【大河ドラマ べらぼう】第38回「地本問屋仲間事之始」回想 きよとの出会いと別れ、歌麿を世界的画家へと導くのか 定信と蔦重たち、出版をめぐる虚々実々の戦い
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の第38回「地本問屋仲間事之始」では、喜多川歌麿(染谷将太さん)とその妻、きよ(藤間爽子さん)の哀しみに満ちた別れ、そして出版の自由をめぐる権力者側と本の作り手たちの知恵比べが鮮やかに描かれました。
梅毒に散ったきよ
前回(37回)で、発疹の目立つ足元のカットが強調され、悲しい「予告」があったきよの病。
医師もあっさり「瘡毒(そうどく)」と、当時の梅毒の呼び名をあげて、「難しいかもしれませんよ」。
歌麿の懸命の看病もかなわず、病状が好転することはなく、帰らぬ人となりました。心から愛してくれる歌麿と出会えたことは、きよの短い生涯の中で幸福な日々となったのでしょうか。その前のきよは、性感染症に罹るリスクの高い仕事をしていました。
歌麿と出会ったのは第30回「人まね歌麿」のとき。「洗濯女」といい、洗濯の仕事のかたわら、安い値段で身体も売っていました。下町の空き家で仕事を終えたばかりのきよと、たまたま鉢合わせしたのが歌麿。運命の出会いでした。
当時の江戸では広くみられた女性の稼ぎ方といい、身寄りらしい身寄りがなく、聾唖者でもあるきよは、他に生活の手段がなかったのでしょう。性感染症にいつかかっても不思議のない境遇でした。きよの瀕死の病床のシーンで、歌麿が「ひどい親でも自分をみてくれると嬉しかった」と独り言をつぶやくと、本来、聞こえるはずもないきよの声で「こっち向いてくれると嬉しいから。私もそんな子だった」と返ってくる場面が印象的でした。身体の障害だけでなく、歌麿同様、親にも恵まれなかった彼女の生まれ育ちを暗示していました。
わずか20年で欧州から日本まで到達
15世紀以降、世界に広く分布する病となった梅毒。主に性交渉で感染するこの病の存在は、ペニシリンの登場まで当時のあらゆる階層の人々にとって身近な恐怖でした。医学も梅毒を制圧しようという試行錯誤を通じて発展してきた側面があります。あの野口英世も梅毒の研究で知られます。起源については1493年、コロンブスたちが西インド諸島からヨーロッパに持ち込んだとする説が有力視されていますが、異説もあります。
コロンブスとされる肖像(メトロポリタン美術館所蔵)いずれにせよ、15世紀後半にスペインやイタリアで流行が始まり、戦争などを通じて短期間でヨーロッパじゅうに蔓延しました。1498年のバスコ・ダ・ガマのインド航路発見によって、東方の東南アジア、中国にも伝播し、1512年には大坂まで到達。翌年には関東地方でも流行しました。コロンブスが起点とすれば約20年でヨーロッパの西端から極東の島国までたどり着いた計算で、当時の交通事情を考えると凄まじいスピードとも言えます。人間社会における性行為というものが持つ広がりと重みを改めて感じさせます。
梅毒の感染には「階級差」も
その後は日本でもごく普通に見られる病気となり、とりわけ多くの男性との性交渉を強いられる遊女らにとっては深刻な疾病でした。幕末の調査では遊女の3割が梅毒だったといいます。また、江戸で庶民が埋葬された深川の寺院の人骨を調べると7.0パーセントに典型的な梅毒の症状があり、一方、武士が埋葬された湯島の寺院では3.0パーセント。数字に明らかな差があったといいます(※1)。つまり罹患の危険性には階級による差がありました。
「べらぼう」でも身体を売る女性の病気のエピソードは繰り返し登場しました。
蔦重たちに本の喜びを伝えてくれた朝顔姐さん(愛希れいかさん)は乏しい食べ物を他の飢えた女郎に分け与え、第1回「ありがた山の寒がらす」で貧困と病のうちにこの世を去りました。
第3回「千客万来『一目千本』」では梅毒などにかかった場末の女郎たちを生々しく描写。お金を生み出さなくなった彼女たちは狭い部屋に押し込められ、ほとんど看病もされずに、食事も満足に与えられなかったといいます。これら以前の女郎たちのエピソードは今回、巧みに生かされました。のちほど触れます。
病気ではありませんが、妊娠や堕胎が避けられない女郎の姿も描かれました。きよが梅毒で倒れたシーンは、この時代の社会構造の矛盾や、底辺の女性の厳しい暮らしぶりを改めて象徴させたのでしょう。
人間の「リアル」に向き合った歌麿
病床のきよをひたすら描き続け、死して遺体が腐敗してなお、絵筆を離さなかった歌麿。「おきよはまだ日々変わっているから。生きている」。鬼気迫る染谷将太さんの演技は見る者を震撼させました。
常人離れした歌麿の愛への執着と、徹底して対象に迫るアーティストとしての執念。歌麿を子どもの頃から知る蔦重でさえ、その凄味にしばし言葉を失いました。
「お前は鬼の子。命を描くのが天命」
きよの後を追わんばかりの歌麿に、蔦重は声を振り絞りました。「お前は鬼の子なんだ。生き残って命を描くんだ。それが俺たちの天命なんだよ」。歌麿の壮絶な姿に、蔦重も創作に関わる者のひとりとして、もう一段上の覚悟を決めたのかもしれません。
「清」の一文字から歌麿の人生を変えた女性を創造
歌麿の妻の存在について、はっきりしたことは分かっていません。
東京・世田谷の専光寺にある歌麿の墓。もともと浅草にあったお寺が関東大震災後に移転し、墓も移りました。墓碑には「理清信女」という戒名の身内の女性が、寛政2年に亡くなったことが記録されています。歌麿の母か妻ではないか、とみられています。
墓石に「理清信女」と刻まれていますこのころ歌麿は、アーティストとして本格的なオリジナリティを発揮する時期を迎えつつありました。
『画本虫撰』(国文学研究資料館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/200014778 天明8年(1788)ドラマで描かれた時期に先立つ天明年間末期、『画本虫撰』などの代表作を発表。そしてこの「理清信女」が亡くなったあとの寛政4年(1792)ごろから、歌麿と蔦重は世界の絵画史に残る歴史的な作品群に取り組んでいくことになります。大首絵の登場です。
重要文化財『婦人相學十躰・浮気之相』 喜多川歌麿筆 江戸時代 18世紀 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/) 喜多川歌麿筆『北國五色墨・おいらん』江戸時代 18世紀 東京国立博物館蔵出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)上半身をクローズアップし、ニュアンスの豊かな筆の技巧で、女性の個性や内面を鮮やかに表現しました。先人の模倣はもうなく、「歌麿しか描けない」世界へと突き進んでいった時期です。このころ、歌麿の人生に何か大きな転換点があって不思議ない、とドラマ制作陣が考えた結果が、「清」というひと文字から創造された「きよ」という魅力的な女性像だったのでしょう。
悲しすぎる別れでした。しかし彼女との出会いによって、何物にも代えがたい無償の愛の尊さも歌麿は学びました。
この痛切な喪失の経験を経て、歌麿はこれからどう生きていくのでしょうか。作品の創作にどのようにして結び付くのでしょう。彼の人生からはやはり目が離せません。
攻める定信の政策次々
一方、出版を巡る定信と蔦重たちのバトルも激しさを増してきました。次々と新たな手を打ってくる定信です。
大ヒットとなった山東京伝の「心学早染艸しんがくはやそめぐさ」。人間の内面で善玉と悪玉が争い、最終的には善玉が勝利して、全うな人生を歩むという勧善懲悪な内容。文句のつけようもないお話のはずですが、ついつい「悪」に惹かれてしまうのも人間の持って生まれた性。これもいつの時代も変わりません。
この頃、京伝の著書から「悪玉提灯」と名付けられた提灯を持ち歩き、町で騒ぐ若い衆が出現しました。京伝の弟、山東京山(1769∼1858)が記録しており、この暴走族まがいの行為を町奉行が禁止したと言います(※2)。締め付けが厳しくなれば、その反動は必ず起きるものです。世間は為政者の思うとおりになりはしません。
こうした動きに対応して幕府の社会政策として始まり、平蔵が担当となったのが「人足寄場にんそくよせば」。寛政2年2月のことです。隅田川河口に浮かぶ石川島に作られ、入れ墨など比較的罪の軽い者で、刑が終わっても放置すれば再犯の恐れのある者や、無宿人、浮浪人の仲間に転落する一歩手前の者などを収容し、労働や職業教育をさせました。
追い詰められた出版業界、蔦重の作戦
一方、出版に関しても厳しい規制を敷いてきました。書物双紙類の新規出版は奉行所の許可を得ることになり、時事問題やみだらな内容などを書物や一枚絵にすることも禁止されました。出版業界にとっては死活問題の展開です。
西村屋(西村まさ彦さん)や鱗形屋(片岡愛之助さん)ら懐かしいメンバーが揃いましたが、思い出話に花を咲かせるどころではありません。際どい内容の本を作り、当局に介入の余地を与えてしまった蔦重は平身低頭ですが、業界からつるし上げの一歩手前です。何とかしなければいけません。
大量の出版企画を奉行所に持ち込み、音を上げさせる作戦も実施しましたが、これだけでは決め手になりません。
本屋も吉原も頼みます、平蔵さま
ここからのストーリー展開がお見事でした。平蔵が久々に吉原に姿を見せました。大事なお役目を担っている平蔵を慰労しようという名目で、蔦重が一席設けました。
突然、50両もの大金を持って登場した2人。吉原の場末、浄念河岸にある二文字屋の元女将のきく(かたせ梨乃さん)と現女将のはま(中島瑠菜さん)でした。
ここで第1回「ありがた山の寒がらす」、第3回「千客万来『一目千本』」のエピソードが巧みに引用されました。当時は、宿場などの非正規な色里に客を取られ、食うや食わずの苦境に陥っていた吉原の場末の女たち。これを座視できなくなった蔦重は、幼馴染の花魁である花の井(のちの瀬川、小芝風花さん)に相談。一計を案じます。
吉原の女郎を紹介する架空の入銀本(出資金を募ってつくる本)の企画をでっち上げ、当時、花の井に入れ上げていた平蔵から金を引き出すよう頼んだのでした。「本の巻頭を取りたい。50両出さないと巻頭になれない」と迫る花の井に、平蔵は言い値で50両を提供。このお金はそのまま、場末の女郎たちに提供され、焚きだしなどの資金になりました。
女将として登場したはまは、当時はちどりという名の女郎でした。朝顔姐さん(愛希れいかさん)から、花の井差し入れの弁当を譲られ、貪り食べて飢えをしのぐシーンは印象的。蔦重と花の井が作った50両で死線を脱したひとりでした。のちに蔦重の本の製本も手伝いました。生き延び、女将になっていたのか、と長く「べらぼう」を見続けたファンは感慨深いものがあったかもしれません。
駿河屋(高橋克実さん)も吉原や出版業界を何とかしてほしい、と平蔵に頭を下げます。「まいない(賄賂)はダメだ」と渋る平蔵でしたが、「昔、平蔵さんからだまし取ったお金をお返ししただけ。利息も付けました」とは蔦重、うまい理屈を考えたものです。定信政権になって以来、幕府の役付きになると持ち出しが多い割に実入りが少なく、引き受けたがらない武士が多い、という前回までのモチーフが伏線にもなっていました。史実とフィクションを組み合わせた鮮やかな劇作でした。
定信やはり「黄表紙好き」
あとは平蔵、蔦重の振付通りに定信の前で振る舞いました。「本など上方に任せればよいと、それがしも考えます」という平蔵の言葉にハッとする定信。案の定「どういうことだ」と食いついてきました。
「上方の本屋が江戸に店を出しておるようで、江戸で新しい本が出せぬとなれば、上方が待ってましたとばかりに黄表紙も錦絵も作るようになる。黄表紙と錦絵は江戸の誇り、渡してなるものかと躍起になっておるようです。くだらぬ町方の意地の張り合いにございます」。定信の気になるであろうポイントを的確に突いていきます。
そう聞かされた定信、やはり本好き、黄表紙好きの血が抑えられなくなった様子。「くだらなくなかろう」と一喝。「江戸が上方に劣るなど将軍家の威信に関わる」と考え直すことにしました。
「地本問屋仲間」の結成、内容を自らチェック
結局、地本問屋仲間という組織が作られ、交代制で「行事」という務めを担い、内容の改めを行うシステムになりました。出版物が華美になったり、古典に擬えて不届きなことを取り上げないよう自主的にチェックします。町名主や町奉行もこの仕組みには関わり、規制は厳しくなりましたが、出版の機会は確保されました。
定信の性格と武士たちの内情、これまでの吉原の歴史を踏まえた蔦重の作戦、お見事でした。
蔦重と京伝も互いに理解、しかし…
黄表紙の在り方を巡って一時、厳しい対立関係に陥った蔦重と京伝。「モテたいから本を作っている。面白ければいいじゃないか。ふわふわと雲みたいに気楽に漂って生きたい」という京伝と、「本は世のため人のために出すもの。春町の遺志を継いでいく。権力者のいいなりにはならない」という蔦重では、創作に対する姿勢に大きな違いがありました。
「日本橋を敵に回して書いていけると思うなよ」とまで口にする蔦重の“パワハラ”体質も露呈しました。菊園(望海風斗さん)が妻になって家族を守る責任が生じ、日々の暮らしも楽しみたいという京伝に、社会的使命ばかりを突きつけてリスクのある仕事を強引にやらせる、というのはいかに蔦重でも無理筋だったでしょう。
やはり「権力」ではなく、「気持ち」でなければクリエイターは動きません。版元や創作者、職人たちに「自分が悪かった」と率直に頭を下げ、出版の自由を守るために知恵を絞る蔦重の姿に京伝も得心がいきました。「私も書きますよ」。
蔦重も「面白いものを作ることを諦めねえってことが、黄表紙を守ることだ」と京伝に寄り添い、自らの考えを改めました。春町の死など衝撃的な出来事が続き、ちょっと窮屈に考え過ぎていたのかもしれません。
仕事をめぐり、より高い次元にたどり着いたかに見えた蔦重と京伝。しかし大きな波が2人を待っているのでした……。
(美術展ナビ編集班 岡部匡志)
(※1)参考文献:「日本内科学会雑誌 創立100周年記念号 第91巻 第10号 『特集:内科-100年のあゆみ(感染症)』 柳原保武 柳原格」、「モダンメディア 62巻5号2016[人類と感染症との戦い] 第6回「梅毒」ーコロンブスの土産、ペニシリンの恩恵 加藤茂孝」 (※2)参考文献:「山東京伝の黄表紙を読む」(ぺりかん社、棚橋正博)
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