クリントンが語ったシロアリ・クモ・人間の「たった1つの共通点」(ダイヤモンド・オンライン)
1990年代、自由貿易とグローバリゼーションを推し進めたビル・クリントン。その政策はアメリカ経済を成長させた一方で、恩恵から取り残された人々の不満を積み上げ、やがてトランプ支持という大きな政治的反動を生んだ。クリントン本人へのインタビューから、民主党が見誤った「反グローバリゼーション」の正体と、その後のアメリカ政治を変えた有権者の怒りを読み解く。※本稿は、ジャーナリストのデイヴィッド・J・リンチ著、寺尾時彦訳『グローバリゼーションは失敗だったのか 下』(原書房)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 予想と違う展開だったと クリントンは認めた 2024年の真冬のある日、クリントンは、世界にこれまで経験したことのなかった繁栄をもたらした最大の原動力であるグローバリゼーションと、それがどのように道を外れてしまったかについて話してくれた。心臓病を患ったことをきっかけにビーガン食を取り入れたおかげでホワイトハウス時代よりも痩せていたが、髪はなお豊かだった。目は澄んでいた。手首には安全ベストのようなオレンジ色のバンドのアップルウォッチを着けていた。 「グローバリゼーションの利点についてきちんとした考察がなされなくなっている」マンハッタンのミッドタウンにあるクリントンのオフィスで始まった75分間のインタビューで、彼はそう切り出した。 椅子に深く腰掛け、脚を伸ばしながら、クリントンは事態が自身の予想とは異なる展開となったことを認めた。これまでのアメリカの指導者たちが、グローバリゼーションで取り残された国民への支援を約束しながら果たせず、労働者階級に広がる不満を過小評価してしまった点も認めた。
問題の一因は、民間部門が公共部門を出し抜いたことだと彼は指摘する。資本の流動性が高まり、政府は企業や富裕層への課税で十分な財源を確保できなくなり、労働者への打撃を和らげる社会プログラムの財源が不足してしまった。 「いいかね、私たちがこの種のナショナリズムの反動をここまで長く抑え込めたのは驚きなんだ。なぜならアメリカ中、世界中で、グローバリゼーションを殺したのは政策が国家の承認を必要としたためなのだから。だが、国家が利益を国民に還元する能力は限られていた。税基盤、資産、理解力のいずれのせいにせよ、とにかく限られていた」と彼は語った。「だから遅かれ早かれ反動は起こるはずだった」 アメリカでの反動は、貿易と移民問題を中心に広がった。実際、このときも政府当局はメキシコとの国境の管理の不備のせいで新たな政治危機に揺れていた。同地域の慢性的な混乱は有権者に「深い不安」を与え民主党の支持基盤を蝕んでいるとクリントンは指摘した。近年、民主党支持率が全国で最も大きく低下したのは、サンアントニオからメキシコとの国境にかけての地域だった。 ● 以前クリントンが勝った地域で トランプは圧勝していた 「あの地域は自分が勝った」とクリントンは1992年と1996年の選挙での勝利を振り返った。しかし2020年までに、同地域の民主党支持は低下していた。コーパスクリスティの西に位置するジム・ウェルズ郡の農村部は、クリントンがジョージ・H・W・ブッシュを2対1以上の大差で破った地域だったが、トランプが圧勝していた。 78歳の誕生日を数カ月後に控えたクリントンは毅然としつつも、ときに懐古的だった。ときおり咳で言葉が途切れたが、政治に関する記憶は衰えていなかった。1984年の対決でロナルド・レーガンとウォルター・モンデールが獲得した得票率を正確に引用し、アーカンソー州での経歴を詳細に、しかも楽しそうに語った。1992年11月のリトルロックでの選挙日の夜を思い出すと、彼は物憂げな笑みを浮かべて「あれはよい夜だった」と言った。 クリントン財団の彼の執務室は特別に威圧的ではなかった。机の後ろの壁には2枚の写真が飾られていた。1枚は元国務長官である妻ヒラリーが、手を胸の前で組み、首をかしげて笑っている写真だった。反対側の壁には大統領執務室で撮影された白黒写真があった。クリントンとジョージ・W・ブッシュが会話を交わし、バラク・オバマが見守る様子が写っている。