「意識は5秒以上ある」「頭部と胴体が離断も」…70年間も変わらない法医学の“常識”を覆す、絞首刑の残虐すぎる現実(ダイヤモンド・オンライン)
日本の死刑制度は、戦後からほとんど見直されることなく続いてきた。その背景には、「絞首刑は残虐ではないから、憲法違反ではない」という前提を支える、ある医学的鑑定の存在がある。70年以上にわたって信じられ続けてきた死刑の“常識”に迫る。※本稿は、丸山泰弘『死刑について私たちが知っておくべきこと』(筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 「絞首刑は残虐ではない」は どのような根拠がある? 絞首刑による執行によって被執行者が死に至る経緯が日本の刑事裁判で医学的証拠によって示されたのは、1952年10月に東京高等裁判所で行われていた控訴事件においてでした。その証拠とされるものが同年10月27日付で提出された東京大学医学部教授で法医学の権威であった古畑種基博士による鑑定書でした(以下、古畑鑑定とします)。古畑博士は、法医学の観点からどのように絞首刑によって死に至るのかを同裁判で次のように説明しています。 頸部に索条をかけて、体重をもって懸垂すると(縊死し)、その体重が20キログラム以上あるときは左右頸動脈と両椎骨動脈を完全に圧塞することができ体重が頸部に作用した瞬間に人事不省に陥り全く意識を失う。それ故定型的縊死は最も苦痛のない安楽な死に方であるということは、法医学上の常識になっているのである。 (中略) 絞殺が最も理想的に行われるならば、屍体に損傷を生ぜしめず、且つ死刑囚に苦痛を与えることがなく(精神的苦痛は除く)且つ死後残虐感を残さない点に於て他の方法に優っているものと思う。
この説明によれば、絞首刑が残虐な刑罰に当たらないとする理由として(1)意識が瞬間的に失われ、(2)見た目上も屍体に損傷が生じず、(3)被執行者に最も苦痛のない安楽な死に方であって、(4)執行者にとっても残虐感が残らないためだとされています。 この古畑鑑定をもとに、絞首刑は残虐な刑罰に当たらないとした判断が1955年に最高裁から出されています。これ以後に絞首刑による死刑執行が残虐な刑罰に当たるかどうかを医学的に説明する鑑定は存在せず、70年以上経たっても同じ鑑定がその根拠とされています。 古畑鑑定がかなり古いために、今は残虐と考えられるべきであり、即刻死刑を廃止すべきであると言っているのではありません。 しかし、死刑賛成派であっても最新の医学や科学をもって絞首刑が残虐な刑罰に当たらないと証明する責任は負っているのではないでしょうか。あらゆる情報が非公開のままにされていることは、死刑反対派のみならず、賛成派の人にとっても大問題であると考える必要があります。テキトーな死刑の運用は許されず、現在の科学的な検証によった場合に、残虐な刑罰だとしたら憲法違反になるからです。(編集部注/日本国憲法36条では「残虐な刑罰」を禁じており、死刑もその内容や方法によっては違憲と判断される可能性がある。) ● 残虐性を見直すきっかけとなった 「此花パチンコ店放火事件」 絞首刑の死刑執行が憲法に言う「残虐な刑罰」に当たるかどうかの司法判断は70年以上変わっていません。しかし、注目すべき裁判が2011年に大阪で行われています。それは、いわゆる「此花パチンコ店放火事件」(大阪地裁平成23年10月31日)での弁護側の証人とその証言でした。 日本では、2009年5月から裁判員裁判制度が始まり、裁判員裁判に該当する事件であり、かつ被害者が複数亡くなっている事件であったために、市民が死刑を判断する可能性が高かったのです。この事件で、担当の弁護団は改めて死刑が残虐な刑罰に当たるのではないかということを裁判員として参加する市民にも考えてもらいたいという思いも持っていたようです。