短大卒、青山学院・文学部経由で27歳で医学部に 異色の医師が気づいた「回り道」の価値
自分は本当は何がしたいのか-。そんな疑問と向き合い続け、たどり着いたのが医師だった。東京都千代田区の総合病院で血液内科医として働く白杉由香理さん(64)は短大卒業後に青山学院大に編入、音楽業界での会社員生活を経て、27歳で医学部に入学し直した異色の経歴を持つ。「私は回り道のでこぼこ道を歩いてきたけど、無駄じゃなかった」。自身の経験を基に、自分が望む道を歩む大切さを伝えている。
高校卒業後、短大へ
中学・高校はミッション系の女子校に通っていた。新聞部の活動に没頭、成績は学年の「まんなかぐらい」だったという。
18歳のときの大学受験は、キリスト教系の青山学院大が第1志望。英語や国語など文系科目が得意で文系学部を選んだ。「何がしたいかではなく、何が得意かを軸に進路を決めました」。
しかし、受験ではアクシデントに見舞われる。併願校に選んだ短期大学の試験後にインフルエンザにかかり、第1志望の青山学院大の入試を断念することになってしまったのだ。「泣きましたね。今なら特効薬があるけど、寝ているしかなかったので」と振り返る。
結果に納得できないまま短大に進学したが、間もなく腹痛など心身に変調をきたすように。
「私は望んでここにいるわけではないという思いの一方で、入学金も払ってしまったし、行くしかない、とも…。そんないいかげんな気持ちで入学してしまったことも負い目に感じてしまった」
青山学院大に編入
自分は本当は何がしたいのか。改めて自問し、短大卒業後、受験時に第1志望だった青山学院大に編入することを決めた。文学部教育学科の2年次に編入し、心理学を専攻。同級生には、臨床心理士の資格取得などのために大学院に進学する人も多かったが、「これ以上、親に迷惑はかけられない」と卒業後は大手音響・映像メーカーの日本ビクター(現JVCケンウッド)に就職した。
日本ビクターでは、音楽事業を手掛ける子会社に配属。歌手やタレントたちと交わる華やかな業界だったが、心を壊す同僚も少なくなかった。
あるとき、心理カウンセラーの友人に「私に何かできることはあるかな」と相談したことがあった。いろいろと話をしたが、回答はいつも「根本的な治療を行えるのは医師だけだよ」という結論になっていた。
仕事は好きだったが、自分には本当にやるべきことがあるのではないか、という気持ちもあり、「困っている人を助けるために医師を目指したい」と考えるようになったという。26歳のときだった。
編入試験で医学部へ
当初、目指したのは、医学部の一般入試。だが、社会人になっていて勉強のブランクがあることや文系出身ということもあって、医学部試験は狭き門だなという思いもあった。
独学で勉強を始めて半年ほどたったとき、東海大医学部に2年次編入の試験があると知った。試験科目は英語と小論文、面接。一般入試よりも負担が少なく、得意の英語で挑戦できるということがメリットだった。
とはいえ、会社員として働きながらの勉強は想像以上に大変だった。平日は仕事を終えて帰宅後の3~4時間程度を試験勉強にあてた。大学受験での頻出英単語を暗記し、医学部の赤本で出題の感覚をつかんだ。
仕事の疲れから寝てしまうこともあったが、勉強を続ける支えになったのは飼い猫の存在。膝の上のぬくもりに救われ、「希望する将来に近づいている」との思いの原動力となり、勉強を続けることができたという。
試験本番では過去問とは異なるテーマが小論文試験に出て意表を突かれたが、後になって「出題者は、学生が想定外の状況に遭遇しても、真っすぐに向き合う言葉や姿勢を見たいんだな」と、思い直した。
面接では、ずらりと並んだ教授陣が威圧的だった。
一人の教授はメモを取る手元の紙から顔も上げず「どうして医者になりたいの? 音楽業界の仕事の方が楽しいんじゃない?」と聞いてきた。
緊張していたが、思わず言い返した。「華やかに見えますが、大変なことも多いんです」。ふと教授の手が止まり、こちらを見つめ、にやりと笑った。
「面接官に『生意気なやつだ』と思われて、絶対に落ちたと確信しました」と振り返るが、威勢の良さを買われたのか、見事合格した。
医師の白杉由香理さん(酒巻俊介撮影)勉強方法も変化
27歳で入学した東海大医学部では1学年120人のうち約1割が編入組だったという。「年齢が上の方かなと思っていたんですが、下から2番目に若くて驚きました」。外科医を目指して編入を決めたという50代の元高校教諭の男性ら、同級生には多様な経歴の人がいて刺激になった。
一方で、入学してからも勉強は大変だった。
解剖の授業で全身の部位や神経の名称などの丸暗記が課された。「語呂合わせを考えたり、覚える内容を録音して聞いたりする同級生もいました」。同級生たちとは、試験前には「勉強合宿」に励んだという。
勉強法にも変化があった。高校時代は、問題集の順番に一から解き始め、分からないことに遭遇すると調べる、という具合に勉強していた。だが、医学部では「分からない部分」に絞って勉強するように。分からない部分も自分で調べるのではなく、同級生らと一緒に学ぶことで、周囲の人に説明してもらうという手法をとった。
必死の勉強のかいもあり、医師国家試験に合格したのは33歳のときだった。短大から青山学院大、会社勤めを経て医師へ。「18歳の私が聞いたらきっと腰を抜かすと思います」と笑うが、患者の背景をイメージしやすくなるなど、会社員としての経験は医師としても役に立っているという。
最近は、診療科選びで悩む若手医師や中高生ら学生に自身の経験を語る機会があるというが、「何がやりたいのか」「何が好きなのか」を尋ねるようにしているという。
「道を変えたり、本当にやりたいことをやったほうがいい。『親に反対されて』というなら、親御さんと話し合ってとも伝えます」。
一方で、やりたいことがみつからなくても焦る必要はない、という。回り道を続けた自身の体験から「ショートカットだけが正解じゃない」と思っているからだ。(小川恵理子)