「おしゃれな印象」の京王井の頭線、カラフルボディーで京王線とは路線独立…別々になった謎を追う

 京王電鉄(東京都多摩市)が運営し、渋谷と吉祥寺を結ぶ「京王井の頭線」。新宿から八王子市、相模原市まで走る「京王線」とは路線が独立し、車両の色も異なっている。同じ鉄道会社なのにどこか違うのはなぜか。その謎を追うと、各地で愛される井の頭線の姿も見えてきた。(岡本遼太郎)

井の頭線の電車。先頭車両の正面上部が色とりどりに塗装されている(3月6日、武蔵野市の吉祥寺駅で)

 3月上旬。まずは、井の頭線吉祥寺駅(武蔵野市)のホームで出入りする電車をじっくり観察した。気づいたのは、先頭車両の正面上部と側面の一部の色が電車によって違うことだった。

 ある電車は青。次の電車はピンク。その次は紫……。一体、何色あるのかと調べたら全7色。この日は出会えなかったが、虹のようにグラデーションをつけた塗装が施された「レインボーカラー」もある。1編成しかないので、「見ると幸運が訪れる」と言われているそうだ。

京王線の車両「9000系」。アイボリー、青、赤の3色を基調とする(京王電鉄ホームページより)

 一方の京王線はどうか。井の頭線と乗り換えられる明大前駅(世田谷区)に向かった。京王線の先頭車両はアイボリー、青、赤の3色を基調とした電車が中心で、井の頭線ほどカラフルではなかった。

 同駅は2階が京王線、1階が改札、地下1階が井の頭線という構造で、乗り換えには階段などでの移動が必要だ。なぜ、同じ階のホームで乗り換えられないのかと不思議に感じた。

 京王電鉄を訪ね、様々な謎の理由を聞いた。

 同社計画管理部の濁沢雅課長(45)=写真=は「井の頭線は元々、京王線とは別会社が運営していたことが大きい」と教えてくれた。

 同社などによると、京王電鉄の前身の会社は1910年に設立され、今の京王線の起源となる新宿―調布駅間の線路敷設を始めた。井の頭線は33年に帝都電鉄という会社が開業し、翌年には渋谷―吉祥寺駅間が全通した。

 帝都電鉄は40年に経営合理化を理由に、現在の小田急電鉄に合併された。さらに、戦争が激しくなると、国策で京王の前身の会社と小田急と他の2社が合併。戦後の48年に分離された際、他の会社と比べて規模が小さかった京王の経営を安定させるために、井の頭線が小田急から京王に編入されたという。

 井の頭線と京王線のこうしたルーツの違いは、線路の幅に表れている。井の頭線はJRや私鉄で使用されている1067ミリで、元々、小田急系列だったことによる。京王線は1372ミリで30センチほど広い。線路の幅をそろえるのは大工事となるため、両線は今も独立して走っているという。明大前駅が立体交差になっているのもここに理由がある。

 一方、井の頭線の車両がカラフルなのは、64年に開業した京王百貨店新宿店が関係しているという説もある。同店はフロアごとに内装のカラーを変えたり、虹色の光線を描くネオン塔を設置したりしたことから、同時期の62年に井の頭線に導入された「3000系」の車両正面の上部も7色で塗り分けた――というものだが、濁沢課長は「はっきりとした理由はわからない」と話す。

 ただ、カラフルな車両は大きなインパクトを与えた。府中市で運送業を営む京王ファンの鈴木洋さん(78)=写真=は「車両ごとに色が変わる路線は当時見たことがなかった」と語る。小学生の頃から沿線に住む鈴木さんは色とりどりの3000系の車両に魅せられ、「おしゃれな印象で、京王のイメージアップにつながった」と振り返る。

 3000系から始まった鮮やかなカラーリング。現在の井の頭線ではその系譜を継ぐ1000系が走るが、3000系は地方で愛されている。京王電鉄によると、96年以降、井の頭線での役目を終えた計71両が地方の鉄道会社5社に譲渡された。採用例が多い1067ミリの線路幅に対応し、車両の耐久性も高いためだ。

 北陸鉄道(金沢市)は計12両を導入した。同社鉄道部の河崎浩二部長(61)=写真=は「豪雪にも負けることなく、活躍してくれている」と感謝する。同社が現在運行しているのは4両。このうち2両は5月下旬に引退予定だが、引退ツアーはすでに満席だという。

 地方鉄道には京王線の車両も譲渡されている。ルーツは違えど、両線は京王電鉄に欠かせない存在となり、車両を通じて地方にもその名をとどろかせている。

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