8万人の街に1日9万人が押し寄せたのに…閉館から8年、廃墟のまま残る「解体されない駅前モール」の顛末(プレジデントオンライン)
兵庫県高砂市の山陽電鉄高砂駅から徒歩5分。シャッターを閉ざし、外壁が劣化した「サンモール高砂」が、閉館から8年が経過した今も残されている。1976年に三菱グループが開発し、開業2日目には人口約8万人の街に9万人を集めたモールは、街の期待を背負った存在だった。それがなぜ廃墟になったのか。ライターの坪川うたさんがリポートする――。(前編) 【写真をみる】閉館から8年以上、廃墟のまま残る「解体されない駅前モール」(実物) ■駅徒歩5分にそびえる“本物の廃墟” 兵庫県高砂市の山陽電鉄高砂駅近くに、閉店後もなお廃墟のまま放置されているモールがある。サンモール高砂だ。 本連載においては廃墟モールを下記のように定義しているが、今回のサンモール高砂はこの状態を通り越して本来の意味での“廃墟”になっている。 開くことのないシャッター。むき出しのまま、ガランとした空き区画。撤退したテナントに散乱する備品。買い物や食事を楽しむ人が少なく、ショッピングモールとしての賑わいが感じられない。 高砂駅から南へ徒歩5分ほど歩くと、「サンモール」と書かれた大きな塔屋が目に入る。近づくと、ショッピングモールらしい形の建物がそびえている。エスカレーターや中央の広場もそのままの姿で残っており、かつて買い物客が行き交った様子が想像できる。 しかし今は一面シャッターを下ろしており、そこに賑わいはない。外壁は著しく劣化しており、ボロボロである。フロアガイドは、時を止めたまま残されている。
■分譲マンションも併設した複合施設 サンモール高砂はなぜ廃墟となってしまったのだろうか。その盛衰を追っていく。 サンモール高砂は1976(昭和51)年3月、三菱製紙工場の土地にオープンした。高砂市が1968(昭和43)年に作成した「高砂地区再開発事業計画」に基づいて三菱商事が開発を進めることになり、さらにそれを三菱倉庫が受け継いで開発。モールの運営管理は、三菱倉庫が子会社の新葵サービスを設立し委託した。 駅から商店街をつなぐ255mの通路の両脇に東館と西館の2つの棟が建てられ、東館には専門店22店舗、西館には核テナントの西友ストアーと専門店32店舗が出店した。そのうち27店舗は地元店舗で構成。また、西館の4階〜10階は分譲マンションの高砂ハイツとされた。 『商業界』によると、「西友ストアーの売場面積は当初計画より4割近くも削減(中略)当初計画はもっと広大であったが、地元商業との調整の後、縮小された。そのため投資コストを償却するため一部が住宅となり42戸が入居している」という。(『商業界』1976年11月)かつては地元商店を保護する観点から、このように大型店の売場面積が削られるのが通例であった。 ■オープン2日目には9万人が押し寄せた サンモール高砂のオープン日には7万人、翌日の日曜日には9万人もの人が詰めかけた。(『三菱倉庫百年史』1988年3月)敷地面積は約1万8000平方メートル、50店舗強の中規模モールにこれだけの人が集まったとは、さぞ賑わったに違いない。当時の高砂市の人口は約8万人であり、高砂市民のみならず、近隣市町村の住民がサンモール高砂に期待を寄せて来店した様子が目に浮かぶ。 オープン2年目の1977(昭和52)年の売り上げは前年に対し12%伸長していることから、好調に推移していたことがうかがえる。 しかしその後、隣接する姫路市や加古川市で大型ショッピングセンターの建設計画が浮上する。そこでサンモール高砂は競合に対抗するため、1978(昭和53)年に南館を増築した。南館にはスイミングスクールや音楽教室、文化教室が集められ、ほかに3つの専門店も加わった。 特にスイミングスクールによる商圏拡大の効果が大きく、1978(昭和53)年の売上伸長率18%となった。スイミングスクールは会員数の増加からキャパシティ不足となり、1980(昭和55)年に増改築するほど人気だった。 東館の屋上に子どもが自由に遊べるちびっ子広場が設けられたり、地元の人々による作品展などさまざまなイベントが催されたりと、地域の人々が楽しむ場になっていた。