勾配屋根の美、いつかまた 室堂・ホテル立山、31日宿泊終了 本社記者ルポ

●54年間で169万人受け入れ 

 標高2450メートルの立山室堂に建つ「ホテル立山」は30日、最後の宿泊客を迎えた。立山黒部アルペンルートが全線開業した翌年の1972年にオープンしてから54年、延べ169万人を受け入れてきた赤い勾配屋根の建物は、暴風雪時に遭難を防ぐ「道標(みちしるべ)」の役目も果たしてきた。ホテルを訪れると、「ここで働けたのは誇り」と熱い思いを抱くスタッフと宿泊客が、31日のサービス終了を惜しんでいた。(デスク長・正札武晴)

 アルペンルートの起点、立山駅からケーブルカー、高原バスを乗り継いで約1時間、ホテルに着いた。午前の気温は13度で天気は雨。暑さが戻った富山市内とは20度近く違い、長袖シャツでちょうどいい気候だ。

 この日は最後の建築ツアーが開かれ、宿泊客とともに建築史家の倉方俊輔大阪公立大教授のガイドでホテル内を巡った。5階のロビーは高い天井に屋根の傾斜をそのまま生かしたデザインで、大きな窓と相まって開放感がある。

 ホテル立山を「モダニズム建築の傑作」と称賛する倉方教授は「座る場所で気分が変わり、思い思いにくつろげる」と説明。戦前の邸宅を思わせる階段、カモシカをあしらったシャンデリアも見ていて心地よい。

 アルペンルートを運営する立山黒部貫光(富山市)が経営してきたホテルは2024年3月、星野リゾート(長野県軽井沢町)に建物が譲渡され、運営は立山貫光ターミナルが担ってきた。

 ●レストランと売店営業継続 

 宿泊サービスの終了が発表されたのは昨年8月。施設の老朽化で維持費がかさむとの理由だ。レストランと売店は9月以降も営業を続けるが、星野リゾートはホテル事業の今後の方針を明らかにしていない。

 ●「ここで働けて誇り」

 ホテルスタッフは万感の思いで31日を迎える。赤坂郁人(ふみひと)支配人(57)は「悲しい気持ちの一方、54年も営業を続けられて意義深い」と感謝した。「最後と知って涙を流すお客さまもいた。ここで働けたのは誇り」と語る板倉学食堂部長(57)は「妻と出会ったのもここなんです」と明かしてくれた。感慨もひとしおに違いない。

 政府登録国際観光旅館としては最も高所の山岳地帯に位置するホテルだけに、苦労も多かったという。三谷欣康(よしやす)宿泊部長(51)は「悪天候で麓からトラックやケーブルカーで物資輸送ができず、急きょ長野県側からシーツなどを運んだこともあった」と懐かしんだ。

 宿泊事業終了を知って繰り返し訪れる客が多く、今年は4月15日のアルペンルート開通から連日満室となった。3度目の宿泊という兵庫県西脇市の自営業村上純子さん(57)は昨年12月にこの日の予約を取ったといい、「窓から見る山々は額縁の絵のようで、高所なのに自宅のような居心地の良さがある。ぜひ使われ続けてほしい」と望んだ。

 赤坂支配人は「次の運営形態は聞かされていないが、建物を維持してほしい気持ちはある」とホテルへの愛着を語った。

 時に自然が厳しい表情を見せる立山で、登山客らを温かいもてなしで歓迎する「国内最高峰」のホテルにどれだけの人が救われてきただろう。勾配屋根の建築美が埋もれてしまうのはもったいない。いつかまた、人々を迎える日が来てほしい。雲に隠れた雄山にそう願った。

 ★ホテル立山 1972(昭和47)年9月1日にオープン。国立公園内のため自然景観に配慮し、山岳特有の気象に耐えうる設計となっている。1964年東京五輪の駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場を手掛けた村田政眞(まさちか)氏が設計した。鉄筋コンクリート造6階建てで、客室は81室、収容人員は260人。

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