、2700キロ以上離れたアイダホ州サンドポイントで引退生活を送っているアラン・ボール博士ではないかとの結論に至った。

すべては53年に始まった。ボールさんはイリノイ州オタワから列車に乗り、ニューヨークへ向かった。そこから飛行機に乗って米領プエルトリコへ渡り、夏をおばの家で過ごす予定だった。家は裕福ではなかったため、数年間にわたり芝刈りや雪かきをして旅費をためた。 ボールさんは「異なる言語」と新しい習慣を体験することに興奮していた。ボールさんにとってその時間は「大人になる」ことを意味したという。飛行機に乗るのは初めてで、少し緊張していた。 ニューヨークで空港へ向かうまでに時間があったため、真新しい国連事務局ビルを訪れた。そこで建物の絵はがきに2セント切手を貼り、「ニューヨークまで来たよ」と両親に知らせるため投函した。 88歳になった今でも、ボールさんはプエルトリコでの思い出を懐かしむ。山の中の「ジャングル」にあるおばのコーヒー農園を「まったく新しい」「視野を広げてくれる」体験だったと振り返った。 ただ、その時出したはがきが両親に届かず、郵便の闇に消えてしまっていたことは知らなかった。

CNN.co.jp
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