熱力学第3法則は「独立原理」ではなく実は第2法則から自然に導けた
私たちはふだん、氷が張ったり雪が降ったりすることから、「冷たい」と感じる温度に対して漠然としたイメージを持っています。
しかし、「冷たい」という感覚をさらに突き詰めていくと、いつか「これ以上冷たくならない」という究極の温度にたどりつきます。
それが「絶対零度」(摂氏マイナス273.15℃)と呼ばれる、理論的にこれ以下は存在し得ないとされる最低の温度です。
絶対零度に近づくにつれて、物質の性質はそれまでとは大きく異なったふるまいを見せるようになります。
その代表的な変化が「エントロピー(乱雑さ)の減少」です。
エントロピーとは物質の状態の乱雑さや不規則さを示すもので、高温では分子が激しく動き回って乱雑な状態にあり、エントロピーも大きくなります。
一方、温度を下げていくと分子の動きは次第にゆるやかになり、乱雑さも小さくなっていきます。
絶対零度に限りなく近づくと、分子はほとんど動きを止め、まるで静止したかのような整然とした状態になり、エントロピーも限りなくゼロに近づくと考えられています。
この不思議な現象に最初に本格的に取り組んだのが、20世紀初頭のドイツの化学者、ワルター・ネルンストでした。
ネルンストは、さまざまな物質を極めて低い温度にまで冷却する数多くの実験を行い、「物質の温度が絶対零度に近づくと、その物質が外部と交換できるエントロピーが限りなくゼロに近づいていく」という極めて重要な性質を発見しました。
この1905年のネルンストによる発見は、「ネルンストの熱定理」と呼ばれ、のちに「熱力学第三法則」として教科書に掲載されるようになります。
しかし、このネルンストの画期的な発見には、当時の物理学者や化学者を悩ませる大きな課題がありました。
それは、すでに19世紀から物理学における基本的な原理として確立されていた「熱力学第二法則」との整合性の問題です。
熱力学三大法則まとめ / Credit:川勝康弘第二法則とは、「宇宙全体のエントロピーは決して減少せず、必ず増加する方向に進む」というもので、時間の流れやエネルギーの方向性を定める熱力学の最も重要な基本原理として知られていました。
ネルンストが発見した絶対零度付近の現象、つまり「温度が下がるとエントロピーがゼロに近づく」という性質が、本当にこの第二法則と矛盾なく共存できるのかという点が明確ではなかったのです。
ネルンスト自身も、この疑問を解消し自分の新しい発見をなんとか第二法則の枠内で説明しようと試みました。
そして1912年、ネルンストはそのために重要な理論的思考実験を提唱します。
その思考実験とは、「もし絶対零度という究極の低温が実際に到達可能であるならば、その絶対零度を冷却源として使った理想的な熱機関(エンジン)を作れることになる」というものです。
このエンジンは絶対零度の環境を利用することで、取り込んだ熱エネルギーを100%完全に仕事(運動エネルギーなどの有益なエネルギー)へと変換できるという理論上の装置でした。
もしこれが実現できれば、「宇宙のエントロピーは必ず増える」という第二法則を破り、エントロピーを減少させることさえ可能となってしまいます。
このような矛盾を避けるため、ネルンストは「絶対零度には決して到達できない(不可到達原理)」という彼自身の結論を「第二法則に背けないことを示す」という背理法的に導きました。
つまりネルンストの議論の本質は、『絶対零度への到達不能性』という結論が第二法則を守るための論理的帰結であり、『第三法則』という独立した法則を意図していたわけではなかったと考えられています。
より簡単に言えば、ネルンストは「第二法則を絶対零度の世界まで押し広げたかった」わけです。
しかし結果は彼の思惑通りにはなりませんでした。
その主な要因が、のちに20世紀最大の物理学者として名を馳せる、若き日のアルベルト・アインシュタインの主張でした。
ネルンストの議論が物理学界の関心を集めていた1910年代前半、アインシュタインはすでに特殊相対性理論や光量子仮説を提唱し、その非凡な才能を示していましたが、熱力学の分野でも鋭い洞察力を発揮していました。
そしてアインシュタインによって、このネルンストの背理法的証明がそもそも物理的に現実味のない前提を置いていると指摘します。
彼の批判はおおむねこうでした。
「仮に絶対零度が本当に到達可能であったとしても、その状態は非常に不安定で、どんなに微小な乱れ(物理学的には『不可逆性』と呼ばれる現象)が存在しただけでも、その完璧な状態はすぐさま崩壊し、絶対零度ではいられなくなるだろう。」
つまり、ネルンストが証明のために持ち出した「絶対零度の環境を使った理想的なエンジン」という状況自体が、理論上でさえ完全に成立しない非現実的な仮想装置だったということです。
アインシュタインに言わせれば、物理的に現実不可能な状況を前提にして矛盾を導き出しても、それは物理法則の厳密な証明にはならない、ということでした。
アインシュタインはネルンストの示した「絶対零度に到達不可能」という結論そのものは否定はしませんでしたが、その背理法的な証明方法とそれを根拠にした第二法則との統合――つまり第二法則の絶対零度の世界の伸長についてはNOを突き付けました。
アインシュタインの批判を受けて、ネルンストが示した「温度が絶対零度に近づくとエントロピーがゼロに近づく」という現象は、熱力学の教科書や研究者たちの認識の中で、「第二法則」とは明確に区別された新しい法則、「熱力学第三法則」として定着するようになってしまったのです。
凡人からすれば「ネルンストが目指した理論的整合性よりも熱力学第三法則の提唱者としてのほうが見栄えがいいのでは?」なんて邪な感想を抱いてしまいます。
ただネルンスト自身が目指したのは、新しい法則を作ることではなく、あくまで自分が発見した実験事実を第二法則の枠内で矛盾なく統合するという純粋な科学的目標でした。
しかし歴史はネルンストの理想とは遠く、彼を熱力学第三法則の提唱者と認識するようになりました。
ですが教科書に第三法則が記されるようになった後も、水面下では第三法則が本当に第二法則から導けない独立原理なのか、それとも何らかの形で第二法則の範囲内に位置づけられるのかという疑問はくすぶり続けていました。
そこで今回研究者たちは、ネルンストの熱定理(現在第三法則と言われているもの)を熱力学第二法則のみから厳密に証明する試みに挑みました。
果たして第三法則は第二法則と独立なのか、それとも統合されたものなのでしょうか?