麻生氏、武田氏と並び称された県議会のドン 「蔵内王国」の光と影
福岡県政界で長年、絶大な影響力を誇り、「県議会のドン」と呼ばれた蔵内勇夫氏(72)。麻生太郎元首相や武田良太元総務相と並び、「新・三国志」と称された実力者が、金銭授受疑惑の渦中で、議員辞職に追い込まれた。蔵内氏とはどのような人物なのか。歩みをたどった。
「求心力落ちたっていいじゃない。議会が活性化して改革が進めば。僕の福岡県議会じゃないんだから」。10日、福岡県議会の会議室の一室。報道陣から求心力の低下を指摘されると、蔵内勇夫氏(72)はひょうひょうと答えた。
このときはまだ、本人も周囲も、わずか2週間後に県議会の「ドン」が県政を去るとは思っていなかった。
「蔵内王国」。蔵内氏が大きな影響力を及ぼしてきた県議会を、蔵内氏の地元・筑後市の関係者はこう表現する。
象徴的な出来事がある。
2024年3月15日、県議会のロビーに万歳三唱が響き渡った。
「蔵内会長のますますの発展を祈念して万歳を行いたいと思います」
「万歳! 万歳! 万歳!」
自民県議だけでなく、他会派の県議や県職員100人以上が、蔵内氏の世界獣医師会次期会長の選出を祝福した。
「祝 PRESIDENT ELECT(次期会長) 蔵内勇夫」と書かれたパネルを掲げて記念撮影し、蔵内氏に花束が贈られた。
自民の県議団会長や県連会長といった要職を歴任し、獣医師として日本獣医師会長、そして世界獣医師会長まで上り詰めた蔵内氏。
蔵内勇夫氏が世界獣医師会次期会長に選ばれたことを祝う福岡県議ら=2024年3月15日午前11時59分、福岡市博多区、添田樹紀撮影その政治手腕について、ある自民県議は24年9月の朝日新聞の取材にこう語った。「蔵内氏は県議会の『総合演出』兼『監督』。皆は与えられた役割を精いっぱい演じている」
「クリーン」掲げて県議選に
蔵内氏は1953年生まれで筑後市出身。地元の後援会関係者によると実家は酒屋で、子ども時代は「やんちゃな性格」だったという。
自民党の衆院議員・参院議員だった蔵内修治氏の秘書を務め、1983年に県議選(筑後市選挙区)に無所属で初出馬。出馬表明を伝える83年3月6日付の朝日新聞では、「蔵内参院議員のめいと結婚し、蔵内姓を名乗っている」と伝えている。
当時の支援者は、蔵内氏が選挙戦で「若さとクリーン」を標榜(ひょうぼう)していたと振り返る。
蔵内勇夫氏の初当選を伝える朝日新聞の記事演説会で蔵内氏はこんなエピソードを披露していたという。「道で子どもが声をかけてきて、『おじちゃん選挙落ちるよ。だってお金持ってないじゃない』と言われた。私は対立候補みたいにお金はない」
当時の別の支援者も「演説はうまいし、元気で度胸もあってはきはきしゃべって。良い候補が来たと思った」と話す。
この県議選では落選したが、次の87年の県議選で社会党推薦を得て初当選した。
要職歴任、影響力強める
91年の県議選は自民推薦を得て無所属で、95年の県議選は自民公認となり、いずれも無投票当選を果たした。
ある自民県連関係者は「筑後市選挙区は1人区。無所属でもイデオロギーに違いがなければ、しばらくすれば自民党の議員になるのは自然な流れだった」と話す。
2001年に議長、03年には自民県議団会長に就任。会長職は12年の長期にわたって務めた。
国会議員も所属する県連で、県議ながら会長を約4年担った。今でも会長や幹事長、総務会長、政務調査会長といった主要ポストは県議が握る。
世界獣医師会次期会長に選出された蔵内勇夫県議(中央)。左隣は服部誠太郎知事=2024年3月15日、福岡市博多区、添田樹紀撮影福岡のある国会議員のベテラン秘書は23年当時、蔵内氏ら県議団について「力がつきすぎている。国会議員は肩身が狭い」とぼやいた。
21年の県知事選では副知事だった服部誠太郎氏の擁立を主導。25年には2度目となる県議会議長となり、全国都道府県議会議長会会長に。県政界に影響力を強めていった。
功績とともに広がった違和感
蔵内氏を評価する声は少なくない。
「恩義を忘れないでいてくれた」と語るのは、後援会幹部。八女市などが甚大な被害を受けた12年の九州北部豪雨で、蔵内氏が熱心に復旧に取り組んだと振り返る。
2012年の九州北部豪雨で冠水して孤立した八女市の住宅地=2012年7月14日、八女市立花町北山、朝日新聞社ヘリから別の自民県議は「厳しい支配はあるが、懐が深い。人の良さがないと下もついていけない」。他党のベテラン県議も「『信賞必罰』を徹底している。見習うべきところは多い」と評価していた。
一方で、長く支えてきた支援者の中には違和感を抱く人もいた。
蔵内氏が県議7期目となった14年秋、後援会幹部だった男性は蔵内氏にこう進言した。
「日本獣医師会長にまでなって、県議は後継に譲る時期になったんじゃなかか。もう辞めた方が良か」
世界獣医師会次期会長に選出された蔵内勇夫氏を祝って万歳三唱をする福岡県議ら=2024年3月15日、福岡市博多区、椎木慎太郎撮影後援会関係者と蔵内氏とのゴルフ旅行の夜。イタリアの民宿風につくられた建物の一室で肉料理や赤ワインを楽しんでいた。
理由を尋ねる蔵内氏に「自分で考えたらわかるだろう」と言うと、蔵内氏は口を閉ざした。
男性は「この男は県民のためにならないと思った」と蔵内氏に不信感を募らせ、後援会を離れた。
「意に沿わぬこと言えぬ、それが問題」
元支援者の一人は、16年の福岡6区補選をきっかけに蔵内氏とたもとを分かったと打ち明ける。
蔵内勇夫氏の長男で、福岡6区補選に出馬予定だった謙氏(中央)の応援に駆けつけた麻生太郎副総理(右)と古賀誠元自民党幹事長(左)=2016年9月18日、福岡県久留米市の西鉄久留米駅前、長沢幹城撮影この時、蔵内氏は県連会長。補選は、鳩山邦夫元総務相の死去に伴う選挙だった。
6区は、蔵内氏の地元ではないが、長男・謙氏を擁立。邦夫氏の次男の鳩山二郎氏も立候補しており、自民分裂選挙となった。謙氏が大敗したが、自民内にしこりを残した。
蔵内謙氏(右)の落選が決まり、あいさつする父親の蔵内勇夫・自民党福岡県連会長(当時)=2016年10月23日午後8時15分、福岡県久留米市諏訪野町、長沢幹城撮影元支援者は、この頃から蔵内氏に対し、「客観的に助言をくれる人も周囲にいなくなっていた」と振り返る。そしてこう指摘する。「一人の政治家に権力が集中すると、もうその政治家の意に沿わないことは言えなくなる。それが一番の問題だ」
そんな違和感の声は、長く表に出ることはなかった。だがいま、相次ぐ一連の疑惑によって、蔵内氏をはじめとする福岡県政に厳しい視線が向けられている。
辞職した8月25日、蔵内氏は朝日新聞の取材にこう語った。
「批判はずっと出ているし、今後も出るでしょ。批判は批判で、受け入れる」
この記事を書いた人
- 添田樹紀
- 神戸総局
- 専門・関心分野
- 国内政治、東南アジア、性的マイノリティ