中日交渉決裂→巨人入りに「衝撃でした」 年俸大減額…突然"消えた相棒"
元中日内野手でNPB通算2045安打を放った荒木雅博氏(野球評論家)は現役時代、練習の虫として知られた。何事にも貪欲な姿勢で、絶えず自身にプラス材料を重ねてもいった。それはベテランになっても変わらない。プロ17年目の2012年シーズンは、中日の偉大なOBでもある高木守道監督に二塁守備について質問したり……。「野球に情熱があって、勝ちたいという気持ちが強い人でしたね」。また勉強になったという。
落合博満監督時代の2010年と2011年は二塁から遊撃にコンバートとなった荒木氏だが、2012年からの高木監督体制では二塁に復帰した。遊撃経験も生かしての再出発にあたって、現役時代に通算2274安打、236本塁打、813打点、369盗塁、さらには華麗な二塁守備で知られた高木監督は最高の先生だったことだろう。「守道さんは感覚でいろいろ話をされる。バックトスとか、どんな感じでやられていたのか。そんな話もしてもらって面白かったですね」。
高木監督といえば現役時代の「バックトス」は代名詞的なプレー。研究熱心でもある荒木氏は興味津々に耳を傾けた。「極意は特に教えてもらえなかったんですけどね。プロなんだから、自分の好きなようにやって、結果だけ出せっていう感じの人でもあったので、なんかあまり細かい制限がなかったですね」。決して口数が多い人ではなく「会話が弾んだわけではないんですけど、僕はけっこう話してもらったと思います」と当時を思い起こした。
高木監督の1992年~1995年までの中日第1期監督時代は荒木氏の入団前。2012年からの第2期で初めて、その下でプレーしたが、現役時代から瞬間湯沸かし器の異名も持つ指揮官には「その時、その時で怒られました」という。「ただ怒ったら、その時だけで終わる。次の日はケロリなんです」とも。「ホントに野球に情熱があって勝ちたいというのが強い。(元中日監督の)星野(仙一)さんもそりゃあ強かったけど、守道さんにはそれ以上じゃないかなというくらいのものを感じました」。
2012年の荒木氏は129試合に出場、打率.251、3本塁打、31打点、12盗塁。7月には左太腿裏肉離れで一時離脱した。「そのあたりから、そういう怪我が毎年でしたね」。それでも不屈の闘志で早期復帰しての結果だった。中日はレギュラーシーズン2位。クライマックス・シリーズ(CS)ファーストステージは3位・ヤクルトを2勝1敗で撃破。1位・巨人とのファイナルステージでも3連勝して日本シリーズ進出に王手をかけたが、そこから3連敗で敗退となった。
2013年は12年ぶりに規定打席に到達できず…チームも4位と悔しいシーズン
荒木氏はCS全試合に2番二塁で出場。巨人とのファイナルステージでは6試合連続安打と気を吐いたが、あと1勝足りなかった。落合監督時代の2007年に2位からCSを勝ち上がり、日本シリーズを制覇した経験もあり、その再現と行きたいところだったが、この年は及ばなかった。「(日本シリーズに)行けると思いましたけどねぇ」と言い「あれから中日はCSに出ていないんですもんねぇ……」と寂しげな表情も浮かべた。
高木中日2年目の翌2013年は、巻き返しどころか、もっと悔しい結果になった。プロ18年目の荒木氏は、調子もいまひとつでスタメン落ちも増え、12年ぶりに規定打席に到達できず、打率.222、0本塁打、19打点、12盗塁の成績で終わった。チームも12年ぶりのBクラスとなる4位。高木監督は退任となった。勝ちたい気持ちが誰よりも強い中日二塁手の偉大な大先輩からいろいろなことを学んだが、恩返しができなかった。
さらには“アライバコンビ”を組んできた井端弘和内野手が年俸問題で中日を退団、巨人入りという事態も発生した。「衝撃でしたね。ジャイアンツというのもね。井端さんが他のチームに行くなんて頭にもなかったし……。でも、こうなった以上は、今まで井端さんに教えてもらったのを、次にショートに来るヤツ、若いヤツとまた話しながら、そのうち、自分が外れていくだろうから、そこでまた、いい二遊間ができていけばいいのかなという感じでやっていましたけどね」。
ただし、そう言いながらも荒木氏は、また練習に練習を重ねた。「年をとっても練習はしましたよ」。30代後半、年齢的にも厳しい状況が近づいているのはわかっていても、いつの時代もできることはすべてやり尽くす。その姿勢は変わることなく、貪欲にまた前を向いた。チームが落合GM、谷繁元信監督兼捕手の新体制となった中、世代交代の波との闘いも始まった
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)