イーロン・マスクではない…孫正義が尊敬する「伝説の経営者」の名前(クーリエ・ジャポン)
汐留の本社を出て公共の場で孫と行動をともにするのは、これが初めてだった。予定はなく、ランチのあとに、ただあてもなく散策に出たにすぎない。ニケシュの発案で、孫はしぶしぶ同意した。だが銀座の人ごみに近づくにつれ、孫がなぜためらったのかがわかった。 指をさす人、ひそひそ話、忍び笑い、ときおり響くスマートフォンのシャッター音──話には聞いていた「孫信仰」が、東京の街なかで現実のものとしてそこにあった(あとでタナカさんから聞いた話では、孫のツイッターのフォロワー数は安倍首相よりも多かったそうだ)。褐色の肌のガイジンふたりにはさまれていたことで、このめったにない孫の目撃がいっそう物珍しいものになったのだろう。 ミキモトの店内では、店員やまばらにいる来店客たちはもっと控えめだった。私たちは足の向くまま店内をうろついていたが、やがて孫が私たちのほうを振り向いた。 「奥さんたちに何か買ってあげたらどう?」と笑顔で言う。 マヤが高価なアクセサリーを皮肉に見ていることを説明してもよかったのだが、私たちの関係はまだあらたまったものだったので、口にするのはやめておいた。ニケシュが販売員と話を始めたタイミングで、突然、まるでホログラムのように、背の高いハンサムな日本人男性が現れた。ぴったりとした黒のスーツと黒のタートルネックを上品に着こなしていた。東京ではこうして人が突然現れることがよくある。何か特別な訓練でもあるのだろうか。 彼は孫には深々と、私たちにはおざなりに頭を下げてから、両手で名刺を差し出した。それはいかにも儀式めいていた。彼は店長だと名乗り、カウンターのうしろに立った。 孫に日本語で何か話しかけていたが、おそらく「孫さん、お越しいただきありがとうございます」といった類のことだろう。続いて、彼は私たち全員に向けて完璧な英語でこう言った。 「みなさまは特別なお客さまです。お買い上げの際にはすべて20%引きとさせていただきます」 ミキモトが売っているのは「ベブレン財」だ。エルメスのバーキンのバッグのように、価格が高ければ高いほど人々がその商品を欲しがるという「負の価格弾力性」をもっている。世界でも有数の「値段を気にしない」買い手に割引を申し出るというその皮肉は、なんとも印象的だった。だが、それはお金の問題ではなかった。ミキモトは「日本のひとつのアイコンがもうひとつのアイコンに敬意を表す」と表明していたのだ。 夕食の席ではもっぱら、その日取り組んでいた案件について話すのが常だったが、ときどきニケシュの仕切りでゲームをすることもあった。たとえば、好きな動物の名前を紙に書き、それを折りたたんで山にする。そして誰かがそれを読み上げ、誰がどの動物を書いたかをみんなで当てる。私はこの手のゲームが嫌いだった。気の利いたところを見せようとするプレッシャーが強すぎて、素直な自分を出しづらいからだ。 ニケシュと私はまるで夫婦のように、すぐにお互いの答えを言い当てた。「ユニコーン」(シリコンバレーでは、企業価値10億ドル以上のスタートアップのこと)が出れば、ニケシュはすかさず私を指さした。「いかにもアロックらしい、気が利いてると見せようとしてるな」。正解。 「好きな起業家」がお題になったときは、きっと孫は「クレイジー」の再定義を自身の存在理由としている男、イーロン・マスクを選ぶだろうと思った。ところが彼が選んだのは、ロケットエンジンではなくトラッキングストック(種類株式の一種で、株式発行会社が有する特定の子会社や事業部門の業績に連動して価値が決まるように設計された株式)をいじくり回す金融工学者だった。 周到で、人前に姿を出さず、メディア企業に狡猾に買収を仕掛ける「ケーブル・カウボーイ」こと、ジョン・マローンだ。これは孫自身も金融錬金術への意欲があることを暗示する興味深い選択であり、のちに彼が巨大買収に乗り出すことを予感させるものだった。(つづく) “孫正義の右腕”となった投資銀行家が明かす「孫に出会った日の第一印象」
Alok Sama