イギリス下院、「支援を受けた死」認める歴史的な法案を可決
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ケイト・ワネル、ジェニファー・マキアナン BBC政治担当記者
イギリス議会下院は20日、イングランドとウェールズにおいて、終末期の成人の「死を選ぶ権利」を認める歴史的な法案を可決した。「終末期患者支援(終生)法案」は、党議拘束のない採決において賛成314、反対291で可決され、今後は上院(貴族院)での審議に進む。
法案を支持する票差は今回23票で、昨年11月に最初に審議した際の55票差からは縮小した。
上院は年内に法案を採決する見通し。法案の成立は確実ではないが、可能性は高いとされている。
上院が法案に修正を加えた場合は、今年10月頃に下院に戻され、あらためて採決される。その後、チャールズ国王が認可して成立する。
この法律が成立した場合、政府は最大4年以内に施行のための措置を導入する。このため実際に「支援を受けた死」が可能となるのは、2029年か2030年になる可能性がある。
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この日の採決に先立つ審議では、議員らが友人や親族の死に立ち会った経験を語るなど、思いのこもった議論が続いた。
党議拘束のない採決で、キア・スターマー首相(労働党)が法案に賛成した一方、ウェス・ストリーティング保健相は反対した。最大野党・保守党のケミ・ベイドノック党首も反対した。
法案では、イングランドとウェールズにおいて、正常な判断力をもつ終末期にある成人で、余命6カ月未満と見込まれる人に、支援を受けた死を選ぶ権利を認める。
希望者は2回にわたり個別に意思を表明し、証人の立ち合いのもと、「明確で、確定的で、必要な情報を得た状態で」自らの死を希望するという宣言書に署名する必要がある。さらに、お互いに独立した医師2人が、希望者が適格かどうか、何らかの形で強制されていないかを確認しなくてはならない。
2回の意思表明についての判断は、少なくとも間に7日をあけて行われる。
希望者の申請はその後、精神科医やソーシャルワーカー、弁護士からなる委員会に提出される。委員会は、申請を確認した医師の少なくとも1人と、可能ならばオンライン動画を通じて希望者本人を相手に、聞き取りを行う。
審査の末に委員会が申請を認めた場合、そこからさらに14日間の「振り返りの期間」が設けられる。ただし、希望者が1カ月以内に死亡する可能性がある場合、この14日間は48時間に短縮される。
法案を下院に提出し、議論を推進してきた労働党のキム・レッドビーター議員は、申請手続きには最大2カ月かかる可能性があると説明している。
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レッドビーター議員は、採決後にBBCの取材に対し「とてつもなくうれしい」、「終末期の患者とその家族にとってこれがどういう意味を持つか、知っているので」と話した。
今週はレッドビーター議員の姉のジョー・コックス下院議員(当時)が殺害されてから、9年目にあたる。それだけに、「特に感情的な週だった」とレッドビーター議員は言い、「ジョーはよく『善良な人たちが政治に関わらなければ、どういう世の中になってしまうのか』と言っていた」と説明。
「(イギリス議会の)この場に自分がいることに時に違和感を覚える人たちもいるけれども、社会が求める前向きな変化を実現するため、私たちはここにいる」とも、議員は述べた。
法案に対しては、支援死を強要されるリスクがあるとの批判もあるが、レッドビーター議員は、十分な安全策が法案に盛り込まれていると「100%確信している」と述べた。
法案に強く反対してきた保守党のダニー・クルーガー議員は、賛成の票差が昨年末から半減したことに触れ、「この法案への支持は急速に失われつつある」と述べた。クルーガー議員は、上院が法案を否決するか、「大幅に強化する」ことを望むとも話した。
議員はさらに、この法案が労働党の選挙公約に含まれていなかったことを理由に、たとえ下院が可決した法案でもそれを上院が否決するのは「違憲ではない」と主張した。
一方、法案の支持者らは、上院で修正が加えられる可能性はあるものの、完全に否決されることはないと自信を示している。上院での修正案は、下院が再び可決する必要がある。
法案を支持してきた著名ジャーナリストのデイム・エスター・ランツェンは、「何百万人もの終末期の患者とその家族が、苦痛や、苦しい死による尊厳の喪失から守られることになる、大きな前進だ」と法案可決を評価し、「議会、ありがとう」と述べた。
一方、元パラリンピック選手で上院議員のタニ・グレイ=トンプソン女男爵は、「この法案におびえ切っている障害者」から話を聞いていると述べた。上院の議決に参加することになるグレイ=トンプソン議員は、患者への強要を防ぐために「できる限り厳格な」修正案を提出するつもりだと話した。
慈善団体のホスピス「セント・クリストファーズ」のジャニス・ノーブル代表は、政府が「すべての人に質の高い終末期ケアを提供する」ことが、今や「不可欠」だと強調。「そのためには、ホスピスへの資金提供モデルの改善が必要だ」と訴えた。
下院議決が行われた20日、ロンドンは気温が30度近い暑さだったものの、数百人の活動家が議事堂前に集まり、自分たちの声を届けようとした。法案を支持する「尊厳ある死」運動の参加者たちは、そろいのピンクのTシャツを着て集まった。採決後には抱き合いながら涙を流す人たちもいた。
イングランド教会の信徒説教師、パメラ・フィッシャー氏は、支援死を支持しており、僅差での可決を歓迎した。「これは、より思いやりのある社会を築くための大きな一歩だ」と語った。
英陸軍工兵隊の司令官だった故キース・フェントン氏の家族も、議会前の広場でフェントン氏の軍服姿の写真を掲げて立ち続け、「この結果に非常に満足している」と語った。
妻のサラ氏は議決に先立ち、ハンチントン病で重篤な状態になった夫が安楽死を助けるスイスのディグニタス・クリニックに行くことを望んだ際、反対したかったものの、夫が自殺を試みたことで「自分が利己的だった」と気づいたと話していた。
法案について下院議員の票が割れたように、法案に反対する人も議事堂前に大勢集まった。その多くは、弱い立場にある人たちをどう守るかを心配している。
キリスト教ナザレト修道会のシスター・ドリーン・カニンガムは、他の修道女たちとともにウェストミンスター寺院の近くに座り、「議員たちは安全策について話していたが、私たちが考えるような安全策とは程遠い」と語った。失望した活動家たちは、静かに賛美歌を歌いながら互いを慰め合っていた。
法案に反対する団体「まだ死んでいない」のジョージ・フィールディング氏は、今回の採決について「非常に失望している」と述べ、「この法案は、社会で最も弱い立場の人々の命を危険にさらし、時期尚早に短くし、殺すことになる」と主張した。
脳性まひを患うフィールディング氏は、この法案が「能力主義的」だと批判。さらに、障害のある人が自ら命を絶つ場合、「いやされない苦しみやトラウマ」を抱えていることが多いのだと指摘した。
広場に作った墓の模型の横でフィールディング氏は「上院には、この法案を一行一行精査し、緩和ケア、社会福祉、より良い給付制度といった代替策を推進してほしい。すべての人が喜びある人生を送る権利を、確保するように」と訴えた。
採決に先立ち、イギリス下院では法案の基本原則について3時間以上にわたる議論が行われた。
保守党のジェイムズ・クレヴァリー議員は、多くの医療専門団体が支援死の原理原則には中立でありつつ、法案の具体的内容には反対する団体が多いことに驚いたと討論で述べた。
「この制度の実践を担うことになる人々が『まだ準備ができていない』と言うなら、私たちは耳を傾けるべきだ」と議員は主張した。
一方、労働党のピーター・プリンスリー議員は法案を支持し、「人間の命は絶対的に神聖なものだ。しかし、私たちが直面しているのは『生か死』ではなく『死か死』の問題なのだ」と述べた。
そのうえで議員は、「なぜなら、人間の尊厳も神聖なもので、その根幹に紛れもなくあるのは、選択の自由のはずだ。死にゆく人からそれを奪う権利が、果たして私たちにあるのか」と問いかけた。
この日の審議の冒頭では、法案について先週審議された一連の修正案について採決が行われた。その中には、いわゆる「拒食症の抜け穴」をふさぐ修正案も含まれており、生命を脅かす栄養不良を理由にした支援死を認めないようにする内容だった。議員らはこの修正案を支持したほか、法案成立から1年以内に緩和ケアサービスの実態調査を政府に義務付ける修正案も可決された。
一方、精神的な健康上の問題や、「自分が周囲の重荷になっていると感じる」ことを理由にした支援死の要望を阻止する修正案は、53票差で否決された。