「パリの地下鉄」を見ればわかる、日本人が貧乏になった理由…在仏作家が目撃した「東京ではありえない光景」 車内はいつもわさわさしている
勤勉な日本人が、なぜ貧しくなったのか。労働生産性はG7最下位、ジェンダー平等も最低水準にとどまる。フランスで暮らす作家・林巧さんは「毎日利用しているパリの地下鉄やバスで目にする『車内風景』に、その答えのヒントがある」という。現地からリポートする――。
©Takumi Hayashi 2025
モンパルナス方面へと向かうパリのメトロ(地下鉄)
毎日、パリ市内をメトロ、バス、トラムで移動していて、それが日常になると車内風景が日本とは全く違うことに気がつく。
スマホで通話している人はいつもいるし、乗り降りに苦労する大きな手荷物や電動キックボード、自転車を持ち込む人もいる。飼い犬を連れて乗る人も多く、通路を塞ぐような大型犬でも遠慮なく連れてくる。一方、スマホをみる人だけでなく、紙の分厚い本を読んでいる人も必ずいて、そのうち半分くらいはフランス語でロマンと呼ばれる長編小説を読み耽っている。
白人、黒人、アジア人が入り交じって、車内にはある種の緊張感がある。他人と微かでも接触すると、必ず「パードン(ごめんなさい)」と挨拶する。老人や幼い子連れにはお互いの人種を問わず即座に席を譲り、赤ちゃんを乗せたベビーカーの乗降ではドアに近いところにいる人が必ず手を添えてサポートする。
人のファッションや髪型のセンスも千差万別で、車内はいつもわさわさとして、何かが聞こえ、ものごとが動いている。しんと静かで、皆一様の気配でものごとが止まってみえる、日本の車内とは決定的に異なっている。フランスと日本とのこの違いはどこからくるのか。
フランス人は「長く休んでも生産性が高い」
一定時間あたりの労働で経済価値がどれだけ生み出せるかを測る労働生産性という概念があり、G7の7カ国で比較すると、日本は50年間ずっと最下位で、6位になったこともない。1位を長い間、保ってきたのがアメリカで、そのアメリカを凌いで1位になったことがあるのはフランスとドイツの2カ国だけである(日本生産性本部 参照)。
フランスもドイツも日本とは違って“定時で帰る”国だが、有給で取れるヴァカンスでは7~8月に集中して4~5週間、連続でとるフランスに分があるようにみえる。つまり、フランスはそれだけ長く休んでもG7で1位になれるだけの労働生産性を培ってきた。
2023年の労働生産性(1時間あたりのGDP)をみてみると、日本は56.8ドルでフランスは92.8ドルである。少し差があるというレベルの違いではない。日本の労働生産性はフランスの半分よりも少し大きい(61.2%)という圧倒的な差が生まれている。
日本はOECD38カ国中29位の生産性
G7での比較を離れて、日本とアメリカも含めヨーロッパを中心に38カ国の先進国が加盟するOECD(経済協力開発機関)のデータからみてみよう。
2023年の労働生産性のOECD加盟国の平均は約70ドルで、フランスの92.8ドルはこれより遥かに高く、日本の56.8ドルはこの平均値をかなり下回り、38加盟国のなかで29位である。平たくいえば、日本は世界全体のなかでも長時間労働が課され、それにみあわない経済価値しか生み出せずにいる、ということになる。
時代は大きく変わってきている。世界中で男女間のジェンダーバランスの改革が急速に進められるなか、世界経済フォーラムが今年6月に発表した2025年の日本のジェンダーギャップ指数は0.666(1が完全平等、0が完全不平等)で、対象148カ国のうち118位の低さとなっている。
ちなみにフランスは0.765で35位。労働生産性の指数と同じく日本はG7では群を抜いて最下位で、世界全体のなかでも最底辺レベルである。
それとこれとは違う話だろうか? 長い労働時間の果てに成果が乏しいことと、ジェンダーバランスの不均衡で社会が歪むことの根は、どこかで絡み合ってはいないだろうか?
パリの地下鉄に「禁止と強制」はない
さて、パリのメトロに毎日乗っていて、車内の空気に馴染んで思うのは、パリには自由がある、あるいは禁止と強制がない、ということだ。みんな自分の好きなスタイルで乗り込み、それぞれ好きなことをやっている。乗り合わせた他人がどんな格好をしていようが、何をしていようが気にしない。
パリのメトロでも禁止行為はいくつかある。無賃乗車、喫煙、飲食、事前申請のない楽器演奏や物乞い行為など。だが厳密に禁止運用されているのは無賃乗車くらいだ。今はほとんどの人の乗車券はスマホに電子的に入っているが、不意打ちの検札でそれがなければ問答無用で即時70ユーロ、支払いが遅れると120ユーロの罰金を徴収される。
喫煙はフランス政府がこのところ急速に取り締まりを強めていて、レストランなどの屋内では吸えなくなって、この7月からは一部の公園やビーチでも吸えなくなった。だからメトロで吸う者はいないが、街での歩きタバコはどこでもみかける。
©Takumi Hayashi 2025
パリで最も古い広場(ヴォージュ広場) パリの公園や広場の多くの芝生では寝転んだり、ピクニックをしたり、誰でも自由に過ごせる。
飲食、楽器演奏、物乞いは特に取り締まっている気配はない。ジュースや缶ビールを飲む人、パンやスナックを食べている人はよくみかける。アコーディオン、サックス、トランペット、ヴァイオリンなど、狭い車内でよく弾く(吹く)なあと感心するような楽器演奏、紙コップを手にした物乞い行為(これはカトリックの伝統と合致する、という側面がある)はよく回ってくる。
「責任ある自由」が秩序をつくる
そんな車内だから、スマホでの通話など、音量的に微々たるものでほとんど気にならない。もちろん、話す人は隣席で本を読んでいる人の邪魔をしないように、上手に小声で話している。
日本ではシートの色を変えてはっきりと存在しているシルバーシートも、ほとんどのメトロ車両にはない。新しい車両の窓にときおりそれらしいシールが貼ってあるが、誰も気にしていない。
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日本からもってきた楽器がある。東京で祭り囃子をやっていて、その囃子に使う篠笛が2本。古典調子といって西洋音階ではない囃子のための篠笛の4本調子(As dur/変イ長調)と、唄笛といって西洋音階に調律した篠笛の3本調子(G dur/ト長調)。
パリ郊外のセーヌ川沿いにサン・クルーという城があり、かつてナポレオン・ボナパルトも暮らしたが、普仏戦争で城は焼け落ち、外郭の庭園と広大な森が残された。アパルトマンでは吹けないので、ここの深い森であるときから篠笛を吹くようになった。
©Takumi Hayashi 2025
パリ郊外イル・ド・フランス地域圏のオー・ド・セーヌ県にあるサン・クルーの城跡公園。城の外郭遺跡に広大な森がつづく。
禁止のない森で生まれた即興のセッション
いろいろなフランス人との出会いがあったが、とりわけ忘れられないことがある。
若いフランス人のカップルがやってきて道を訊いてきた。そのとき一本の篠笛を布の笛袋に仕舞い、もう一本の篠笛を袋から出そうとしていたのだが、彼は驚いて言った。
「KATANAか?」 KATANAという発音に驚いて、彼を見かえして返事をする。 「いや違う。……竹の横笛だ」 彼はまじまじと篠笛をみている。
「音が出せるのか? 聴かせて欲しい」
少し考えてから“竹田の子守唄”を吹き始めた。“守もりもいやがる、ぼんからさきにゃ、雪もちらつくし、子も泣くし……”という歌詞の、アニメの主題歌にもなった歌だ。するとタバコを吸いながらみていた彼女のほうが歩み寄り、篠笛の演奏のすぐ隣で踊り始めたのだ。
間違いなく知らない曲だろうし、テンポがゆっくりとした曲でふつうは踊れる曲ではない。だが彼女は音楽にあわせ、からだを魅惑的にしならせて踊った。かつてお城であった森のなかで素晴らしい踊りを披露した。
このフランスのサン・クルーの森で3人が自由であったこと、禁止も強制もなかったこと、そうした状況がこうした場面を生んだのだろう、と思いかえしている。