渡辺一貴、柘植伊佐夫、菊地成孔、小林靖子。製作陣の証言から読み解く「岸辺露伴」映像化成功の秘密
── 2020年の『岸辺露伴は動かない』のドラマシリーズから監督・演出を担当されています。企画立ち上げの経緯を教えてください。
大河ドラマ『おんな城主 直虎』で高橋一生さんとご一緒させていただいた直後に『岸辺露伴は動かない』を再読していたら、露伴が高橋一生さんに重なって見えてきたのです。というか、露伴そのものでした。荒木先生の作品は大好きですが、それまで実写化など考えたこともありませんでした。ですが一生さんならこの複雑なキャラクターを演じられるはずだ、と。そこで一生さんサイドに打診したところ、一生さんご自身も露伴が大好きだとわかって。それが全ての始まりでした。
── ドラマシリーズから最新作の映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』まで、渡辺一貴監督、主演の高橋一生さん、脚本の小林靖子さん、音楽の菊池成孔さん、人物デザイン・衣裳の柘植伊佐夫さんと同じメンバーで作られていますね。
露伴役を一生さんにお願いした後、すぐにお声がけしたのが柘植伊佐夫さんです。私の夢想する世界観を現実に落とし込んで表現できるのは柘植さんしかいません。柘植さんのアイデアと想像力、そしてバイタリティにはいつも刺激をいただいていますし、柘植さんなしでは露伴の実写化はできなかったと思います。
菊地成孔さんは以前からファンだったので、露伴の音楽を引き受けて下さった時は本当に嬉しかったです。エロチックで退廃的、緻密かつ繊細、即興的で大胆…。私の露伴実写化のイメージに完全に合致していました。毎回前例がないことに貪欲にチャレンジし、思いもしない角度からの提案をしてくださいます。
そして、本シリーズの屋台骨を支えてくださっているのが小林靖子さんです。原作の複雑で難解な部分を読み解き、ストーリーの中に自然に落とし込めるのは小林さんしかいません。シリアスになりがちな物語に、ユーモアをさりげなく差し込むバランス感覚や会話のセンスも素晴らしいです。
お三方に共通するのは、常識やセオリーを常に疑っている、ということかもしれません。露伴先生にも通じますね…。
── 原作漫画の「懺悔室」を最初に読まれた際は、どのような感想を持たれましたか?
荒木先生の短編集「死刑執行中 脱獄進行中」に収録されたものを読んだのが初めてだったと記憶しています。アイデア、ストーリー、メッセージ、すべてが斬新で「これぞ荒木先生!」という傑作でした。中でも印象的だったのは“ポップコーン対決”の場面です。たった3回のポップコーン投げをあれほどドラマチックに描写できるなんて! 他愛のない遊戯に、知恵を絞り機転を利かせながら命がけで挑む様は、私の大好きな「ジャンケン小僧」のエピソードにも通じていて、興奮して読んだのを覚えています。
── 『岸辺露伴は動かない 懺悔室』では邦画初のオールヴェネツィアロケを敢行されました。いかがでしたか?
原作の「懺悔室」で描かれるヴェネツィアは、大勢の観光客で溢れ返る現実のヴェネツィアとは異なるように感じます。荒木先生はヴェネツィアで何を見て、何を感じたのだろう…。そういう目線でヴェネツィアの街角を歩くと、繁栄の歴史の陰の部分、隠された部分が見えてくるような気がしました。猛威を振るったペストの爪痕、粛清や拷問の名残…。教会や歴史的建造物、路地裏の聖像やレンガ塀の傷まで、今でも人々の呪いや怨念が沈殿しているように感じられる場所がたくさん残っている。そこで感じた空気の肌触りみたいなものを映画にも忍び込ますことができれば、と思いながら撮影に臨んでいました。
また、今回は撮影スタッフの半分以上が現地イタリアの皆さんでした。皆さん本当に熱心に作品に取り組んでくださり、露伴の世界を理解しようと努めてくれました。何よりも皆、明るく前向きに、楽しみながら仕事に向き合っている。その姿勢には心打たれるものがありました。私たちは普段忙しさにかまけて、仕事を「楽しむ」という感覚を忘れがちなので…。言葉の違いはほとんど問題にならず、日本語とイタリア語がちゃんぽんで飛び交う、賑やかな現場でした。
── 原作の荒木飛呂彦先生の『岸辺露伴』シリーズの魅力はどのような点にあるとお考えですか。
「岸辺露伴は動かない」は日本古来の怪異や伝承、民間信仰や都市伝説などをベースに展開されるエピソードが多く、そこに荒木先生の唯一無二の発想とストーリーテリングが組み合わさって、どの作品からも得体のしれない怖さを感じます。正体の分からない、ひたひたと忍び寄るような怖さです。1回読んだだけでもすべての画とセリフが脳に焼き付くような強烈なオリジナリティ。日本人のDNAに共通して潜んでいる、怪異や超自然の存在に対する恐怖、あるいは畏怖の感覚が刺激を受けるのかもしれません。
── 改めて、高橋一生さんの俳優としての魅力について、お聞かせください。
少年のように無邪気な面影と仙人のように達観した佇まいが同居している不思議な魅力をいつも感じます。一生さんのお芝居は、始まるとカットがかけられなくなってしまうんです。いつまでも見ていたくなる。後ろ姿でもずっと見ていられる。演じているというよりはそこに存在している、という感覚です。
── 本シリーズは、美しくも残酷で、気品がありつつグロテスクなところもあります。そのあたりのバランスはどうお考えですか。
あまりバランスは考えずに、各場面で必要だと思うことを積み重ねているだけではありますが…。ただ「全てを見せすぎない」ということはいつも意識しています。グロテスクなシーンでも、直接的な表現は最小限にして、グロテスクなものを見ている側の表情、後ろ姿、オフで聞こえる音など間接的な表現を使って、見る人が想像を広げる余地を残すように心がけています。
荒木先生の原作も、画の強さやセリフのインパクト以外に、コマとコマの間を想像させる、つまり描かれていないことを想像させる魅力があります。私も「画に映っていないものが見えてくる」、そんな豊かさのある映像を作りたいと思っています。
── 『岸辺露伴』映像化シリーズは、原作ファンからも映像から入る視聴者からも、広く支持されています。成功の要因はどこにあったとお考えでしょうか。
言葉にすると難しいのですが、多くの皆さんに楽しんでいただけているとしたら、「原作を再現するのではなく、原作の本質を映像化する」という私たちの方向性を支持していただけた、ということなのかもしれません。ビジュアルやコマ割りをそのまま実写化するのではなく、なぜそういう表現をしているのか、なぜそういうビジュアルなのかを細部にわたって議論した結果生まれたものを、映像として提示しているつもりです。原作そのままではないけれど、原作と同じ匂いを映像から嗅いでいただいているとしたら、とても嬉しいです。
もうひとつは役者さんのお芝居の力でしょうか。私はCG技術が高度に発達した今でも、生身の人間の表現力に勝るものはないと信じています。露伴シリーズはジャンル的にはCGを多用しがちなテーマを扱っていると思うのですが、それに頼りすぎず、最終的には露伴と、彼が対峙する相手とのお芝居に収斂しています。そのお芝居の迫力と熱量が、物語に説得力を持たせているのだと思います。 特に今回の「懺悔室」は、生身の人間が演じることの尊さが際立っている作品になっていると感じています。露伴先生と泉編集役の飯豊まりえさんはもちろん、井浦新さん、大東駿介さん、戸次重幸さん、玉城ティナさん、それぞれが文字通り全身全霊で撮影に挑んでくださり、私が想像もしていなかった、心を揺さぶられる芝居に毎日出会うことができました。
── 共感を得やすい、身近な物語があふれる中、情熱とアイデアや工夫の詰まった『岸辺露伴』のシリーズを映像化することにはとても意味があるように思います。監督はどのように捉えていらっしゃいますか?
現在は表現手段が洗練され、様々なジャンルのフィクションコンテンツが作られていますが、幅が広がっているはずなのに、すべてが同じように見える感覚に陥るときがあります。モノづくりの規格が統一されてしまっているような…。説明やわかりやすさが求められ、テンポの良さやスピード感が重要視され、伏線を回収することだけが是とされる。すべてが表現可能だからすべてを表現してしまう…。それでいいのかなと思うことはあります。
作り手の自己満足から来る難解さは論外ですが、見る側の想像力に委ねる部分や、セオリーとは違う構成などがもっと多くても良いのでは、と思うこともあります。
そういう意味で岸辺露伴シリーズは既成概念に縛られていない物語であり、実写でもその部分を大切にして撮影させていただいています。とても贅沢で貴重な場だと感じています。
文化の豊かさは、コンテンツの多様性とそれを受け入れることのできる懐の深さだと思っているので、露伴のような一味違った世界観をメジャーな場で提示できることはとても喜ばしいことですし、大切なことだと思いますし、やりがいを感じます。
渡辺一貴
わたなべ・かずたか 1969年生まれ。’91年にNHK入局。連続テレビ小説『まれ』、ドラマ『デフ・ヴォイス 法廷の手話通訳士』などを演出。監督作に映画『ショウタイムセブン』など。
Ⓒ2025「岸辺露伴は動かない 懺悔室」製作委員会 ⒸLUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
Ⓒ2025「岸辺露伴は動かない 懺悔室」製作委員会 ⒸLUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
監督の渡辺一貴さんは映像感覚が優れているだけでなく、文学的に作品を切り取られます。『岸辺露伴は動かない』の実写化では、荒木飛呂彦先生の世界観をどう現実世界に落とし込むかが最大のテーマでした。
例えば映画『懺悔室』の少女は、荒木先生の承諾を得て原作と違うルックで登場します。原作の絵柄をそのまま三次元にしても漫画を読んだ時と同じ印象にはならない。漫画と同様の衝撃を得るには何が必要か。禁忌の世界、中世の修道士的な信仰に通じるのでは? というふうに作品の根幹を捉え、ルックの主題につなげています。
今回は表と裏、隠されたものという二重性もテーマにあるので田宮役の井浦新さんはルネ・マグリットの絵のようなコスチュームにしました。メインキャストの衣裳はほとんどオリジナルで作っています。奇異な格好をしていますが、そうは見えない。物語の怪異性やロケーション、演技、音楽全てが一体化しているので不自然ではないのです。
力のある表現者が集まって突出したものを作っているけれど、各分野の突出具合が近しく、クモの巣グラフにすると円に近い。だから自然に見えるのではないかなと思います。
柘植伊佐夫
つげ・いさお 1960年生まれ。主な作品にドラマ『龍馬伝』『平清盛』、「精霊の守り人」シリーズ、映画『シン・ゴジラ』『翔んで埼玉』『はたらく細胞』。著書『美人』が5/29に刊行。
音楽・菊地成孔「劇伴ではあり得ないアイデアも許容されるほど強度のある作品」
普段漫画を読まないので、予備知識なくテレビシリーズの第1作の粗編(音楽の入っていない映像)を拝見して、面白いだけでなく演技も撮影も衣装も脚本も審美性に優れていたことに圧倒されました。
音楽に造詣の深い渡辺監督は、僕のバンド「ペペ・トルメント・アスカラール」のようなイメージと、オファーしてくださった。僕は『岸辺露伴は動かない』を怪奇映画と捉えています。’60年代の怪奇映画や日本の特撮ものなどの音楽と、最新の機材を使って、過去と現在の要素をバランスよくまとめて作品の効果を上げることを心がけました。
オファーと同時期に「新音楽制作工房」というギルドを立ち上げ、おそらく日本で初めてギルド制(※)で劇伴を担当しています。映画音楽はアイデアが過ぎると作品を潰してしまう危険もある。ただ本シリーズは質が高くパワフルなので「劇伴ではあり得ない」というアイデアを必ず入れるようにしています。
監督は非常に実験精神に溢れており、誰もが実力とアイデアを絞り尽くす、特殊な場の力が働いています。『懺悔室』の新曲はほぼフルAIで制作、長編娯楽映画としては、世界で初だと思っています。
※ギルド制:構成員それぞれが独立した作品を制作し、チームとして仕事を請け負うシステム。
菊地成孔
きくち・なるよし 1963年生まれ。音楽家、文筆家。2021年、私塾の生徒とギルド「新音楽制作工房」を立ち上げた。担当した作品に映画『素敵なダイナマイトスキャンダル』など。
脚本・小林靖子「虚構と思わせず、現実にも寄せすぎない絶妙なバランスで」
漫画の実写化では、「ウソ! あり得ない」と思わせないようにしなければいけないんですね。『岸辺露伴は動かない』には「ヘブンズ・ドアー」という最大の嘘があるので、ほかはなるべく現実的な匙加減に、でも現実に寄りすぎてしまうと露伴らしさがなくなってしまうので苦心しました。
ドラマのシーズン1の完成作を見て大丈夫と思えたのは、渡辺一貴監督の演出、衣裳や小道具、音楽、カメラ、そしてキャストの皆さんのお芝居、全ての力によるものだと思います。ジョジョシリーズでおなじみの「~じゃあない」という口調も、高橋一生さんはすごく自然に言ってくださった。原作ファンは嬉しいと思います。
高橋さんは露伴のような探究心がおありなのか、回ごとに芝居を変えてみたり、役を自分に引き寄せすぎない、バランス感覚が素晴らしいですね。
映画『懺悔室』は原作のラストの余韻を大切にしながら書きました。呪いがテーマなので、イタリアで縁起が悪いとされるモチーフを取り入れています。荒木飛呂彦先生の描く世界はパワーがあって面白い。ヴェネツィアの風景に露伴の世界観がなじんでいて、見ているだけでも楽しいと思います。
小林靖子
こばやし・やすこ 1965年生まれ。特撮ものやアニメの脚本・シリーズ構成を担当。「仮面ライダー」シリーズ、「進撃の巨人」シリーズ、「ジョジョの奇妙な冒険」シリーズなど。
『岸辺露伴は動かない 懺悔室』
ヴェネツィアの教会で、仮面をかぶった男の恐ろしい懺悔を偶然聞いてしまった岸辺露伴。男は「幸せの絶頂の時に“絶望”を味わう」という呪いをかけられていた。露伴は「ヘブンズ・ドアー」という特殊能力で男の記憶を読み、自分にも「幸福になる呪い」が襲いかかっていることに気づく。5月23日全国公開。Ⓒ2025「岸辺露伴は動かない 懺悔室」製作委員会 ⒸLUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社
anan2445号(2025年4月30日発売)より