藤田まことさん没後15年 長女が語る「家での中村主水」「借金60億円」「闘病の真実」
「必殺」シリーズの中村主水(もんど)役などで親しまれた俳優の藤田まことさんが平成22年に死去してから、今年で15年となる。この節目に長女の原田敬子さんがX(旧ツイッター)での発信を始めたほか、初めての著書を出した。付き人の経験もある敬子さんに、父として、俳優としての藤田さんの〝秘話〟を聞いた。
本当に「ムコ殿」だった
必殺シリーズは昭和47年にスタート。中村主水が登場したのは48年に放映が始まった第2作『必殺仕置人』だった。普段は奉行所に務めるさえない下級役人で、家では義母にいびられている。しかし、実は凄腕の殺し屋ーという設定が視聴者の心をつかむ。主水は藤田さんが病魔と闘いながら演じた『必殺仕事人2009』まで、約36年間、シリーズを代表するキャラクターとして活躍した。
「父の魂すべてが、中村主水の中に生きているんです」。敬子さんはこう語る。さまざまな役を演じた藤田さんだったが、主水役への思い、こだわりは格別なものがあったという。
敬子さんが2月に出した著書『藤田まこと 修芸生涯』(立東舎)によると、藤田さんは生前、「中村主水は俺だけやからな」と語っていた。実はドラマのエンドロールで、最も重要な出演者として藤田さんの名前がトップに出るようになったのは10作目の『新必殺仕置人』から。それまでは山﨑努さんや石坂浩二さん、中村敦夫さんらだった。敬子さんは、藤田まことという俳優について「ゆっくりと時間をかけて(役を)自分のものにしていくタイプ。父も自分でそう話していました」と振り返る。
敬子さんが明かした私生活で、藤田さんは主水と同じく、妻の母親と同居していた。ただ、主水と異なり、義母は藤田さんのことを立てる人だったという。敬子さんにとっての祖母は「母以上に父に尽くしてましたね」と懐かしそうに語る。必殺シリーズのラストは、主水と妻のりつ(白木万理さん)、主水を「ムコ殿」と呼ぶ義母のせん(菅井きんさん)の3人によるユーモラスなやり取りで終わるのが定番。藤田さんが意見を出して脚本を改訂したことも多かったとみられ、敬子さんは「使えるネタがいっぱいあったんでしょう」と笑顔で話した。
取材に応じる俳優・藤田まことさんの長女、原田敬子さん=東京都千代田区(三尾郁恵撮影)巨額借金に「やりがい」
家庭での藤田さんはどんな人だったのか。敬子さんは、「本当に優しくて。でも普通の人ですね。芝居をしているときにオーラが降りてくる『藤田まこと』とは別人でした」と話す。ただ、「休みの日でも、ゴロゴロしているようなところは見たことがない」と振り返る。
「普通の父」だったが有名人。参観日などで敬子さんが通っていた学校に藤田さんが来ると、「藤田まことが来てる!」と校内が大騒ぎに。雨の日に傘を持って来てくれるのは、思春期だった敬子さんにとって非常に困った事態だった。思わず机の下に隠れたこともあったという。
仕事と家庭を明確に分けていた藤田さんが、敬子さんのためにそれを変えたことも。学生時代、いじめにあって登校拒否になった敬子さんに手を差し伸べ、自身の「付き人」にしたのだ。「いろんな人達の中で生活することも大事だ」と励ましてくれたという。付き人として藤田さんに接するときは敬語で、大変なことも多かったが、芝居の座組には同年代の女性も多く、そうした人たちと交流することで、敬子さんも元気になっていった。
団欒する藤田まことさんの家族。右手前が長女の原田敬子さん(原田さん提供)そして、避けて通れないのが、当時の週刊誌などで話題になり、藤田さん自らが記者会見を開いて説明した「借金問題」だ。藤田さんの妻(敬子さんの母)は中華料理店やクラブなど複数の店を経営していたが、バブル経済の崩壊に直面し、借金は最大で60億円にもなった。資産の売却で30億円程度に減ったものの、藤田さんはすでに60歳だった。それまではあまり出演しなかったバラエティ番組などにも出るようになり、猛烈に働いて少しずつ借金を返していったという。藤田さんはこのことで妻を責めることはなかった。敬子さんが覚えているのは、「マイナスになった方が俺はやりがいがあるんや」と言って、巨額の借金を笑い飛ばす藤田さんの姿だった。
闘病中、病院でコンサート
『修芸生涯』には、それまで明かされていなかった藤田さんの闘病の真実が記されている。藤田さんは平成19年1月に体の変調が明らかになり、検査でがんが見つかった。その後、手術をしたことは当時も報道されており、「経過は良好」とする記事もあった。ただ、敬子さんによると、病気の進行が速かったため、開胸しただけにとどまったという。
しかし、『必殺仕事人2009』で主水を演じることが決まっていた藤田さんの執念はものすごく、約1カ月半寝たきりだったICU(集中治療室)から生還。大阪府箕面市の病院では、殺陣(たて)の稽古をするなど、懸命にリハビリに励んだ。
その一環として、なんと、病院の食堂でミニコンサートを開催したという。医療関係者への感謝の気持ちがあり、他の患者を含めて「この病院で頑張っている皆さんにお返ししたい」ということだった。家族は反対したが、藤田さんは40分間も熱唱し、約100人の〝観客〟を楽しませた。
必殺の撮影には、鼻からチューブをつけて酸素を吸入しながら臨み、本番のときだけチューブを外す、ということを繰り返していた。
藤田さんは22年2月に死去。亡くなる直前、自宅のベッドに座り、敬子さんら2人の娘に「家族が一番大事なんや。だけど、今は役者人生を全うしたい」と迷惑を掛けるかもしれないことを詫び、切実な思いを訴えていたという。
再放送で「雄姿」今も
敬子さんは今、株式会社藤田まこと企画の代表を務める。令和6年12月、Xにアカウントを開設すると、多くの反響があったという。「本当にありがたいです。線香をあげながら、父に『ファンの方々がこういうことを言ってくださってますよ』と報告しています」と話す。
没後15年経った今でも、テレビ朝日系や地方局などさまざまなチャンネルで必殺シリーズや『はぐれ刑事純情派』といった出演ドラマが頻繁に再放送されている。敬子さんの言うように、役の中に藤田さんの魂が「生きている」主水は画面の中で活躍し続けており、日々、新たなファンが増えていてもおかしくない。
今年4月13日、藤田さんの誕生日に藤田まこと企画はXにこう投稿した。「あらためて皆さまに『えー役者やったな~』と偲んでいただけますと幸いです」(高橋寛次)
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藤田まこと 本名・原田眞(まこと)。昭和8年、東京都生まれ。父は無声映画時代のスター俳優だった藤間林太郎。舞台俳優などとして活動した後、37年にテレビの時代劇コメディー『てなもんや三度笠』に出演。大人気番組となり、「俺がこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」というギャグで一躍有名に。48年のテレビ時代劇『必殺仕置人』で演じた殺し屋、中村主水は、長寿番組の「必殺」シリーズを代表するキャラクターとなる。『京都殺人案内』や『はぐれ刑事純情派』で刑事役を、時代劇『剣客商売』では隠居した剣の達人を演じた。映画では必殺シリーズの6作品や『突入せよ!あさま山荘事件』、『明日への遺言』などに出演。平成22年死去。
原田敬子さんの著書『藤田まこと 修芸生涯』(立東舎)