【大河ドラマ べらぼう】第23回「我こそは江戸一利者なり」回想 蔦重が10年かけて積み上げたブランディング 最後のピースが「日本橋」だった 背中を押す瀬川や源内の言葉 蔦重覚悟の「階段登り」
ヒット作連発!ピークを迎える蔦重の出版事業
大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、第23回「我こそは江戸一利者なり」では、いよいよピークを迎える蔦屋重三郎(蔦重、横浜流星さん)の出版事業の隆盛ぶりを紹介、日本橋進出を決断する重要なシーンが描かれました。時は天明3年(1783)。吉原の五十間道で蔦重が本屋を始めてから(1772年)およそ10年の月日が流れました。蔦重は働き盛りの34歳でした。(ドラマの場面写真はNHK提供)
成功の軸のひとつとなったのは蔦重の人柄がもたらした多様な人間関係。大田南畝(四方赤良)ら狂歌界のスターたちはその代表格でしょう。「浜のきさご」は狂歌の作法書。庶民にも広がった狂歌ブームを背景に、売れに売れました。
流行に乗り遅れまいと、幕臣の長谷川平蔵(中村隼人さん)たちもしっかりこの「浜のきさご」で学んでいました。
大田南畝 編『狂歌/浜のきさご』(江戸東京博物館所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100414278このほかにもこの天明3年には、耕書堂から多数のヒット作が世に出ました。ジャンルの幅広さにも驚かされます。
北尾政美(のちの鍬形蕙斎けいさい、高島豪志さん)が挿絵を付け、四方赤良(大田南畝)が書いた青本の「寿塩商婚礼ことぶきしおあきないこんれい」。日本の文化に夢中になった唐の国の人のお話です。ここにも「耕書堂」が登場しています。さらりと存在をアピール。
四方 作 ほか『此奴和日本 : 2巻』,[蔦屋重三郎],[天明4(1784)]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892502左側に「耕書堂」の文字が見えます奈蒔野馬乎人なまけのばかひと(志水燕十しみずえんじゅう)の作、歌麿が挿絵を付けた「啌多雁取帳うそしっかりがんとりちょう」は奇想天外です。 奈蒔野馬乎人作 ほか『[啌多雁取帳]』,[蔦屋重三郎],[天明3(1783)]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10300979主人公の金十郎は雁の国に行き、池で凍り付いた雁を捕まえて腰に挟んだところ、朝日で氷が解けて、金十郎は雁と一緒に飛びあがります。 奈蒔野馬乎人 作 ほか『[啌多雁取帳]』,[蔦屋重三郎],[天明3(1783)]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/10300979巨人の国に行くなど諸国漫遊の旅です。「ニルスのふしぎな旅」を思わせる魅力的なストーリーで、様々な民間伝承や先行の黄表紙のモチーフを組み合わせたお話です。歌麿の挿絵も味わいがあります。 北尾政演筆「青楼名君自筆集」江戸時代・天明4年(1784) 東京国立博物館蔵出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)北尾政演(山東京伝、古川雄大さん)の作品でも美しい錦絵のシリーズ「青楼名君自筆集」を世に問い、大いに名を売りました。地方を中心にマーケットをつかんだ往来物(こども向けの教科書)や、浄瑠璃のスター、富本豊前太夫(馬面太夫、寛一郎さん)との深い絆で独占販売権を確保した富本本、さらに蔦重の商売の原点ともいえる「吉原細見」など、耕書堂は硬軟取り混ぜて充実のラインナップを実現。御城下でトップの目利きという意味で「江戸一の利者」と言われ、もてはやされるようになったのも当然でしょう。
『百姓往来』安永9年〈江戸〉蔦屋重三郎 (東京書籍株式会社付設教科書図書館東書文庫所蔵) 出典: 国書データベース,https://doi.org/10.20730/100264891「いい気になっている」蔦重の狙い
江戸のセレブリティの仲間入りをした蔦重。有力者とのお付き合いも増えます。吉原と距離を置く言動も目立ってきました。幕臣の実力者、勘定組頭の土山宗次郎(栁俊太郎さん)や、出版界の重鎮、須原屋(里見浩太朗さん)から「日本橋に進出したらどうか」と誘われるほどに。もちろん、本人も揺れ動きます。
こういう蔦重の様子に、養父として幼少期から蔦重を見守って来た駿河屋(高橋克実さん)は「いい気になってやしないか?」と苦言を呈します。
駿河屋の警告は、蔦重を愛するがゆえの親心でしょう。また、これほど成功していい気にならない方が不思議でもあります。が、蔦重の場合、「いい気になっている」ような振る舞いにもある種の計算があったのではないでしょうか。
自ら広告塔になり、商品をプロモーション
東京国立博物館で開催された特別展「蔦屋重三郎 コンテンツビジネスの風雲児」図録の「総説 蔦屋重三郎のビジネスモデルー経営戦略の『巧思巧賛』」で、同博物館の松嶋雅人学芸企画部長は「蔦重版の出版物、とくに黄表紙には蔦重自身が数多く登場する」と指摘します。
「べらぼう」第16回「さらば源内、見立ては蓬莱」のシーンから第16回「さらば源内、見立ては蓬莱」、第17回「乱れ咲き往来の桜」のエピソードを振り返ります。「見立蓬莱」(1780年)では最後のページに蔦重を思わせる男が登場。芝居の幕を開けつつ、「次の作品を期待してください」と紙面を使ったパフォーマンスを披露しました。
『見立蓬莱 : 2巻』,[蔦屋重三郎],[安永9 (1780) ]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/8929638 「べらぼう」第17回「乱れ咲き往来の桜」のシーンから時期を合わせて、評判の舞台に蔦重を思わせる本屋のキャラクターが登場しました。台本作家の取材に協力する代わりに、劇中で蔦屋の存在をアピールする機会を設けてもらったのでした。
「べらぼう」第17回「乱れ咲き往来の桜」のシーンから芝居好きの市中のお嬢さんたちが耕書堂に押し寄せ、「聖地巡礼」で賑わったシーンは印象的でした。蔦重の計画通りだったでしょう。
京傳 作『箱入娘面屋人魚 3巻』,蔦唐丸,寛政3 (1791) 序. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892706蔦重本人が「まじめなる口上」を述べる姿。出版の経緯を説明している「楽屋落ち」です。「べらぼう」をきっかけに、現代人の私たちにもおなじみの絵柄になりました。当時の人たちにとっても同じだったでしょう。
恋川春町 戯作『吉原大通会 : 3巻』,[岩戸屋源八],[天明4(1784)]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9892509扮装をした狂歌師たちが集まるなか、蔦重(前列左から2人目)は普段通りの恰好。筆と硯を持ち、座にいる面々に執筆を依頼する構えです。北尾政演の枕絵本(春画)にも蔦重らしい人が登場するなど、自分をネタにする手法は蔦重の得意のものでした。東博の松嶋学芸企画部長は「(蔦重)自らが出版物に登場するのは、読者側から見れば『楽屋落ち』として、身内だけの光景を垣間見るという好奇心を満たすことになるかもしれない。しかし蔦重は自らが広告塔となって、商品のプロモーションを行っているのである」と蔦重展の図録に書きます。
力士との宴席も何気なく挟まれたシーンではありません。この時期、江戸の相撲人気は絶頂を迎えていました。蔦重がトレンドを見逃す訳もなく、蔦重はこのあと相撲絵にも進出します。
勝川春英筆「梶浜・陣幕」江戸時代・18世紀 東京国立博物館 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)蔦重の「目立ちたがり」や「いい気になっている」という部分もあったかもしれませんが、振り返ってみると冷静に自己を露出し、売り物の書籍と店の「耕書堂」をプロモーション。10年かけてじっくりとブランディングを進めてきた姿が浮き彫りになってきます。
「金一升、土一升」最高峰の商業地「日本橋」
これまでは吉原出身という強みを生かし、その人的資源をフル活用することで出版事業を大きくした蔦重。駿河屋が「吉原のおかげでお前はここまでになれた。オレたちが手を引いたらその日に潰れる」というのも一面の真実でしょう。しかしこれからの蔦重が販路を一層拡大し、ブランディングもさらに強化して、もう一段上の次元のビジネスを目指すとなると、「吉原」に拘ることはかえって足枷になってしまいます。
歌川広重筆「東海道五拾三次 日本橋 朝之景」出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)それでは蔦重にとって新天地となるべく運命づけられた「日本橋」とはどういう場所なのでしょうか。
鈴木理生・鈴木浩三『ビジュアルでわかる 江戸・東京の地理と歴史』(日本実業出版社刊)から転載。著者の許可を得て一部加工。日本橋は1603年(慶長8)、江戸幕府の開府と同時に完成し、翌04年(慶長9)に五街道の起点として定められました。陸運はもちろん水運も至便で、各地から集まる人とモノで橋を中心に街は大いににぎわいます。江戸の交通・物流・文化の一大拠点となりました。
歌川広重筆「名所江戸百景・するがてふ」 江戸時代・安政3年(1856) 東京国立博物館出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)通りの両側に立ち並んでいるのは、現在の日本橋三越の前身である越後屋呉服店です。背景の富士とあわせて江戸の繁栄を象徴する街並みです。
歌川広重筆「名所江戸百景・日本橋通一丁目略図」江戸時代・安政5年(1858) 東京国立博物館蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)こちらはやはり名門呉服店の白木屋。のちに東急百貨店日本橋店となり、現在はコレド日本橋が立地しています。
松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』[1],須原屋伊八[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2559040蔦重のライバル、鶴屋など江戸を代表する本屋も数多く立地していました。現在も日本橋から指呼の間に三越や高島屋、コレドなど大型商業施設が立ち並びます。江戸時代以来の伝統を誇る老舗も多く残り、東京を代表する繁華街のひとつです。往時をしのぶには十分な景観が広がっています。江戸時代はその繁栄ぶりを反映して格式も地価も高く、「土一升、金一升」と称されるほどでした。
破天荒な成りあがり 日本橋進出
この橋のたもとに立つと、何の後ろ盾も資本もなく、江戸の外れでちっぽけな店を始めた蔦重が、わずか10年でこの日本橋に進出するということがいかに破天荒な成りあがりだったかという事を実感できます。現代のアントレプレナー(起業家)が、無一文から10年で東京都心に本社屋を構える会社を立ち上げることに擬えてみれば、その困難さは身近に感じられるでしょうか。しかも蔦重は江戸市中で露骨に差別される吉原出身者です。
源内、瀬川、忘八…思い託され「日本橋」へ
冷静に考えればリスクだらけの日本橋進出。逡巡する蔦重の背中を瀬川や源内、意次らの言葉が押しました。
「重三が夢をうつつにしたいなら、よけいなもの(瀬川)は抱え込んじゃならない。あんたには夢を見続けてほしい」と言い残し、吉原から姿を消した瀬川。「夢を現にする」事は彼女の願いでもあります。「まかせたぜ、蔦の重三」。
「蔦重の使命は書を以て世を耕し、この日本をもっともっと豊かな国にすることだ」と語り、蔦重に明確な目標を与えてくれた源内。耕書堂の本を広く日本じゅうに届けるには、日本橋進出以外の方法はありません。
「吉原に人を呼ぶために、お前は何かしているのか」と問うた意次。権力に阿るのではなく、自分の才覚で道を拓け、と蔦重に起業家精神を植え付けました。
蔦重の日本橋進出に反対した忘八たちの悲惨な姿が、結果的に蔦重の背中を最後に押しました。ごひいきの葬儀に呼ばれても、結局は一段下に置かれて濡れネズミになって吉原に戻ってきました。吉原が置かれた現状は変わっていません。
「何がどう転んだって、オレだけは隣にいるからさ」。歌麿が支えれくれます。蔦重の決意に向けた脚本の運びが見事でした。
「生まれや育ちなんて人の値打ちとは関わりねえ」
「日本橋に移りてえ」と決意を明らかにし、いつものごとく駿河屋にぶっ飛ばされますが、蔦重は一歩も引きません。何度も繰り返された「階段落ち」ですが、今回の蔦重は階段を一歩一歩登って意思表明しました。強い覚悟の現れでしょう。
「江戸のはずれの吉原もんが日本橋の真ん中に店張るんです。そこで商いを切り回せば、誰にも蔑まれたりしねえ。吉原は親もねえ子を拾ってあそこまでにしてやんだって」「オレみてえな奴が成りあがりゃ、生まれや育ちなんて人の値打ちとは関わりねえ、屁みてえなもんだって証になります。この町に育ててもらった拾い子の、一等でけえ恩返しになりやしませんか」。
その言葉に忘八たちも心揺さぶられました。りつに「勝ち目」を聞かれた蔦重。「歌麿、まあさん、春町先生、重政先生、政演、太夫、三和さん、燕十さん、政美。オレの抱えは日本一」ときっぱり。「おれに足りないのは日本橋だけなんでさ」。一世一代の大見得でついに忘八たちに認められ、日本橋へのスタートラインに立った蔦重です。
とはいえ前途は多難。移転先候補の書店の丸屋は経営難で店を畳み、引き取り手を探しています。しかし店の一人娘のてい(橋本愛さん)は買い手を探してくれるという鶴屋に「吉原の蔦屋耕書堂だけは一万両積まれてもダメ」ときっぱり。店がつぶれたのは主人が吉原で散財したせい、という間の悪さです。いったい、蔦重はどうやってこの難関を突破するのでしょうか。
蝦夷地をめぐる工作、功を奏するのか
蝦夷地を松前藩から取り上げ、幕府の直轄領にしようともくろむ意次たちの作戦。意知(宮沢氷魚さん)の身請けを条件に裏工作に関わることになった誰袖(福原遥さん)、松前藩の江戸家老、廣年(ひょうろくさん)を猛烈な攻勢を仕掛けます。
御法度であるロシアとの密貿易を実行させ、その証拠を得ることが、松前藩の弱みを握る近道です。意知の意を受けた誰袖は、廣年に直接ロシアと取引して実入りを増やし、もっと吉原に通うよう迫ります。
バレれば家を傾けかねない重罪だけに廣年はいったん断りますが、花魁の涙にはあっさり白旗でした。
「いつの日か身請けを」という誰袖。その言葉が向けられているのは廣年ではなく、もちろん意知です。
いまいち、本心が読めない意知ですが、誰袖の行動力、知力、度胸、魅力をどう感じたでしょうか。
一方、意知から「蝦夷地に一枚嚙まないか」と誘われた蔦重。とてもその余力はないと断りました。
しかし意味深な蝦夷地の地図を須原屋に見せられ、何かを吹き込まれます。蝦夷地構想の行方と蔦重の関わりはまだまだ奥がありそうです。
佐野政言、徐々に追い詰められる
最後のこの人。だんだん精神的に追い詰められつつあります。
旗本の佐野政言(矢本悠馬さん)、意次に近い土山に近づこうとしますが、平蔵のようにはうまく立ち回れません。焦りは募ります。
父から「ところで佐野の桜はいつ咲くのか」と尋ねられますが、任官のあてはない政言はうまく答えられません。田沼親子の運命を大きく変える江戸城の刃傷事件まであと1年あまり。佐野を巡るストーリーもさらに緊迫してくることでしょう。 (美術展ナビ編集班 岡部匡志) <あわせて読みたい>
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