高市氏に政界新地図を生んだ「狂」 昨日の野党は今日の与党…続く「一寸先は闇」

首相指名後のあいさつに訪れ、記念撮影に応じる(左から)日本維新の会の吉村洋文代表、自民党の高市早苗総裁、日本維新の会の藤田文武共同代表=10月21日午後、国会内

「政界一寸先は闇」といわれるが、令和7年10月は日本政治史に残る「政変」の連続だった。自民党の高市早苗総裁(首相)の誕生から自民、公明両党の連立解消、そして自民と日本維新の会による連立政権樹立。10月の政治劇から2カ月がたち、政界には新たな火種がくすぶっている。

手を差し伸べた維新・遠藤氏

昨年10月の衆院選と今年7月の参院選で敗北し、衆参両院で過半数割れを招いた石破茂前首相の後任を決める自民総裁選は、10月4日に投開票された。下馬評では小泉進次郎農林水産相(当時)が本命視されていたが、蓋を開けてみれば、党員票を集めた高市氏が国会議員の支持も得て、新総裁に選ばれた。

だが、高市氏の基盤は極めて脆弱(ぜいじゃく)だった。10日には26年間、協力関係にあった公明から連立離脱を宣告され、自民は単独少数与党に陥った。高市氏は国民民主党と水面下で接触を重ねていたが、自公両党に一部野党を加える「連立拡大」構想は崩れ去った。

国会は野党優勢となる中、21日召集の臨時国会の首相指名選挙で「政権交代」が起きる可能性も現実味を帯びた。大ピンチの高市氏に手を差し伸べたのが、後に首相補佐官を兼務することになる維新の遠藤敬国対委員長だった。

遠藤氏は公明の連立離脱表明前日の9日から高市氏と接触し、17日までの約1週間で自維連立政権をまとめ上げる。政策協議には維新の藤田文武共同代表らがほぼ徹夜で臨んだ。藤田氏は、尊敬する幕末の思想家、吉田松陰の言葉になぞらえながら決断を迫った。

「高市さん、狂ってください。日本の大改革のためには、ある種の狂気が必要です」。自民と維新は10月20日、連立政権樹立で正式合意し、高市氏は21日の首相指名選挙で首相に選出された。

「年収の壁」合意に曇る表情

自民、維新の連立政権発足から2カ月がたとうとしていた12月18日、自民と国民民主が所得税の非課税枠「年収の壁」の引き上げで合意した。

8年度の与党税制改正大綱の取りまとめが翌19日に迫る中、18日朝から自民、国民民主の税制調査会幹部は断続的に協議を続けていた。大詰めを迎えた同日午後3時過ぎ、自民の小野寺五典税調会長は高市首相に政治決断を仰ぎ、現行の160万円から178万円に引き上げるという国民民主案を受け入れた。

小野寺氏が首相に決断を求めていたほぼ同時刻-。維新の遠藤氏は国会内で自民、国民民主の実務者協議の行方を見守っていた。国民民主への多少の譲歩はあり得るが、満額回答は難しいとの情報が入っていた。

「合意」の速報が流れると、遠藤氏の顔色が一瞬曇った。自維政権のパイプ役である遠藤氏に事前に伝えられていなかったようだ。

「離脱、離脱と行儀が悪い」

自民の国民民主への急接近は維新への牽制(けんせい)だ。連立政権として初の臨時国会で、自維はお互いに不満をためた。維新は連立離脱もちらつかせながら自分たちの政策実現を迫り、自民幹部は「思い通りにならないと『離脱、離脱』と騒ぐ。行儀が悪い」といらだった。

自民と国民民主による合意後の記者会見で、国民民主の玉木雄一郎代表は、政府が提出する8年度予算案の成立に協力する考えを示した。さらに23日の講演では、自維政権に加わる可能性について「模索している最中だ」と述べた。玉木氏の言動について、自民閣僚経験者は「既定路線」と語り、連立拡大を見据えた布石だとの見方を示す。

維新の藤田氏は25日の記者会見で国民民主の連立入りについて「連立拡大は否定するものでなくウエルカムだ」と述べた。同時に自民との連立合意について「骨抜きにして取り下げようとする議論はあり得ない」とくぎを刺した。

国民民主が再び政局の重要な変数になりつつある。別の維新幹部は自分たちを軽んじるような自民の態度に不快感を示し、「自民、国民民主だけでは数が足りない」と威嚇した。来年の政界も一寸先は闇である。(与党キャップ 千田恒弥)

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