なぜリベラルは選挙で勝てないのか…「非自民」の世田谷区長が考える躍進した参政党と立憲民主党の決定的違い 区長がコロナ禍で痛感した野党の「覚悟」の欠落

立憲民主党や共産党が支持を伸ばせないのはなぜか。世田谷区長の保坂展人さんは「自民党が自壊している好機なのに、野党は市民参加型の政治を望む有権者や保守化傾向にある若い世代の受け皿になれていない」という――。

石破茂首相が退陣を表明し、早くも総裁選レースが動き出した。新総裁と今後の連立の枠組みなど政界再編に注目が集まるが、野党の動向についても検証したい。

7月の参院選では、自民・公明は大きく議席を減らし、与党は過半数割れとなった。その一方で、野党第一党の立憲民主党も改選22議席から上積みができず、政権批判の受け皿にはなれなかった。立憲民主党と選挙協力を行った共産党も、改選前の半分以下となる3議席にとどまった。なぜ、左派・リベラル勢力は振るわなかったのか。

既成政党への不満が高まる一方で、「日本人ファースト」に象徴される右派的主張を唱える参政党や、「手取りを増やす」を訴え、ポピュリズムを動かした国民民主党が躍進した。

出所=NHKが発表した開票結果をもとに編集部作成

東京都の世田谷区長を務める保坂展人さんは、かつて社民党の衆院議員として「自社さ政権」に参画し、自民党の議員たちとも政策の立案・決定などに携わってきた。

現在は、人口約92万人を抱える自治体の首長として、独自の政策に取り組んだことで保守層からも安定的な支持を得て、すでに4期目14年を数える。

ジャーナリストの亀井洋志がリベラル派の政治家の中で稀有な存在である保坂氏にインタビューし、国政でリベラル勢力が低迷している現状について原因を分析してもらった。

※インタビューは8月15日に実施しました。

立憲民主党の敗北

――参院選の結果、与党は非改選も含めて過半数(125議席)を割り、惨敗しました。その一方で立憲民主党は獲得議席が横ばいの22議席にとどまり、野党第一党としての存在感を示すことができませんでした。この結果をどう分析されますか。

【保坂】立憲民主党は獲得議席数だけを見れば現状維持ですが、事実上の敗北といわざるをえません。全国に32ある「1人区」のうち17選挙区で共産党の候補者が降りています。

一方で、保守票の食い合いも起きました。参政党が全選挙区に候補者を立て自民党の票を削ったことを考慮すれば、立憲民主党はかなりの苦戦だったと見るべきでしょう。事実、比例代表の得票数は国民民主党、参政党の後塵を拝し、野党3位でした。

有権者からすれば、石破茂首相と野田佳彦代表は同質・同類の政治家に見えたのではないでしょうか。二人は同じ年齢で、党首討論で互いを「(1990年代の)政治改革を知る世代の政治家」として評価し合っています。

選挙前から選挙後に至るまで大連立の噂が絶えないのも、両氏の関係に、自民党と立憲民主党の差異よりも共通項を感じる人が多かったからではないでしょうか。


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――野党間の政策協議がうまくいっていないとのご指摘ですが、保坂さんは国会議員時代に自民党・社民党・新党さきがけによる連立内閣「自社さ政権」の一員として、自民党議員らとも政策の立案を担いました。

【保坂】私は1996年に社民党から衆院議員に当選しました。当時は第2次橋本龍太郎内閣でしたが、「自社さ政権」の閣外協力の与党議員として政治家1年生をスタートしました。与野党として対決してきた自民党と旧社会党が手を握ったことで「野合」といわれ、評判は当時もいまもよくありませんが、結果として「自社さ」は4年半も続いたのです。

自民党の幹事長を務めていたのが加藤紘一氏で、この当時の自民党は旗印だった「改憲」をいったん封印したのです。改めて再評価されるべき「自社さ政権」ですが、日本の政治が「官僚型統制」を脱して「市民参画型」へと脱皮していく重要な時期にあって、意外なほどに成果はありました。

私が担当したのは「国家公務員倫理法」と「個人情報保護法」で、当時の辻元清美さん(現・立憲民主党)が担当したのが「情報公開法」と「特定非営利活動促進法(NPO法)」でした。国家主権的な旧来の制度に対して、国民主権、市民主権を対置させてきたのです。

1年生議員だった私は国会図書館に通って、山崎拓氏が座長だった与党政策調整会議に提出する国家公務員倫理法の原案を練る作業に没頭し、他の議員や官僚とも議論を重ねました。

また、社民党が連立政権から離脱してからも、私自身は力を入れたい「チャイルドライン設立支援」の政策テーマで超党派議連をつくり、事務局長として「児童虐待防止法」を議員立法として提出し、2000年に成立させました。

こうした経験からすると、自公が少数与党となっている今、政策をまとめて成果が出せる好機だと思います。しかし、こうした議員たちの熱意が見えてきません。たとえば、「選択的夫婦別姓」をめぐる議論にはほとんど前進が見られません。

また、戦後80年を経ても、太平洋戦争中の空襲などの民間被害者に対する国の救済を求める超党派議員立法は実現しておらず、国会での救済法案の審議も停滞したままです。

そのため、世田谷区では現在、民間空襲被害者に対し、戦災孤児や障害者手帳のない人も含め、自治体独自の支援策はできないかと検討しているところです。

「立憲共産党」というトラウマ

――共産党は東京選挙区の1議席と、比例当選が2議席にとどまりました。改選7議席から3議席まで後退しました。リベラル勢力が有権者の支持を回復するために必要なことは何でしょうか。

【保坂】参院選での1人区を巡る立憲民主党と共産党の共闘はぎりぎりのタイミングで広がり、自公の過半数割れという成果を出しました。

2021年の衆院選でも、立憲民主党や共産党などの野党が協力して210の小選挙区で統一候補を立てました。結果的には立憲民主党と共産党は議席を減らしたのですが、実は僅差で敗れた激戦区は多くあり、かなり健闘したのです。

自民党は危機感から「立憲共産党」と呼んで攻撃したのですが、立憲民主党側はそのトラウマを抱えることになった。このため、それ以降は積極的な共闘の呼びかけを控え、共産党が自主的に候補を降ろしてくれるのを待つという中途半端な姿勢に終始しています。

枝野幸男代表(当時)もわざわざ「共産党との連立政権は考えていない」などと表明していました。立憲民主党が単独政権を勝ち取る可能性は限りなく低く、野党間の選挙協力は避けて通れない。にもかかわらず、今回の参院選でも1人区をめぐる調整は遅れに遅れました。こうした及び腰な態度が今日のリベラル退潮に結びついていないか、しっかりと考え直すべきです。

そもそも、立憲民主党の結党の経緯を振り返ると、17年の衆院解散時、民進党(旧民主党)が希望の党に合流する際に、小池百合子氏が「排除の論理」を持ち出して、一部の議員の合流を拒みました。

改憲や安保法制への賛成を「踏み絵」にしたことに対し、枝野氏らリベラル派の議員が反発して新党を立ち上げる形で出発しています。


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【保坂】自民党は旧安部派を中心とした「政治とカネ」の問題に決着がつけられず、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との長年の癒着の歴史への調査も怠ってきました。

自民党の自壊が進み、4半世紀にわたって相互補完関係にあった公明党との選挙協力も十分に機能しなくなってきています。

長年にわたって自民党の政治体質を厳しく批判してきたのが、かつての民主党であり、現在の立憲民主党でした。

2024年10月の衆院選で自公は過半数割れになり、少数与党となった石破政権とどう向き合うかが注目されました。立憲民主党は予算委員長や法務委員長、憲法審査会長などの主要ポストを押さえましたが、この9カ月間で「新しい政治の形」が見えてこないことへの厳しい評価だったのかもしれません。

多くの人々にとって関心の高い「高額療養費制度」の自己負担上限の引き上げを中止に追い込みましたし、与党が多数の時代には数の力で拒否し続けてきた裏金議員の参考人質疑を実現するなど、成果はありました。

立憲民主党としても正念場だった年金制度改革関連法は、自公と修正協議を経て6月に成立させました。与党の原案に立憲が主張していた基礎年金の底上げ策を盛り込む形で修正したわけですが、年金制度の複雑さがあるとはいえ、重要な政治課題が有権者に正確に理解されたとは言い難い状況でした。

つまり、衆院選で自公を少数与党に転落させた後、「こんな政権をつくる」というビジョンを示せなかったことで、立憲民主党への期待値は下がっていったのだと思います。

立憲民主党と距離を置いた国民民主党

――国民民主党の玉木雄一郎代表との間で政策合意できなかったことも、立憲民主党にとって敗因の一つなのでしょうか。

【保坂】国民民主党の玉木雄一郎代表の、「立憲民主党とは共闘しないで距離を置く」という戦略に阻まれた部分もあります。

「選択的夫婦別姓」で立憲民主党と国民民主党はほぼ同じ法案を提出していながら、国民民主党は国会での政策共闘を頑なに拒みました。保守派の支持層が離れるのを気にしたのかもしれません。結局、野党間の足並みは揃わず、与党と国民民主党が消極的な姿勢を取ったため、選択的夫婦別姓制度の法案採決は見送られました。

立憲民主党と国民民主党はともに旧民主党ですが、国民民主党のほうは昔の民社党のように旧同盟系の労働組合出身の議員が多い。ところが、立憲民主党と距離を取り続けることで、「若い新党」の仮面を被ることに成功したといえます。

大通り公園で街頭演説をする玉木雄一郎氏(写真=ノウケイ314/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

また、両党は選挙協力を名目に政策協議を続けてきましたが、玉木氏が立憲民主党に迫ったのが憲法改正と、安保関連法、脱原発の見直しでした。

どちらかというと保守系寄りといわれる野田氏ですが、党の政策の根源に関わる問題ですので棚上げして受け入れるわけにはいかなかったのでしょう。


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【保坂】枝野氏は「立憲民主党はあなたです」をスローガンに、数合わせや密室政治といった永田町の論理に「市民参加型の政治」を対置させ、ボトムアップ型の政党ということをしきりに訴えてブームに乗りました。

ですが、「選挙の時にボランティアに来て下さい」「サポーターになると代表選の投票権があります」といっても、じゃあ選挙が終わって日常に戻った時にどれほど有権者の意向をくみ取ってくれるのか。それがいま政治の形として求められていることに、立憲民主党はほとんど応えられていなかったと感じます。

思い起こすのは、1964年に当時の社会党委員長だった成田知巳氏が、社会党が克服しなければならない3つの弱点として、①日常活動の不足②議員党的体質③労組依存――を挙げていることです。「成田3原則」と言います。

これは立憲民主党だけではなく、国民民主党にも当てはまることだと思いますが、政治主張こそ変化しても、60年経っても同じ体質を引きずっているというのはいかがなものかと思います。

共産党も有権者の声を聞いていますが、やはり最終的には上意下達型の中央集権政党です。特に無党派層の人たちから見ると、なかなかフラットで対等なヨコの関係にはなっていかないのです。

参政党が示した「参加型政党」の成功パターン

――参政党が14議席を獲得して躍進しましたが、この現象をどう見ますか。

既成政党が「政治のプロ」として上から目線で政策を説くのに対して、そうではない「ボトムアップ型」や「参加のプロセス」が新しい政党への期待を高めたといえます。

参政党は党費を払って党員になると、タウンミーティングやワークショップに参加・参画できるというチャネルがあって、政策形成を一緒にやる参加型政党のイメージをつくることに成功していると思います。

「食の安全」「オーガニック」をアピールし、ワクチン接種に懐疑的な人たちを取り込み、過去の戦争を正当化する復古主義的な主張まであります。ごった煮のような状態ですが、有権者が政治参加するために参加のプロセスを重視したさまざまな回路が用意されていたことに注目しています。

国民民主党も、SNSに上がる言説や街の声に敏感に反応しながら、「103万円の壁」や「もっと!手取りを増やす」という言葉を発信して身近みぢか感をつくり出したといえるでしょう。ただし、ワンフレーズ・ポリティクスだけでは政権運営はできません。

こうした事象は、昨年の都知事選で石丸伸二氏が165万票を獲得して“石丸現象”を起こしたことにも通じます。石丸氏が代表を務めていた政治団体「再生の道」は、今年の都議会議員選挙に続いて参院選でも議席がゼロでした。昨年の勢いは消えて、石丸氏も代表の座を去りました。

都知事選で街頭演説をする石丸伸二氏(有楽町イトシア前にて)(写真=ノウケイ314/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

石丸氏の政策は空洞で、都知事選挙で2位となったことで、新時代の政治家として「嵐の目」になると目されたものの、そうはならなかったのが現実です。世の中の移りかわりの早さを感じます。「政策は出さない。トップダウンではなくボトムアップで政策をつくる」みたいな呼びかけが、有権者にはフラットで対等なところからの発言とSNSの動画洪水で新鮮に映ったのは確かでしょう。


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――全国的に右派系の新党ブームが起きている中で、世田谷区も例に漏れず都議選の得票数ツートップを自民党と参政党が占め、参院選の投票先トップは国民民主党でした。なぜ世田谷区民はリベラルな区長を選んでいる一方、参院選や都議選では保守政党を選んでいるのでしょうか。

従来の「保守」「革新」という対立軸は、世田谷区にはあてはまりません。私自身が漸進的な改革、すなわち急進的ではない時間とプロセスを踏んで、じっくり対話を重ねて政策遂行するスタイルで区政にあたっています。

これまでの4回の選挙の中で、2期目、3期目、4期目と自民党推薦候補との一騎討ちが続きましたが、自民、公明支持者の半数の支持を得て、野党支持層の大半の支持と合わせて勝ってきました。

世田谷区の中で党派を超えた理解と支持が続いてきたのは、地方自治の特性だと思います。国政でどの政党に投票しようが、党派性を優先しない政策で戦う区長選は別というフレームができた結果だと考えています。

私としては、リベラルの限界がどこにあったのかを総括して、ボトムアップ型の政策形成を実らせていくことが重要だと考えています。

与党や内閣への対案というレベルではなく、各自治体や地方議員と連携しながら先駆的でオルタナティブな政策をつくり続けていきたいと思っています。

次の衆院選が日本の未来を左右する

――参院選の結果、二大政党制は遠のき、本格的な多党制になりました。この混沌とした状況から、今後、政局はどう動いていくと見ていますか。

93年の「非自民連立政権」、94年に発足した「自社さ政権」や09年発足の民主党、社民党、国民新党の3党連立政権など、この30年の間にさまざまな枠組みがありました。

自公が少数与党となり、今後は連立の枠組みをめぐり駆け引きが続くでしょう。自民党の右派、日本維新の会、参政党、日本保守党の塊ができるかもしれません。今後、石破氏に代わる総理・総裁が登場しても、必然的に多数派を取るために連立内閣の模索が始まっていくのではないか。

国民民主党の動向も大きな決め手になると思います。バスに乗り遅れるなとばかりに憲法も原発も安保法制も妥協して、立憲民主党が政策変更を迫られるような事態もないとは言えません。

近年、米国のトランプ大統領の「米国ファースト」や、欧州では反移民などを旗印にしたポピュリズム(大衆迎合主義)が台頭しています。世界各国で同時に起きている現象で、複雑な政治課題などを単純化し、反移民などの感情に訴える形で既存政党や政治家、既得権を持つ人々や大手メディアなどへの批判が巻き起こっています。

いま世界中がポピュリズムの嵐にのまれたり、逆に跳ね返したりしているけれども、日本で本格的な嵐の前触れが来たのが、「外国人問題」が政治課題に急浮上した今回の参院選です。

次の衆議院選挙では参院選で加速したポピュリズムの大勝利となるのか。あるいは、中道を含めたリベラル勢力がポピュリズムを押しとどめることができるのか。日本の民主主義が、その岐路に立たされていることはまちがいありません。

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