「バンドマン風の彼氏と同棲していた」学歴詐称の田久保市長、東洋大学の同級生が明かす“除籍までのキャンパスライフ”(文春オンライン)
「市民のための政治、市民ファーストを実現する」 5月の市長選で“伊東のジャンヌ・ダルク”こと田久保眞紀氏(55)は、そう自信満々に語っていた。 【画像】あどけない表情が残る中学時代の田久保眞紀氏 田久保氏が窮地に陥ったのは、当選から1カ月も経たない6月初旬のこと。市の広報誌で『東洋大学法学部卒業』と紹介した学歴について、〈中退どころか、私は除籍であったと記憶している〉という匿名の投書が、全市議宛に届いたのだ。 そこで市議会は、田久保氏に説明を求めた。青木敬博副議長が語る。 「彼女は卒業証書と主張する紙と卒業アルバムらしきものを持ってきて、チラッとだけ見せてきた。ほんの2、3秒。その後、本物の証書を確認したが、レイアウトなどが明らかに違った」 観念したのか7月2日、田久保氏は「除籍」だったと明かし、7日には辞任する意向を示していたが……。 「私に与えられた使命、改めてその使命を、私の全身全霊を傾けて実現してまいりたい」 7月31日、会見で涙ながらに“辞めるのをやめた”ことを表明したのだ。 いま、市議会は彼女の疑惑を巡って空転し、役所には4千件以上の抗議が殺到。市内の建設会社の社長が公職選挙法違反の疑いで告発状を提出し、捜査も始まった。なぜこの期に及んでも、彼女は辞めないのか――。 田久保氏は1970年、千葉県船橋市で生まれる。10歳で父親が亡くなり、不登校気味になって母親と伊東に移住。市立北中学に通う。地元の同級生の回想。 「3年の1学期に転校してきました。当時は目立たず、地味な印象でした。県立伊東城ケ崎高校(現在は閉校)に進み、郷土研究部に所属していました」 東洋大学入学を機に上京。キャンパスがあった朝霞台のアパートで暮らした。大学の同級生が話す。 「下宿先が一緒でした。彼女は学生時代、ロックバンドのボーカルだったそうですが当時、金髪でギターを背負ったバンドマン風の彼氏と同棲していた。けれど2年生になる頃、急に姿を見なくなったのです」 大学除籍後の経歴について田久保氏は、 「都内で出版社専属のバイク便のライダーや広告代理店の営業職を経験、イベント企画会社を起業したと語っている」(全国紙記者) ある市議はこう話す。 「イベント業務の中で、『司会をしたり、イベントコンパニオン、レースクイーンと仕事をする機会があった』と本人から聞きました」 そして2010年頃、彼女は伊東にUターンしてきた。田久保氏の知人が語る。 「お母さんは不動産管理の会社を経営していました。眞紀さんは自宅兼事務所に併設したオーガニックを売りにしたカフェを始めた」 その後、のめり込んだのが、2016年に持ち上がった伊豆高原メガソーラー計画の反対運動だ。 〈 この続き では、そんな彼女を支えた2人の男性「10年恋人」「番犬弁護士」の存在、2人への直撃を行っている。また、 第2弾記事 では12月まで市長でいた場合にもらえるボーナス額などを算出し、新たな証拠文書を入手した内容を詳報している〉
「週刊文春」編集部/週刊文春 2025年8月14日・21日号