「寝耳に水」の金採掘計画ーーテキサス出身のカウボーイと北海道黒松内町の決断 #日本社会と外国人
69歳で米テキサス州から北海道黒松内町に移住し、理想の牧場づくりに挑むカウボーイがいる。ティム・ジョーンズさん(75)。彼が営むのは、耕作放棄地で牛を放牧し、土壌改善を促す「環境再生型農場」だ。配合飼料は与えず、牛は農薬や化学肥料を使わずに育った牧草を食べさせて肉牛を肥育している。牛舎で飼い、飼料を与える「和牛」の常識とはかけ離れたやり方に、地元の同業者は当初は戸惑った。ティムさんは肉を牧場で直販し、自然豊かな環境で育つ牛の姿を見てもらうことで、理解者を徐々に増やしていく。ところが移住4年目、ある開発計画が浮上する。近くの山で、外資系企業が金を採掘するというのだ。採掘による水の枯渇や汚染を懸念するティムさんは計画に反対し、地元で開かれた説明会は大荒れに。金か環境か。過疎の町が選択する未来とは。
▼人口約2300人の過疎の町へ移住してきたオールドカウボーイ
牛飼いのキャリアは60年以上。ティムさんはすべての牛に名前をつけている日本に住む外国人は2025年末で412万人と、過去最高を更新し続けている。北海道ではニセコや富良野などで富裕層を、農村地域では技能実習生を多く見かけるが、70歳近いカウボーイの新規就農者というのは他に例がないだろう。
「この土地や生態系を理解し、可能な限り最良の状態に回復させるために、できる限りのことを続けていきたい」
こう語るのは、札幌と函館のほぼ中間、豊かなブナ林が広がる黒松内町へ2020年に移住したティム・ジョーンズさんだ。
ティムさんは、1951年米テキサス州生まれ。カウボーイの本場で代々続く肉牛の繁殖を手がける牧場の4代目としてバトンを受け、1982年からは化学肥料や除草剤を使わない「環境再生型農場」を営んできた。ところが父の死後、遺産相続の関係で牧場を手放さなくてはならなくなり、妻・千絵さんの故郷である日本への移住を決めた。
「牛を使って地球環境を良くするという信念で動いている人。自分が生まれてから壊されてきた環境を、せめて自分が生まれる前の状態に戻したいという使命感を持っている」
千絵さんは夫と共に1年間、九州から北海道まで全国を回り、理想の牧場を開くための土地探しに明け暮れた。そうしてたどり着いたのが、黒松内町の限界集落。広大な耕作放棄地と、牛の飲み水にできる豊かな清流があることが決め手だった。
▼常識を覆す農法で耕作放棄地を生物多様性にあふれる環境に再生
人の背丈ほどある草もむしゃむしゃ食べるワイルドな牛たち2020年、2人は黒松内町東栄地区へ移住。20年近く耕作放棄地になっていた81ヘクタールの土地で、「グラッドニー牧場」を始めた。東栄地区は、住んでいたのは高齢の男性1人だけの限界集落で、「町の人でも、東栄ってどこ? と言うほど誰も通らない場所だった」と千絵さんは笑う。
ティムさんたちが営む「環境再生型農場」とはどういうものか。
「グラッドニー牧場では化学物質は一切使いません。全てが自然のまま。大切なのは、土壌の健全性です」
牧場では、アンガス牛を区画ごとに少しずつ移動させて周年放牧。耕作放棄地に生える天然の草を食べさせ、冬も近隣で仕入れた干し草とサトウ大根の搾りかすを固めたペレットだけで育てている。土地を耕さず、農薬や化学肥料は一切使わない。そうして牛糞(ふん)が自然に施された土壌には多種多様な微生物が息づくようになり、土中に二酸化炭素が還元されると言われている。
2026年8月現在、牛は約70頭。東京で暮らす娘と孫が休みのたびに手伝いに来るが、日ごろの世話は夫婦2人だけで行っている。
町内で酪農を営み、農業委員を務めていた武田吉正さんは、その型破りなスタイルを見て驚いた。
「牛の頭数から見て明らかに牛舎が小さすぎる。どうするんだと聞いたら、『冬でも外。餌も外にばらまく』と。すごい人が来たなと思った」
黒松内町には、黒毛和牛を育てる畜産農家が多い。サシの入った肉が良いとされる和牛肥育では、基本的に牛舎の中で飼い、配合飼料を与えるのが一般的。「けったいなことを始めた」「どうせうまくいかない」と、常識外れの異邦人を煙たがる人も少なくなかった。
北海道大学農学部で土壌の研究をしている内田義崇准教授は、ティムさんの牧場を見て、舌を巻いた。
「海藻以外なんでも生えている。放牧で牧草の種をまかないなんて聞いたことがない」
ティムさんは人工授精をせず、自然交配と自然分娩で頭数を増やし、牧場内には牧草の種子さえ持ち込まない。その取り組みを内田さんはこう解説する。
「畑を放っておくと、例えばササみたいな背が高い、本当に数種類の草で覆われてしまうことが多い。そうすると生物多様性も減ってしまう。そこに牛を入れるとササが減って、また違う草木が生えてきて、昆虫や鳥が来て……と環境が再生される。1種類の牧草が一面に生えていたほうが栄養価は分かりやすいけれど、環境再生型農場ではなるべくたくさんの種類の草を生かす。すると植物と植物同士が助け合い、肥料や農薬がなくてもきちんと生育する牧草地が育つ。ティムさんは、『勝手に生えてくる草をいかに効率良くお肉に変えていくか』を極めようとしています」
内田さんや他の研究者たちの調査によると、ティムさんが牛を放つ以前の土地よりも、定期的に牛を放牧した土地のほうが植物や昆虫の数は増加。微生物や魚のエサとなる幼虫も増え、牧場内のサクラマスの産卵床が増えるなど、牛が生物多様性の回復に寄与しているという。
▼育てた牛の肉を牧場で直売 地産地消の試みで築いた信頼関係
牧場で直売するのは基本的に塊肉。その場で切り分けてシェアする人たちも多いティムさんが「大きなチャレンジだった」と語るのは、「肉の直販」だ。
「アメリカ時代は繁殖農家だったため、ある程度まで牛を育てたら、売って終わり。最終的にどうやってお肉になり出荷されるかわからず、資本主義経済の歯車でしかなかった」
だが黒松内に来てからは、3年以上育てた牛を屠畜(とちく)に出し、その肉をグラッドニー牧場で消費者に直売することに挑んでいる。
「新聞に折込広告を入れて、牧場に来てくださいと呼びかけた。これが地域に受け入れてもらえるきっかけになったと思う」と千絵さんは言う。牛肉を買うために牧場に足を運ぶのは、ほとんどが近隣住民。彼らは豊かな環境でのびのびと草を食む牛の姿を見て、引き締まった赤身肉の塊を買って帰る。環境再生に挑むティムさんたちの実践に直に触れてもらうことで、「徐々に理解してくれる人が増えていった」。
ティムさんは日本語を全く話せない。それでも、近所の人たちのおしゃべりにも熱心に耳を傾ける。環境再生や地産地消の魅力だけでなく、ティムさんのこうした姿勢が信頼関係を築く礎になったことは間違いない。
▼「寝耳に水」牧場の隣地で突如浮上した金採掘計画
事業者は数年前から隣地に出入りして試掘権の申請をしていたが、ティムさんたちは何も知らなかった移住から4年が経った2024年春、突然役場から連絡が来た。
「グラッドニー牧場さんの隣の山で金の採掘計画があるので、関係者があいさつに行きたいと言っている」
寝耳に水で、2人は驚いた。聞けば、黒松内町と長万部町にまたがる山には、かつて日本有数の採掘量を誇る静狩金山があった。1943年、戦時下に金山は不要との理由で閉山したが、オーストラリア資本の事業者がその再開発を国に申請し、試掘権を得たという。
鉱業法の改正と金の最高値更新を受けて、国内各地で外国資本の企業による金採掘計画が進行している。北海道内では試掘の結果、高密度の鉱石が複数箇所で発見され、ゴールドラッシュを期待する人も少なくない。
金採掘予定地は牛が飲み水にする川の上流ティムさんは、計画を聞いてすぐに反対の意思を明確にした。アメリカで土砂の採掘現場を目の当たりにしていたからだ。
「自分の牧場内で採掘が行われたときはあちこちの水が枯渇し、採掘が終わった後もそこは何十年も生態系が崩れたままだった」
地下水脈が乱されたり鉱山からの廃水が川や土壌に流出したりすれば、この町に暮らす人々の生命を支える水に重大な影響を及ぼしてしまう。
「自分が人生をかけて環境再生に取り組む地の、よりによってすぐ隣で環境破壊の最たるものが行われる。すべて台無しにされるかもしれない失望感と怒りにさいなまれていた」と、千絵さんは夫の心境を推し量る。
▼外資系の採掘事業者による説明会で爆発した住民感情
住民説明会は、経産省と北海道庁が試掘権を認めた後に開催された2024年7月。事業者による地元住民への説明会が開かれた。ティムさんから環境破壊への懸念を聞いた住民有志が町内で告知ポスターを貼ったこともあり、会場は満席になった。
冒頭、事業者は「まずはボーリング調査で試掘を行い、もし金があったら本採掘を行うが、まだあくまで計画段階」「汚染水は一切出さない採掘」と説明した。だが具体的な工程表も示さず、メリットだけを語る事業者に対し、会は紛糾した。
「万が一、川に汚染水が流れたらどうするのか」「住民の同意が得られなかったら計画は中止するのか」。町民たちが次々と詰め寄った。「採掘予定地の隣にはグラッドニー牧場がある。ボーリング調査などの試掘は一切やめていただきたい」との声が出ると、拍手が沸き起こった。
事業者は「回答は第2回説明会時の宿題に」と繰り返し、説明会は予定時間を大幅に過ぎて終了した。会場を後にしたティムさんは、こう語った。
「地元の人たちがあんなに力強く意見を述べるとは思わなかった。自分も勇気をもらう、忘れられない日になった」
その後、住民有志による反対署名活動が始まった。ティムさんと千絵さんも、仲間と共にイベントなどで立て看板を持って署名活動をアピールした。
「ティムさんを守れば、黒松内も守れるから」。畜産関係の同業者もそう言いながら、一軒一軒回って賛同者を募ってくれた。
2024年11月、そうして集まった約2200筆が、黒松内町議会に届けられた。
議会は「環境破壊に通じるいかなる鉱山開発にも反対する決議案」を可決し、北海道庁と事業者に報告した。事業者は第2回説明会を開くことなく、翌2025年秋に日本法人を解散。試掘権は取り下げられた。
▼町を挙げて「環境再生型」に取り組み、新規就農者を増やす
旧武田牧場で始まった「めぐさとファーム」には、多くの見学者が訪れる2026年1月、黒松内町は「環境再生型農業」を推進する方針を発表。町が耕作放棄地を借り上げ、そこで環境再生型農業による新規就農希望者を育成するプロジェクトをスタートさせた。その先駆けとして、離農した酪農家の農地に羊を放牧する研究牧場「めぐさとファーム」を北海道大学と協働して設立した。
「ティムさんの成功例は日本の農業のひとつの未来じゃないかと思う」
研究者としてめぐさとファームに携わる北大の内田さんは、こう評価する。研究牧場でも、ティムさんの知見を生かしていくつもりだ。ティムさんも「これはサステナブルな未来に向けた大きな一歩」と同志が増えることを喜び、羊たちの様子を時折見に行っている。
「健全な土壌は、健全な人とコミュニティを育みます。私は黒松内町で、全員が協力し合い、支え合い続けられるようなドーナツ型の強固な循環型経済を築いていきたい。そうすれば、コミュニティの人々だけでなく、自然と共に生きる生態系との間にも、強いつながりが保たれると思います」
テキサスから来たカウボーイは、ここに骨を埋めるつもりだ。
監督・撮影・編集:池山珠子
プロデューサー:塚原沙耶、芹澤明彦
記事構成:国分高史
【この動画・記事は、Yahoo!ニュース エキスパート ドキュメンタリーの企画支援記事です。クリエイターが発案した企画について、編集チームが一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動はドキュメンタリー制作者をサポート・応援する目的で行っています。】
「#日本社会と外国人」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。2024年末の在留外国人数は前年より約11%増え、約377万人。日本の人口に占める割合は約3%です。訪日外国人旅行者も年々増加し、2024年には過去最高を記録しました。今後、日本社会は外国人とどう向き合い、どのような関係を築いていけばよいのでしょうか。さまざまな事例と共に考えます。