「事実を認め、娘に謝って」~身柄拘束の末に失われた16歳少女の命、国賠裁判で母が渾身の訴え・全文掲載(江川紹子)
障害福祉施設で働く16歳の少女が、重度の知的障害のある利用者を押さえつけた暴行容疑で警察に逮捕され、身柄拘束されている間に急性ストレス障害から摂食症を発症し、釈放後も食事がとれないまま低栄養で死亡したのは、捜査機関による逮捕・勾留や取り調べ、留置場の健康管理などに問題があったためだとして、母親が国と兵庫県を訴えている国賠訴訟の第一回口頭弁論が10月21日、神戸地裁(鳥飼晃嗣裁判長、千葉沙織裁判官、増田慧裁判官)で行われた。母親は意見陳述で「娘は無実」「娘の身体を拘束する必要がなぜあったのか。その間、娘の声を聞き、命と尊厳を守っていたのか。私は、その事実と判断の根拠を明らかにすることを求めます」などと述べ、捜査機関が真相を明らかにしたうえで、娘に謝罪するように求めた。
逮捕される3日前の少女。頬はふっくらした赤みがあり、いかにも健康そうだ(遺族提供)訴状などによれば、自傷他害の傾向がある男性利用者が他の利用者にかみつこうとしたため、少女はお菓子を与えるなどして気持ちをそらし、なだめた。この時に虐待行為があったとして警察から任意同行を求められ、その後逮捕された。取り調べで暴行はしていないと身の潔白を訴えたが聞き入れられず、家族とも面会ができない接見禁止処分が付けられて勾留された。強いストレスで少女は食事がとれなくなっていたが、そのまま身柄拘束は18日間続き、とうとう留置場で倒れた。逮捕容疑の件は、不起訴処分となり家裁送致もされていない。しかし、釈放された後も、体調は回復せず、食事がとれない状況が続き、昨年12月に死亡した。
釈放後も摂食症は進行、ふっくらしたほおはこけ、体も痩せ細った。医療機関で治療も受けたが、状態は回復せず、亡くなった(遺族提供)原告側は、逮捕・勾留・勾留延長などの手続きや取り調べは違法と主張。取り調べを録音録画した映像や警察留置場に身体拘束をしている間の健康管理の記録などを開示するよう求めている。
国と県は争う姿勢、原告は取り調べ映像などの開示を求める
国と県は請求棄却を求め、全面的に争う姿勢を見せた。
母親は意見陳述の中で、娘が生前、「(捜査機関に)謝ってほしい。謝ってくれたら、ちゃんと許せる」と語っていたことを明かしたうえで、「娘が悪いことをしていなかったのなら、娘に謝ってあげてください」「事実を認め、責任に向き合い、娘に謝ってもらえたら、私は許します」と述べた。
【母親の意見陳述全文】
私が伝えることは、人として、誰の命も同じように大切に守るということです。
障がいがあっても、なくても。支援を受ける人であっても、支える人であっても、その命の大切さに、違いはありません。
一人ひとりの声を聞き、その人の意思を大切にし、命と尊厳を守る。
それが、私が大切にしてきた福祉の根源です。
私と娘が取り組んできた福祉では、身体を拘束する支援はしません。
危険な行為があれば、ご本大も周りの大も傷つかないように、その行為を止めます。そして、何を求め、何に苦しみ、何を伝えようとしているのか、その人と真正面から向き合います。
その姿を「大変だ」と捉えるのではなく、何かを求めている姿として受け止める。その大の声を聞き、意思と尊厳を大切にする。
私は、福祉の専門職として、そうして人の暮らしに向き合ってきました。娘も、その日々の中で、人を支えてきました。
私は、理事長として、娘を厳しく育ててきました。褒めたことは、一度もありませんでした。 その私が今、母親として、そして娘の支援を見てきた一大の専門職として、伝えます。
娘がしてきた支援は、素晴らしかった。
生きている娘に伝えられなかったその言葉を、今、この裁判所で伝えます。
娘は無実だと、私が訴えます。
娘が何を考え、誰を支え、どのような支援をしてきたのか。そして、事件とされたその日に 何が起き、娘は何をしていたのか。
私が、福祉のプロとして、その支援の意味と、一つひとつの事実を伝えます。
その場にいた人たちの声、日々の支援の記録、残された証拠をもって、娘の無実を証明します。
娘がもう自分の言葉で伝えられないからこそ、今度は私が伝えます。
それが、娘とともに福祉に取り組んできた私の責任であり、母親としての決意です。
娘がしてきた支援を、娘が生きてきた事実を、正面から見てください。
警察も、検察も、人々を助け、命と大権を守る立場にあると、私は信じてきました。
娘も、守られるべき一人の大間ではなかったのですか。
疑いをかけられたとしても、その人の声を聞き、命と尊厳を守ることを、忘れないでくださ い。
人を大切にするという理念は、言葉として掲げるだけでなく、目の前にいる一人への対応に表れてこそ、意味があります。
そして、「人質司法」と呼ばれる問題にも、向き合ってください。
「やっていない」と訴える人の声を、正面から聞いてください。その訴えを、身体の拘束を続ける理由にしないでください。
娘の身体を拘束する必要がなぜあったのか。その間、娘の声を聞き、命と尊厳を守っていたのか。
私は、その事実と判断の根拠を明らかにすることを求めます。
調べる側にも、裁く側にも、人の人生を左右する力があります。その判断に誤りがあったとき、誰が確かめ、正すのでしょうか、
「やっていない」という声が届かなければ'、人はどうやって自分を守ればよいのでしようか。
裁判所には、独立した立場から、一つひとつの判断を確かめてほしいのです。立場や肩書ではなく、事実と証拠に向き合ってください。
娘は、自分が悪いことをしていないのなら、謝ってほしいと話していました。
そして、「謝ってくれたら、ちゃんと許せる」と言っていました。
これは、娘自身の言葉です。
娘が悪いことをしていなかったのなら、娘に謝ってあげてください。
娘は、人を許す心を持っていました。間違いを認めて謝ること、相手と向き合い、許すことを、福祉の日々の中で学んできました。
私も同じです。
事実を認め、責任に向き合い、娘に謝ってもらえたら、私は許します。
私がそう言えるのは、私自身が、多くの人に助けられ、支えられているからです。 この苦しみの中で、私の話を聞き、そばにいてくれる人たちがいます。一人で、ここまで来 られたわけではありません。
人に支えられることの大切さを、私は今も教えてもらっています。だからこそ、私も人を大切にする。その思いを、ここで伝えます。
許すことは、娘に起きたことを、なかったことにすることではありません。
起きたことを確かめ、間違いがあったのなら認め、謝り、責任を引き受けて改める。そして、同じ苦しみを繰り返さないために、何を変えるのかを示す。
その先を、一緒に考える。それが、私と娘が大切にしてきた福祉です。
私は、誰かを侮辱したり、傷つけたりするために、ここに立っているのではありません。
こんな苦しい思いをする人を、これ以上生まない。そのために、ここに立っています。 事実を明らかにし、責任を問う過程でも、一人ひとりの声を聞き、全ての人の尊厳を守ってください。
娘は、人を支えることを、自分の一本道と決めて生きていました。
私は、そんな娘が大好きでした。
娘の命は、いつまでも人を思い、人を支える命です。
私は、娘が大切にしてきた思いと、私を支えてくださる人たちから受け取った支えを、これから生きる人たちの命を守ることにつなげます。
娘が生きて人を支えてきたことを、なかったことにしないでください。
失われた命を忘れず、今、生きている人の命を守るために行動します。
誰一人、これ以上傷つけない。
それが、娘が大切にしてきた福祉です。
それが、私の望む裁判です。
(江川の判断で、一部を太字にしました)