【敬老の日】47歳で初めて「バスの座席」を譲られた話 / 父の教訓とこれから譲られる人たちへ
本日、2025年9月15日は「敬老の日」である。「敬老の日」は1966年に制定され「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨としているそうだ。
さて、47歳の私、P.K.サンジュンはまだまだ現役バリバリであり「敬老の日」は “敬う側” にいる……つもりであった。ただ実際にはもう “敬われる側” に立っているのかもしれない。
・2025年7月24日
今でも忘れない、あれは今年7月24日のこと。その日、私は珍しく都営バスに乗っていた。乗車していたのはせいぜい15分ほどであるが、乗車してほどなく席を譲られてしまったのである。
席を譲ってくれたのは、制服を着た男の子。おそらく小学校高学年だと思われるが、席を立った彼は私に向かって元気よく「どうぞ!」と声をかけてくれたのだ。
あまりにも唐突 & 人生初体験で驚いてしまったが、私は「あ、あ、ありがとう!」となるべく元気に返事をし、ありがたく席を譲ってもらった。
自分で言うのは何だが、20歳くらいの頃から「若い若い」と言われて数十年が経つ。47歳なので初老に片足を突っ込んでいることは自覚しているが、それでも見た目は若い方だと思っている。
・教訓
それだけにやや自尊心が傷ついたことは否定しないが、先述のように私は素直に席を譲ってもらった。これには過去に聞いた「父の教訓」が生きていたからだ。
あれはもう20年以上前のこと。当時50代半ばだった父が帰宅すると、一気にこうまくし立ててきたのである。
父「おい、さっき電車の中で女子高生に席を譲られちゃったよ! そんなに老けて見えるか? とっさに “結構です!” と断ったよ。失礼しちゃうよな~!」
当時、父はすでに白髪がほぼ完成しており、正直老人に見えないことも無かった。ただ体力はそれなりにあったうえ、毎日顔を合わせる家族である。私も老人だとは思っていなかった。
とはいえ、声をかけてくれた女子高生からすれば「席を譲るべきご老人」に見えたのだろう。その時、父とどんな話をしたかまでは覚えていないが「勇気を出して譲ってくれた子に申し訳ない」と感じたことは覚えている。
なのでかなりビックリしたが、私が咄嗟に「ありがとう!」と言えたのも、大人しく席を譲ってもらったのも父の教訓が生きていたからであろう。ある意味で、父の借りを私が返したと言えるのではないだろうか?
・提言
以上のことから、これから「人生初の席譲られ」を経験するみなさんに「その時はありがたく譲られろ」と提言したい。悪意で席を譲る人はいないハズ。しかも声をかけるにはなかなかの勇気が必要だ。
その気持ちを汲み、その場は席を譲られ「年寄りに見えたのかな?」なんてちっぽけなプライドは後々自分で処理すべし。あの男の子には私が「席を譲るべき老人」に見えたのだろう。まあ、しゃーない。
想像より10年は早かったが、私は47歳にして初めて席を譲られてしまった。あの時の男の子、どうもありがとう! いつまでもその親切な気持ちを忘れずにいてください──。
参考リンク:今日は何の日 執筆:P.K.サンジュン Photo:RocketNews24.
▼即ポストしました。
【速報】生まれて初めてバスで小学生に席を譲られる
ジジイやないか!
— P.K.サンジュン (@sanjun27) July 24, 2025