1光子で2原子を同時励起する現象を観測
理化学研究所(理研)量子コンピュータ研究センター 超伝導量子シミュレーション研究チームの朝永 顕成 研究員(研究当時)、蔡 兆申 チームディレクターらの国際共同研究グループは、量子コンピュータへの応用が期待される基本素子である超伝導量子回路を用いて、1光子が2原子を同時励起する現象を観測しました。
今回、国際共同研究グループは、超伝導量子回路を用いて作製した二つの人工原子(量子ビット[1])を、一つの共振器に結合することで、共振器中の1光子が2原子を同時に励起する現象を捉えました。今回観測されたのは、1光子を2光子にダウンコンバート[2]することなく、1光子が直接2原子を励起するという全く新しい現象です。この現象の観測は、二つの原子を共振器に強く結合させる工夫によって達成されました。
これらの新しい量子力学現象の観測により、学問的な理解が深まるだけでなく、光子や原子の状態を利用した新しい量子情報処理技術への応用が期待されます。
本研究は、科学雑誌『Nature communications』オンライン版(6月17日付:日本時間6月17日)に掲載されました。
1光子2原子励起を観測した超伝導量子回路の写真
背景
超伝導量子回路は、Google社やIBM社が先行する量子コンピュータへの応用が期待される基本素子です。量子コンピュータの基礎となるのは、量子ビットと呼ばれる人工的にデザインされた2準位[3]原子です。超伝導量子回路は、量子性を持った回路であるため、人工的に原子の性質を模倣することができ、これが量子コンピュータにも使われます。
1光子というそれ以上分割することのできない素粒子が二つの原子を同時に励起するというのは想像が難しいユニークな現象です。これまでこの逆現象ともいえる、2光子が原子のエネルギー1準位を励起する現象は広く観測されており、生体イメージングの分野ではなくてはならない技術にもなっています。通常1光子は原子のエネルギー準位にエネルギーが一致した場合に原子を励起します。その逆もしかりです。しかし、量子力学的には複数の現象が起こる可能性が重ね合わさって存在しており、1光子2原子励起や、2光子1原子励起が起こる可能性も非常に低い確率で存在しています。そのため、自然に観測することは困難ですが、特別な状況を実験室でつくれば、確率が高まり観測することができると考えました。
研究手法と成果
今回の研究では、これまで観測されてこなかった、1光子が2原子を同時励起する現象を観測するために、超伝導量子回路の高い設計自由度を生かし、特別な回路をデザインしました。この特別なデザインにおいては、原子と光子の結合エネルギーが光子のエネルギーの10%を超える超強結合[4]という特異な領域を利用しました。
国際共同研究グループは、2016年に、L. Garzianoらが行った1光子2原子励起の理論提案注)に基づき、一つの共振器に、二つの人工原子が非常に強く結合したサンプルの回路を作製しました。この理論提案では、原子と光子の結合エネルギーが光子のエネルギーの10%程度あれば、1光子が2原子を同時励起する現象を観測できると予測されていました。しかしながら、実際の回路上では、原子と光子だけでなく、二つの原子が直接相互作用する結合も考慮する必要があり、この直接相互作用は、共振器と原子との結合を弱めてしまう効果があることが今回の研究で明らかになりました。
そこで、国際共同研究グループは、原子と光子の結合エネルギーが光子のエネルギーの60%程度になる回路を設計し、原子同士の直接相互作用があっても、2原子励起を観測できる状況をつくることに成功しました。この60%という結合エネルギーは、2原子励起が一番観測されやすい領域であり、この現象の観測のために最適化されています。
今回の研究の一つ目の成果として、初めて二つの人工原子を共振器に超強結合させることに成功したことが挙げられます。そして、この超強結合を記述するために新たに構築した物理理論モデルが測定された系の特徴と一致することを明らかにしました。図1aは、測定された回路のエネルギースペクトルを示しており、緑色が濃くなっている線が測定された系のエネルギー構造を示しています。図1bは構築した物理理論モデルを重ねた結果であり、実験と理論がよく一致していることが分かります。
図1 二つの人工原子が一つの共振器に超強結合した系のエネルギースペクトル
- (a)しわのような緑色の濃い線が測定した系のエネルギー構造を示す。
- (b)測定データに対し、構築した物理理論モデルによるフィット(黒い線)を行った結果。測定データと物理理論モデルはよく一致している。
ωp:測定周波数、ε1:片方の原子の周波数(もう一方の原子の周波数は一定)。エネルギーはすべて周波数の単位(ギガヘルツ(GHz、1GHzは10億ヘルツ))で示している。
二つ目の成果として、1光子が2原子を励起する現象を観測したことです。図2は、二つの状態gg1とee0との間でエネルギーを相互にやり取りして状態が遷移することを示しています。つまり、状態gg1とee0を行ったり来たりすることができるということは、1光子が2原子を励起し、その逆である2原子から1光子を生成する現象が起こっていることを示しています。
図2 1光子が2原子を同時励起することを示すエネルギースペクトル
eは原子の励起状態(二つあるのは原子2個分を示す)、gは基底(原子が励起されていない)状態、三つ目の数字は共振器中の光子の数を示している。「二つの原子が励起されておらず、光子が一つある状態」(gg1)と「光子がなく、原子二つが励起されている状態」(ee0)は相互に行き来できることを示している。 白線は原子が共振器と相互作用がなかった場合のエネルギースペクトルを表しており、二つの線が交差しているのは、相互作用がないときはee0とgg1を行き来できないことを示している。
- 注)"One Photon Can Simultaneously Excite Two or More Atoms",Physical Review Letters 117, 043601 (2016)
今後の期待
本研究では、超強結合を使って、1光子が2原子を同時に励起する現象を観測することができました。原子と共振器の非常に強い結合である超強結合は、超伝導量子回路の高い設計自由度が可能にする新しい量子力学現象を探索するためのツールの一つです。超強結合を使った高速な量子情報処理や、高効率な量子情報処理理論が提案されており、今後の応用が期待されます。加えて、量子力学現象をつくり出す基本素子として、人間がどこまで自由に量子系を設計することができるのか、どのような新しい量子力学現象を見ることができるのかといった、科学の根本的な問いと発展に貢献することができると期待されます。
補足説明
- 1.量子ビットビットとは、データの最小単位であり、1ビットは2通りの値(0か1)を表現できる。古典的なビットがトランジスタの電流で表現されるのに対して、量子的なビットは二つのある量子状態を使ってビットをつくっている。今回の量子ビットの場合は、電流の向きが右回りか左回りかが二つの量子状態であり、その重ね合わせ状態もつくることができる。
- 2.ダウンコンバートここでは、一つの光子から、周波数が半分の二つの光子に変換することを指す。
- 3.準位原子などの量子力学に従うものは、エネルギーが飛び飛びの値を取る。この飛び飛びのエネルギーを各準位と呼ぶ。
- 4.超強結合物理では、結合強度はエネルギーで表現される。今回の研究では、結合のエネルギーが共振器中の光子のエネルギーの10%を超えると超強結合領域に入っているという。
国際共同研究グループ
理化学研究所 量子コンピュータ研究センター 超伝導量子シミュレーション研究チーム 研究員(研究当時)朝永 顕成(トモナガ・アキヨシ) (現 産業技術総合研究所 量子・AI融合技術ビジネス開発グローバル研究センター(G-QuAT)研究員) 基礎特別研究員(研究当時)向井 寛人(ムカイ・ヒロト) (現 理研 超伝導量子エレクトロニクス研究チーム 客員研究員) チームディレクター 蔡 兆申(ツァイ・ヅァオシェン) 量子情報物理理論研究チーム
チームディレクター フランコ・ノリ(Franco Nori)