「気弱な息子」がモスクワ・コンサートホール襲撃テロ 被告父の困惑
2024年3月22日夜、モスクワ郊外のコンサートホールに武装した男らが侵入。公演開始を待つ観客に銃を乱射し、可燃性の液体をまいて火を放ち車で逃走した。確認された死者は149人に上る。
直後に過激派組織「イスラム国」(IS)が犯行声明を出した一方、プーチン政権はウクライナの関与を主張した。8月に始まった実行犯とされるタジキスタン出身の男性4人の裁判過程や、タジク現地の様子から情報が錯綜した事件の背景を探った。
ロシアを揺るがしたコンサートホール襲撃テロの「実行犯」はどんな人物なのか。タジキスタンへ飛び、情報をたどり歩いた。(全2回の第1回)第2回 移民が直面する「組織的な屈辱」 モスクワ・149人犠牲テロの土壌
終始おびえた「実行犯」
当時から気になっていたことがあった。
事件翌日の昼、ロシアメディアは「実行犯」の4人がウクライナ国境に近い露西部ブリャンスク州で拘束されたと一斉に報じた。そのうちの一人、シャムシディン・ファリドゥニ被告(28)が拘束直後に捜査員から尋問を受ける様子が国営テレビで何度も流れた。
ファリドゥニ被告は車道沿いの空き地で後ろ手に縛られてひざまずき、小柄な体を震わせながら質問に答えていた。「金のために人々を撃ち殺した」と供述し、終始おびえた様子で捜査員らにすがるような目線を向けていた。
その振る舞いは「テロリスト」のイメージとはおよそ結びつかなかった。ファリドゥニ被告は、どんな人物で、なぜ事件に関わることになったのか。今年8月末、タジキスタンにあるファリドゥニ被告の実家を訪ねた。
タジキスタンの首都ドゥシャンベに飛び、取材に協力してくれる運転手を探した。タクシー運転手がたむろしているところで声をかけ、4人目で応じてくれたのがラスルさん(40)だ。自身もまた、昨夏までの3年間、ロシアで働く出稼ぎ労働者だった。
ラスルさんとともにファリドゥニ被告の実家があるロヨビ村に向かい、住民らに尋ねながら実家を探した。
「行った先がテロリストの巣窟だったら」との懸念をラスルさんに伝えると「そんな心配は無用だ」とばかりに鼻で笑われた。確かに村で出会った人たちはみな外国人を敵視するどころか、非常に親切で、決まって「うちでお茶でも飲んでいきなさい」と言った。
借金抱え、妻子を残して出稼ぎに
半日がかりでファリドゥニ被告の実家を探し当てると、突然の訪問にもかかわらず父親が招き入れてくれた。日に焼けた丸顔の大柄な男性で、ブドウなどを栽培する農家だった。当初は私たちを警戒する様子もあったが、息子の人柄について聞くと、身を乗り出すようにして話し始めた。
父親によると、ファリドゥニ被告は、5人きょうだいの4番目の子どもで、子どものころから争いを好まず、不満も口にしない「いい子」だったという。もともとは「リピョーシカ」という円盤形のパンを焼く職人だった。
借金を抱えてしまい、その返済のためロシアに出稼ぎに出たのが、事件のわずか半年前の23年10月だ。妻と生後間もない子どもがおり、出発の際には「半年ほど働いて借金を返したら戻る。そのあとはもうどこにも行かない」と家族に告げていた。