心不全薬「アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬」が肝臓病「MASH」の線維化・発がんを抑制|医学部・学会情報|医・歯学部を知る

 研究成果は、国際科学誌「Hepatology Research(ヘパトロジー・リサーチ)」(電子版)に令和7年12月8日0時(グリニッジ標準時)及び12月8日9時(日本時間)掲載

(研究成果の概要)

 Metabolic dysfunction-associated steatohepatitis (MASH)は、肥満糖尿病などの代謝異常を背景とする進行性の肝臓病です。近年、食生活の欧米化に伴い患者数が急速に増加しており、新たな国民病として注目されています。MASHの特徴である肝臓の線維化は、進行すると不可逆的肝硬変や肝細胞がんへと悪化し、予後を決定づける最も重要な要因ですが、有効な治療薬の開発が強く望まれています。

 名古屋市立大学大学院医学研究科実験病態病理学分野の内木綾准教授、髙橋智教授、消化器・代謝内科学分野の河村逸外医師・大学院生、藤原圭准教授らの研究グループは、心不全高血圧の治療薬として用いられているアンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬(ARNI)である「サクビトリル/バルサルタン(Sac/Val)」が、進行性の肝臓病であるMASH(代謝機能障害関連脂肪肝炎)の進行と発がんを抑制することを実証しました。

 本研究では、MASHモデルラットにおいて、Sac/Valがバルサルタン (Val)単独投与群と比較して、MASHの炎症、肝線維化や肝発がんを有意に抑制することを発見しました。さらに、Sac/Valが肝線維化の主役である肝星細胞(HSCs)の活性化において重要な役割を果たす分子「インテグリンα8 (Itga8)」の発現を抑制するという、世界で初めての新しい作用機序を解明しました。安全性が確立された既存薬を用いることで、治療薬開発が急務とされるMASHに対する新しい治療選択肢として、早期に患者さんに届けられる可能性があります。

 【研究のポイント】

 ●MASH(メタボリックシンドローム関連脂肪肝炎)は、進行すると肝硬変や肝細胞がん(肝がんへと進行する深刻な疾患であり、患者数が急増しています。

 ●特に肝線維化は進行すると不可逆的な変化となり、現在の医療では治療が非常に困難なため、線維化を抑制できる薬剤の発見は大きな意義をもちます。

 ●本研究は、心不全高血圧の治療に用いられる「サクビトリル/バルサルタン (Sac/Val)」が、MASHモデルラットにおいて、脂肪肝炎、肝線維化、および肝発がんを抑制することを明らかにしました 。

 ●Sac/Valは、Val単独よりも線維化と炎症を有意に抑制する、より優れた効果を示しました。

 ●その作用機序として、分子「Itga8」が肝線維化の鍵となることを証明し、Sac/ValはItga8発現を抑制することで、MASHの線維化を抑えることを世界で初めて発見しました。

 ●今回の研究成果は、既に安全性が確認されている既存薬の新たな効能発見(ドラッグ・リポジショニング)であり、治療法が確立していないMASHに対して新しい治療選択肢となり得ることから、患者さんへの迅速な還元が期待されます。

 【背景】

 MASHの増加に伴い、肝硬変や肝細胞がんといった末期の肝疾患患者が増加しており、公衆衛生上の大きな課題となっています。肝線維化はMASHの予後を左右する最も重要な要因であるため 、線維化を抑える治療戦略が求められています。

 肝線維化は主に肝星細胞 (HSCs)の活性化によって引き起こされ、レニン-アンジオテンシン-アルドステロン系(RAAS)はその活性化に寄与することが知られています。そのため、RAASを阻害するアンジオテンシン受容体拮抗薬(ARB)であるバルサルタン (Val)は、HSCsを抑制し肝線維化を改善することが報告されています。

 本研究で用いたSac/Valは、このARBであるValに、ネプリライシン阻害薬であるサクビトリル (Sac)を組み合わせた薬剤です。Sacによるネプリライシン阻害は、利尿ペプチドの分解を防ぎますが、この利尿ペプチドにはHSCsの活性化を抑制する可能性が示唆されています。しかし、MASHにおけるSac/Valの有効性はこれまで報告されていませんでした。本研究では既知の作用を持つValに、新たな可能性を持つSacを加えることで、MASHに対してより強力な効果が得られるのではないかと考え、MASHの病態を再現するラットモデルを用いてその治療効果とメカニズムを検証しました。

 【研究の成果】

 本研究では、MASHの病態を再現したMASHモデルラットを用い、Sac/Val投与群、Val単独投与群、および対照群の3群を設定し、薬剤の治療効果を比較検討しました。具体的には、肝臓組織の病理学的解析(炎症・線維化の程度)や、肝細胞がんの前駆病変を計測しました。

 また、肝線維化の主役であるHSCsに対するSac/Valの直接的な影響を細胞レベル(in vitro)で解析しました。特に、線維化に関与する分子Itga8の発現および、それによる細胞増殖や線維化関連遺伝子の発現変化に着目し、Sac/Valの新規作用機序の解明を試みました。

 【主な成果】

 ① 肝線維化と炎症の抑制: Sac/Val投与群では、対照群やVal単独群と比較して、肝臓の炎症や線維化が有意に改善しました。特に、肝線維化の面積はSac/Val群で顕著に縮小しました。

 ② 肝発がんの抑制: Sac/Valは、肝細胞がんの前段階である前がん病変の数と面積を有意に減少させました。

「Sac/Val」治療により、肝臓の炎症と線維化が改善した。

 ③ 新規メカニズム「Itga8」の発見: 網羅的遺伝子解析(RNAシーケンシング)を行った結果、Sac/Val投与群で特異的に減少している遺伝子として「Itga8」を同定しました。詳細な解析により、Itga8は線維化部位に発現しており、Itga8を過剰に発現させた細胞では線維化促進シグナルが増強することが判明しました。Sac/Valは、このItga8の発現を抑えることで、肝線維化を食い止めている可能性が示唆されました。

Itga8は、ラット肝の線維化部分に発現し、「Sac/Val」治療により減少した。

ラット肝星細胞にItga8を過剰発現させるとFAK-Src-YAPの線維化促進シグナルが増強した。

 【研究の意義と今後の展開や社会的意義など】

 今回の結果から、心不全治療薬であるSac/ValがMASHにおける肝線維化、炎症、および発がんを効果的に抑制する可能性が示されました。特に、肝線維化の鍵となる分子であるItga8の発現を抑制するという新規のメカニズムを解明したことは、MASH治療薬開発における新しい標的分子の提示となります。

 Sac/Valはすでに心不全高血圧の治療薬として広く承認・使用されているため、MASHに対する治療薬として早期に臨床応用されるドラッグ・リポジショニングの可能性を秘めています。今後、臨床での効果を検証する研究への展開が期待されます。

 【本研究から推測されるSac/ValによるMASHの抑制機序】

Sac/ValによるMASHの病態改善と線維化抑制メカニズム

 【用語解説】

 MASH(Metabolic dysfunction-associated steatohepatitis): 肥満糖尿病高血圧などの代謝異常を背景に発症する脂肪肝炎で、自覚症状が乏しいため健診などで偶然みつかることも多く、気がつかないまま進行してしまい、肝硬変肝がんになるリスクがある。近年、名称がNASHからMASHへと変更され、疾患概念が再定義された。

 肝線維化: 慢性的な炎症により肝臓にコラーゲンなどの線維が蓄積し、肝臓が硬くなる状態。不可逆的な肝硬変への進行を防ぐため、線維化の抑制が治療の鍵となる。

 肝星細胞(HSC): 肝臓にある細胞の一種。通常はビタミンAを貯蔵しているが、炎症が起きると活性化し、コラーゲンを過剰に産生して肝線維化を引き起こす。

 サクビトリル/バルサルタン(Sac/Val): アンジオテンシン受容体ネプリライシン阻害薬(ARNI)と呼ばれる心不全および高血圧の治療薬。2つの成分を配合することで、心臓の負担を減らし、血圧を下げる効果がある。

 インテグリンα8(Itga8): 細胞表面にあるタンパク質の一種。本研究により、MASHにおける肝星細胞の活性化と線維化促進に深く関与していることが明らかになった。

 【研究助成】

 本研究は、公益財団法人 高松宮妃癌研究基金の研究助成を受けて行われました。

 【論文タイトル】

Sacubitril/Valsartan Attenuates Inflammation and Fibrosis Associated with Decreased Integrin α 8 and Inhibits Hepatocarcinogenesis in a Rat Model of Metabolic Dysfunction-associated Steatohepatitis

 「サクビトリル/バルサルタンは、代謝機能異常関連脂肪性肝炎ラットモデルにおいて、インテグリンα8の減少を伴う炎症と線維化を減弱させ、肝発がんを抑制する」

 【著者】

 河村逸外1,2, 内木綾1*, Kuang Xiaochen1, 村上明寛1, 小村理行1, 鈴木孝典2, 加藤寛之1, 長安祐子1, 松浦健太郎2, 藤原圭2, 片岡洋望2, 髙橋智1

  所属

 1. 名古屋市立大学大学院医学研究科 実験病態病理学

 2. 名古屋市立大学大学院医学研究科 消化器・代謝内科学

(*Corresponding author)

 【掲載学術誌】

 学術誌名 「Hepatology Research(ヘパトロジー・リサーチ)誌(電子版)」

 DOI番号:10.1111/hepr.70086

 【研究に関する問い合わせ】

 内木 綾(ないき あや)

 名古屋市立大学大学院医学研究科

 実験病態病理学分野 准教授

 〒467-8601 名古屋市瑞穂区瑞穂町字川澄1

 【報道に関する問い合わせ】

 名古屋市立大学 病院管理部経営課

 愛知県名古屋市瑞穂区瑞穂町字川澄1

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(2025/12/08 14:56)


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