21年ぶり阪神復帰の元ドラ1・的場寛一氏が振り返る入団当時の苦悩「誰とも会いたくなかった」【前編】

2026.10.26 19:45 NEW

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Kenta Tazaki

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産経新聞社

タグ: NPB, スポーツ, ニュース, プロ野球, 入団会見, 的場寛一, 的場寛壱, 阪神タイガース

 阪神タイガースは26日、来季のファーム打撃コーチに的場寛一氏が就任することを発表した。2005年の退団以来、21年ぶりの古巣復帰となる。1999年のドラフト1位(逆指名)で入団した的場氏は、将来を嘱望される大型遊撃手だった。しかし、期待を背負ったプロ生活は決して順風満帆ではなかった。入団直後からスポーツ紙の報道に翻弄され、先輩選手から思わぬ誤解を受けることもあった。ドラフト1位ならではの重圧と、プロ入り当時の苦悩を振り返ったインタビューを、田崎健太氏の著書『ドライチ』から抜粋してお届けする。

「的場 上原撃てる」で1面!?

新入団発表会見に臨んだ当時の的場氏。【写真:産経新聞社】

   99年阪神タイガースドラフト1位の的場寛一が、メディアの恐ろしさを知ったのは、入団会見直後のことだった。    12月15日、ドラフトで指名された8選手が甲子園球場と合宿所を見学している。   「新聞記者の人から〝甲子園どうですか?〟って聞かれたので〝もう素敵ですね〟と。また別の記者が〝こんなところで左中間真っ二つのツーベースとか打ったらいいですよね〟と話しかけてきたんです。そりゃそうですよねと相づちを打った」    すると――。    翌日の『デイリースポーツ』紙の一面には甲子園球場に立つ的場の写真に〈いきなりイメージわいた 的場 上原撃てる〉という見出しが踊っている。   〈「一番、ショート・的場」。場内アナウンスを受け、緊張の甲子園初打席に立つ。マウンド上には、宿敵・巨人の上原が…。20勝投手の初球は真っすぐ。的場の打球は、快音を響かせた。弾丸ライナーで、あっという間に左中間フェンスに達していた。   「左中間を真っ二つ。悠々の二塁打でしたよ」    的場は、スコアボードを眺めながらニッコリ笑った。宿敵を打ち砕いた〝甲子園初打席初安打〟。約二秒間のイメージだったが、的場はプロとして生きていく姿を、しっかりと頭に描いていた〉(99年12月16日付)    的場とIBAFワールドカップ日本代表で同僚だった上原浩治は、前年に読売ジャイアンツに入り、20勝4敗という好成績を残していた。  

 的場は記者に上原と対戦して二塁打を打ちたいなどと話していない。全く違う内容の記事となっていたことに呆れていた。

突然の広報からの連絡

 さらに――。    正月、尼崎の実家に滞在していた的場の電話が鳴った。相手は阪神の広報担当者だった。   「元旦か2日だったと思います。大学が休みだったんで、ゆっくりしていたわけですよ。そうしたら〝的場君、1月4日空いている?〟と。自主トレ風景を撮影したいので、形式的に甲子園で練習して欲しいっていうんです」    いやいやいや、と的場は一度は断った。しかし、広報の説得で〝自主トレ〟をすることになった。   「ぼく、そのとき布団の中にいたんですよ。全然身体、動かしてなかったです。えらいこっちゃと、ボーイズ(リーグ時代)の友だちに連絡して、〝ちょっと手伝ってくれへんか〟と」    翌日の『デイリースポーツ』紙の記事はこうだ。   〈真冬とは思えないポカポカ陽気の中で「我が庭」となる甲子園球場の感触を存分に味わった。ランニング、キャッチボール、ペッパーと軽くこなし、約1時間で「甲子園独占自主トレ」をフィニッシュ。「人がいなかったから寂しかったですよ」というジョークも目は笑っていなかった。野村監督が今季に勝負をかけるように、的場もこのプロ1年目に自身の未来を見据えていた〉(2000年1月5日付)  

甲子園で自主トレを行った的場氏。【写真:産経新聞社】

   ドラフト1位、期待の新人選手が自ら志願し甲子園で自主トレを始めたという調子である。    的場はこう振り返る。   「内野には入れなかったんですよ。ファールゾーンと外野芝生は使ってもいいよと言われて。でも、友だちと二人でやれることなんか、知れてますよね。キャッチボール、ペッパー、トスバッティング、バッティングはできない。もうええの?っていう雰囲気で終わりました」  

 スポーツ新聞側から何らかの形で的場の記事を作りたいという要請があったか、あるいは、広報が気を利かせたか――。どちらにせよ、選手のため、ではなかった。

春季キャンプで気が付いた距離感

 2月、春のキャンプが始まると的場は自分に対する先輩選手たちの対応がよそよそしいことに気がついた。   「ファン感謝デーのとき、ぼくについての質問があったらしいんですけれど、〝大卒と言っても所詮アマチュアやから1年目は苦労すると思う〟っていうコメントばっかりなんです。俺、なんか悪いことしたかなぁと思ってました」    端正な顔立ちをした的場は、監督の野村克也から「ジャニーズ系」と称されていた。地元尼崎出身、見栄えのいい的場は、関西のメディアにとっては恰好の取材対象になっていた。   「関西と九州って温度差があるんです。関西のスポーツ紙にはぼくの記事が一杯出ていたらしいんですけど、(大学生活を過ごしている)九州では出ない。甲子園で志願の自主トレしたりとか、生意気な奴が入って来たと思われていたんです。先輩たちに挨拶したら、どうも風当たりが強い。そこで気がついたんです」    以降、的場は報道陣と距離を置くようになった。  

「何かを質問されても、そうですねと同意しない。一旦否定して、自分の言葉で言い直さないといけないことを学びました」

「すごい感じの悪い選手やったと思います」

 また、プロの練習の厳しさは想像以上だった。   「当時、暗黒時代の阪神だったじゃないですか? なめていたところがありました。大学ではショートのポジションに五、六人いますから、なかなか練習は回ってこない。プロは一対一」    キャンプ初日から周囲の選手との違いをまざまざと見せつけられた。   「プロの選手は派手さはないんですけれど、確実にボールを獲る。アマチュアはイレギュラーしたボールはなんとか獲れたとしても、送球がずれる。プロはちょっとイレギュラーしても何気なく捕球して、普通に投げる。難しいことを当たり前のように出来るのがプロ」    的場は「大学時代、さぼっていたつけが回ってきました」と苦笑いする。   「バッティング練習のときに脇腹を肉離れしました。やっぱりオーバーワークで飛ばしすぎたんでしょうね。平田(勝男)コーチは身体に異変があれば言ってこいよと気を遣ってもらいました。しかし、なかなか新人で痛いと言い出すことはできない。また、当時は新人はマッサージを受けることが出来なかった。身体に疲労が溜まるので、自分でマッサージ屋さんを探して通ってました」    プロ1年目の2000年シーズン、4月11日の読売ジャイアンツ戦で一軍デビューを飾った。5月24日の中日ドラゴンズ戦では初ヒットを記録している。

 ドラフト1位入団選手として追いかけられるプレッシャーは、的場を精神的に追い込んでいた。   「自分が喋ったことと違うことを書かれると、傷つくんですよ。今から考えると少し鬱病みたいになっていましたね。寮に住んでいたんですけれど、みんなと顔を合わせたくないから、朝早くとか夜遅くとか、人がいないときに風呂に入ったりとか。誰とも会いたくなかった。(球場や練習場でも)まずマスコミがいるかどうか見る。そしておらへんなと思ったら、ばーっと帰る。すごい感じの悪い選手やったと思いますよ、当時」  

(後編につづく)

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