出征時には伝えられなかった…朝ドラ「あんぱん」のモデル・やなせたかしに実母が終戦後まで言えなかったこと 「ばいきんまん」と「フランケンロボくん」にそっくりな親子関係
NHK朝ドラ「あんぱん」では、やなせたかしをモデルにした嵩の母・登美子の毒親ぶりが話題だ。実際の親子関係はどうだったのか。ライターの市岡ひかりさんは「彼女は間違いなく息子を愛していた。だが、それをうまく伝えられない人だった」という――。
※本稿には6月6日放送回以降のネタバレを含みます。
写真=時事通信フォト
各世代で最も輝いている人、宝石が似合う人を表彰する「第34回ジュエリーベストドレッサー賞」の40代部門を受賞した俳優の松嶋菜々子さん(東京都江東区の東京ビッグサイト)=2023年1月12日
毒親と批判される登美子の本当の姿
「逃げ回っていいから。卑怯だと思われてもいい。何をしてもいいから、生きて帰って来なさい」――。
NHK連続テレビ小説「あんぱん」第50話(6月6日)で、出征する柳井嵩(演・北村匠海)を涙ながらに見送った登美子(演・松嶋菜々子)。
これまで「毒親」などとネット上の評価は散々だった登美子だが、崇への不器用ながらもまっすぐな愛情があふれる回に涙した人も多かったのではないだろうか。
嵩を叔父や叔母の家に押し付けたまま金持ちと再婚し、離婚後は何事もなかったかのように柳瀬家に転がり込み、嵩が高知第一高等学校の受験に失敗すると再び家を出ていく……という一連の登美子の行動だけみると、確かに身勝手な母に違いない。
しかし、これまでも嵩の東京高等芸術学校の合格発表を、陰からひっそりと見守っていたりと、嵩を思う気持ちの片鱗が描かれており、本心がわかりにくい、なんとも謎めいたキャラクターだった。
そんな謎めいた存在、登美子とは――。
探っていくうちに「あんぱん」では明確に語られなかった登美子の秘めた嵩への愛や、「それいけ!アンパンマン」のとある人気キャラクターとの興味深い共通点が見えてきた。
一生消えない心の傷
登美子について語る上で、まずはモデルとなった、やなせたかしの母、登喜子とはどんな人物だったのか、史実から紐解きたい。
やなせたかしの著書『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)によると、登喜子は大地主の娘として生まれ、都会にもときどき遊びに行くなど華やかな生活をしていたという。しかし、父が大変な浪費家だったため家は没落。その後、朝日新聞の記者だった柳瀬清と結婚し、やなせたかしと弟を出産する。しかし、夫は33歳の若さで中国の広東で亡くなってしまう。
夫の任地に同行せず、一人で逝かせてしまったことを登喜子は生涯、心の傷として持ち続けたそうだ。「あんぱん」で、憲兵に制止されながらも「生きて帰って来なさい」と嵩に叫んだ登美子の思いは、夫を一人で逝かせてしまったことへの強い後悔に裏打ちされている。
登喜子は容姿端麗で、香水の匂いが強く、派手好み。時々ヒステリーになって荒れることもある、激情の持ち主だった。息子へのしつけは厳しく、ものさしでぶつこともあったという。しかし、やなせたかし本人は「恐ろしいと思うことはなかった」そうだ。
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フランケンロボくんは、ばいきんまんがアンパンマンを倒すために作ったロボットだったが、優しい心を持ち役に立たなかったため捨てられてしまう。
普段は「とうだいまん」の元で仕事をしているが、さみしがりやで、仕事が休みの日には、いつもパパであるばいきんまんに会いにいく。
しかし、カミナリのパワーを帯びていて、触れた相手を感電させてしまうため、大好きなパパからも嫌がられてしまう……という、実に切ないキャラクターだ。
1990年代の比較的初期のころから登場し、フランケンロボくんを主役にしたスピンオフ映画『それいけ!アンパンマン フランケンロボくんのビックリクリスマス』が作られるなど、非常に人気の高いキャラクターだ。
ばいきんまんから捨てられても、決してばいきんまんの悪口を言ったりすることはなく、常に「パパ、大好き!」と向かっていく。そして「パパ、喜ぶかな~」といつもばいきんまんの幸せを願ってあれこれ奮闘する(そのことが度々ばいきんまんを窮地に追い込んでしまうが……)、実にけなげなキャラクターなのだ。
ドラマ「あんぱん」でも、嵩は自分を捨てた登美子を決して憎まず、登美子を責めるのぶに対し「ずっとこの人に会いたかった」と母をかばい、「あの人の喜ぶ顔、見たくて」と高知第一高等学校を受験する奮闘する姿にそっくりだ。
ぼくはちっとも恨んでいなかった
また、やなせたかし自身も、「母」という詩の中で、母についてこう語っている。
母はずいぶん悪口をいわれた人でした 「お化粧が濃く派手好きで 自分の子どもを捨てて再婚した」 ぼくは母の悪口をいわれるのは じつにいやでした
ぼくはちっとも恨んでいなかったのです
『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(やなせたかし著/河出文庫より)
実はフランケンロボくんのモチーフとなっているフランケンシュタインも、アンパンマンと非常に深い関係がある。
「あんぱん」でも、銀座で嵩が健太郎と共にフランケンシュタインの映画を見て感動するシーンがあるが、やなせたかしも学生時代、銀座で見たフランケンシュタインの映画に感銘を受けたそうだ。
やなせたかしは、著作『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)の中で『フランケンシュタイン』の著者メアリー・ウォルストンクラフト・シェリーを「恋人」と呼ぶほど思いを募らせ、その肖像画をみるためにロンドンに旅行したエピソードを明かしている。
そして、アンパンマンを描く上で、フランケンシュタインから大きな影響を受けたと語っている。やなせたかしにとって、思い入れの強いフランケンシュタインがモチーフのフランケンロボくん。もしかするとやなせたかし自身、母への思いをこのキャラクターに投影させていたのかもしれない。
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ドラマでは二宮和也が演じた父・清の死後、やなせたかしの弟・千尋は叔父の寛の養子となり、やなせたかしは母と祖母と3人で高知市の借家で暮らしていた。そんななか、登喜子は、日々生け花や茶の湯など様々なお稽古ごとに精を出ていた。
前掲『アンパンマンの遺書』のなかで、やなせたかしは当時をこう語っている。
今から考えると、未亡人になった母は全力をあげて自活の道を探していたのだ。ミシンを踏んで洋服を縫い、茶の湯、生花、盆景、謡曲、琴、三味線と、習い事でほとんど家にいなかった。
「あんぱん」でも、柳瀬家に転がり込んだ登美子が、いきなりお茶をたてはじめ、嵩の叔母・千代子(演・戸田菜穂)と一触即発となるシーンが描かれた。
写真=iStock.com/riya-takahashi
※写真はイメージです
登美子は千代子に「お茶、お花、お琴。一通りのことは身につけました。それでも、女が一人で生きていくのは大変なんですよ」とさらりと語ったが、その言葉の裏には途方もない努力があったに違いない。
このお茶のシーンは、奔放な登美子を象徴しているように見えて、実は登美子なりに自活の道を探り、嵩と共に生きていく選択肢を模索していた、という嵩への秘めたる愛を示す伏線だったのだ。
登美子は「ばいきんまん」?
嫌われ者で誤解されやすいが、どこか憎めず、素直になれない不器用なキャラクター、というと、どこかで聞き覚えがないだろうか。
ドラマ「あんぱん」では、アニメ「それいけ!アンパンマン」に登場するキャラクターとリンクする登場人物が多数登場している。登美子のモチーフとなっているのは、あの稀代の悪役キャラ「ばいきんまん」なのではないだろうか。
「あんぱん」では、登場人物の衣装の色が、リンクするキャラクターの色と同一となっている。元気ではっきりものを言う主人公・のぶは、ドキンちゃんに由来したオレンジの着物を着用(やなせたかし本人も、ドキンちゃんは妻の暢に似ていることを著作で語っている)。
憂いを秘めた次女・蘭子の青い衣装はロールパンナちゃん、おちゃめな三女・メイコの緑の衣装はメロンパンナちゃんに由来していると、NHKの番組内で明かされている。そして気になる登美子の衣装は、紫色。ばいきんまんカラーである。
もう一つ、ばいきんまんと登美子の興味深い共通点がある。
それは、ばいきんまんと、ばいきんまんを「パパ」と呼び慕うフランケンロボくんとの関係が、嵩と登美子、そしてやなせたかしと登喜子の関係にそっくりなのだ。
ご存じない方のために、まずはフランケンロボくんについて説明したい。
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ばいきんまんは嫌われ者の悪役キャラ、というイメージが強いが、実はやなせたかし自身、ばいきんまんを完全な悪役として描いていない。
著作『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)で、ばいきんまんについてこう明かしている。
現在は新型肺炎(SARS)とか、鳥インフルエンザとか、バイキンが暴威をふるっていて人類共通の敵になっています。しかし酵母菌のようにパンをつくるときに必要な菌、納豆菌とか乳酸菌とか有用善玉菌も多いから、バイキンを絶滅させると人間も絶滅する。うまい具合にバランスが取れているのがいいわけです。
だからアンパンマン対ばいきんまんの戦いはバランスを保ちながら永遠に続いていくことになります。
自分の欲望に忠実で、意地悪なばいきんまん。「あんぱん」制作陣は、紫の衣装で登美子とばいきんまんを重ね、あえて登美子が身勝手に見えるようにしていたのかもしれない。
それによって、毒母のように見えていた登美子の秘めた愛が爆発する、嵩の出征を見送るシーンを際立たせたかったのかもしれない。
戦争帰りのやなせたかしに母が言ったひと言
ドラマ「あんぱん」のネタバレになってしまうかもしれないが、先に紹介したやなせたかしの詩「母」は、こんな一節で締めくくられている。
戦争から帰ったとき ぼくは母のひざまくらで 眠りました 熱いものが落ちてきたので 眼を覚ますと 母の顔がありました 「許してね」
母はひとこといいました
『やなせたかし詩集 てのひらを太陽に』(やなせたかし著/河出文庫)
息子を愛しながらも、素直にはなれない不器用な母。そして、そんな母を許し、まっすぐに愛したやなせたかし。「あんぱん」では、この先の嵩と登美子の関係がどう描かれていくのか、見守っていきたい。