「日本人のくせに臆病者と」 朝鮮人27人を殺した優しかった兄たち
軍から「殺せ」の命令受けた
戦前は日本の領土だった南樺太(現サハリン南部)の南西部にあった清水村瑞穂集落。住民の一人が「私の家で泥棒しようとしていた」と言って、朝鮮人を男たちの前に連れてきた。
「知人がどこに住んでいるのか聞こうとしただけだ」。朝鮮人は弁明した。
樺太庁の統計によると、南樺太には1941年時点で日本人約38万6000人のほか、炭鉱などがあったため、強制的に連れて来られたり自ら移り住んだりした朝鮮人約2万人が暮らしていた。
45年8月9日にソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻。15日を過ぎても侵攻を続け、20日には瑞穂から約40キロ先の真岡に上陸した。
真岡では集団自決も起きる。逃げ惑う日本人の中で、こんなうわさが広がった。
「朝鮮人が赤軍(ソ連軍)のスパイ行為をしている」
瑞穂では、女性や子どもたちを5キロ離れた山に避難させ、日本人の男たちが残った。
見慣れない朝鮮人が捕らえられたのはそんな時だった。
その場で、当時26歳の元軍人は男たちに「(日本軍から)瑞穂に住んでいる朝鮮人たちを殺せという命令を受けた」と伝えた。
本当に命令があったかは定かではないが、数人で林に連れ出し、ベルトで殴りつけた後、日本刀で切り殺した。
翌日の早朝、10人くらいの男たちが民家に集まり、朝鮮人にまつわるうわさを報告し合った。普段は農業や酪農を営む村人たちだ。
「夜に懐中電灯で信号を送っている」「赤軍には朝鮮人がいる」「日本の女性や子どもを殺している」
男たちは刀や銃を手に取り、集落で暮らす朝鮮人の宿舎や民家に向かった。最初は男性だけが襲撃の標的だったが、事件の発覚を恐れ、女性や子どもにも矛先を向ける。
襲撃した17歳の青年らの証言がソ連の捜査当局の供述調書に残されている。
<女性は殺されながらも幼児を起こさな…