「日本人のくせに臆病者と」 朝鮮人27人を殺した優しかった兄たち

戦時下ですから

毎日新聞 2025/8/11 11:01(最終更新 8/11 11:01) 有料記事 2850文字
瑞穂事件に加わった当時17歳の叔父の胸中を思いながら資料に目を通す鎌田友子さん。瑞穂で暮らした両親や祖父母らの遺影が背後に並ぶ=北海道江別市で2025年8月6日、宮間俊樹撮影

 きっかけは、住民たちが信じたデマだった。

 「やつらはスパイをしている」「日本人を迫害している」

 牧場や田畑が広がるのどかな村で、住民たちは女性や子どもを含む朝鮮人27人を殺した。

 連載「戦時下ですから」は全7回のシリーズです。 次回は 置き去りにされた障害者たち

 12日午前11時アップです。

軍から「殺せ」の命令受けた

 戦前は日本の領土だった南樺太(現サハリン南部)の南西部にあった清水村瑞穂集落。住民の一人が「私の家で泥棒しようとしていた」と言って、朝鮮人を男たちの前に連れてきた。

 「知人がどこに住んでいるのか聞こうとしただけだ」。朝鮮人は弁明した。

 樺太庁の統計によると、南樺太には1941年時点で日本人約38万6000人のほか、炭鉱などがあったため、強制的に連れて来られたり自ら移り住んだりした朝鮮人約2万人が暮らしていた。

 45年8月9日にソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄し、南樺太に侵攻。15日を過ぎても侵攻を続け、20日には瑞穂から約40キロ先の真岡に上陸した。

 真岡では集団自決も起きる。逃げ惑う日本人の中で、こんなうわさが広がった。

 「朝鮮人が赤軍(ソ連軍)のスパイ行為をしている」

 瑞穂では、女性や子どもたちを5キロ離れた山に避難させ、日本人の男たちが残った。

 見慣れない朝鮮人が捕らえられたのはそんな時だった。

 その場で、当時26歳の元軍人は男たちに「(日本軍から)瑞穂に住んでいる朝鮮人たちを殺せという命令を受けた」と伝えた。

 本当に命令があったかは定かではないが、数人で林に連れ出し、ベルトで殴りつけた後、日本刀で切り殺した。

 翌日の早朝、10人くらいの男たちが民家に集まり、朝鮮人にまつわるうわさを報告し合った。普段は農業や酪農を営む村人たちだ。

 「夜に懐中電灯で信号を送っている」「赤軍には朝鮮人がいる」「日本の女性や子どもを殺している」

 男たちは刀や銃を手に取り、集落で暮らす朝鮮人の宿舎や民家に向かった。最初は男性だけが襲撃の標的だったが、事件の発覚を恐れ、女性や子どもにも矛先を向ける。

 襲撃した17歳の青年らの証言がソ連の捜査当局の供述調書に残されている。

 <女性は殺されながらも幼児を起こさな…

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