仁徳天皇陵から小刀など副葬品4点、全て埋め戻されたとされ初の実物確認…古墳の謎解明に期待

 堺市にある世界遺産で「仁徳天皇陵古墳」として知られる国内最大の前方後円墳、 大山(だいせん) 古墳の副葬品4点が見つかったと、国学院大や同市などが19日発表した。副葬品は明治時代の調査後に全て埋め戻されたと言われており、実物が確認されたのは初めて。過去の記録にない5世紀の金銅製の小刀「 金銅装(こんどうそう)刀子(とうす) 」も含まれ、古墳の謎の解明が今後進む可能性がある。

見つかった金銅装刀子の一部(19日午後、堺市堺区で)=河村道浩撮影

 確認されたのは刀子に加え、 甲冑(かっちゅう) 片2点、不明品の残片1点の計4点。刀子は残存する長さが10・6センチの小刀で、 鍍金(ときん) (金メッキ)の銅板で装飾されたヒノキの 鞘(さや) に収められている。国学院大学博物館(東京)が昨年6月に購入した旧三井物産初代社長・益田孝のコレクションにあった。

2019年に世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」の仁徳天皇陵古墳(堺市提供)

 大山古墳では1872年、前方部の斜面が崩れて偶然、石室が露出し、石棺の周辺で金メッキの甲冑やガラスの器、鉄刀などが出土した。当時の石室内の調査に加わった絵師の柏木貨一郎(1841~98年)が絵図に記録し、埋め戻された。

甲冑片など(右は包紙墨書)(19日午後、堺市堺区で)=河村道浩撮影

 今回見つかった刀子と甲冑片を包んでいた紙には「明治五年」「仁徳帝御陵」などと墨書され、柏木の印が押されていた。堺市博物館の十河良和・学芸課参事は「柏木が調査した際、何らかの経緯で持ち出されたのではないか」とみる。国学院大学博物館によると、柏木の没後に益田が受け継いだ可能性があるという。内川隆志副館長は、5世紀の金銅装刀子は日本との交流が深かった朝鮮半島でも確認例がなく、「国内外で確認された最古の金銅装刀子だ」と指摘する。

 発見された副葬品は、7月19日から堺市博物館で始まる企画展で公開される。

 ◆ 大山古墳 =5世紀に造られた前方後円墳で、世界遺産「 百舌鳥(もず) ・古市古墳群」の中核をなす。宮内庁は仁徳天皇の墓として管理し、立ち入りを原則禁止している。

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