【高知】秋田豊監督が辞任「社長との軋轢」理由はパワハラ引責ではなく女性トップの不義理と強調

記者会見で辞意を表明したサッカーJ3高知の秋田監督(共同)

サッカーJ3高知ユナイテッドSCの秋田豊監督(55)が19日、高知市内で会見し、同日付で辞任する考えを明らかにした。今季就任も、パワーハラスメントの疑いで6月末から長期休養。間もなく3カ月が経とうとしているが、一向に事態の進展がないことから、クラブではなく個人として場を設け、騒動後は初めて口を開き「私、秋田豊は、今日をもって高知ユナイテッドの監督を辞任させていただきます」と表明した。

第三者の弁護士3人による特別調査委員会では、まだ報告書は未公表ながら、計18事案のうち6事案がパワハラに認定されていることを明らかにした。情報共有の行き違いから「試合に使わないからな! と言ったことは事実」などと認めつつ「選手たちの心を動かすためだったが、私の上に行きたい気持ちが強すぎたことは否めない」「自分の熱量が一部のスタッフにはハードルが高すぎた。今では理解し、違ったアプローチの仕方が必要だったと感じている」と反省した。訴えを起こした選手たちにも「嫌な思いをさせて申し訳ない」と謝罪した。

一方で3分の2に当たる12事案はパワハラと認定されず「暴力を振るったことはないし、悪意をもって指導したことも1度もない」と認識の違いも強調した。

続けて、辞意を固めた理由はパワハラ疑惑による引責ではなく、休養から3カ月弱、音信不通になっていたという山本志穂美社長(60)の不義理、騒動が収束しなかったことへの不信感を挙げた。

「山本社長との軋轢(あつれき)というか、自分としては、そんな思いはなかったんだけど、社長のそういう思いが、だんだんだんだん見えてきて。パワハラによる休養に見せて、最終的には僕を解任させたい思いがあることが露呈してきた。だから、こんなに長くなったのかなと」

その後、特別調査委による報告書が8月14日に上がってきたというが、いまだに公表はなし。一方で裁定が下る前の7月下旬に山本社長が秋田監督の解任を決めたとの情報も入り、決裂は決定的となったという。

4月7日のLINEを最後に音信不通だった山本社長とは、今月11日と12日にようやくオンラインのミーティングが実現したが「社長が辞めるのであれば私も監督を辞めると言い、残るのであれば自分もシーズンが終わるまでは指揮を執る2択になった。ただ、これ以上もう時間を無駄にしたくなかった」と辞意を固めた。

最後に「山本社長が私を排除しようとして、いろいろな嫌がらせや現場復帰できないように時間稼ぎをしてきたことに関して、怒りを感じている。自分も岩手(いわてグルージャ盛岡)でオーナー社長をしていたから分かるので、一緒に会合へ行ったり、関係は悪くなかったと思っていた。ただ、営業へ行っても遅刻してきたり(商談を)ドタキャンしたり。はらわた煮えくりかえったけど、そういう人間なんだなと思って。チームも人間関係も全て壊した」と断罪した。

混乱するチームと選手にはエールを送った。現在5連敗中で15位と、自身が休養に入る前の8位から順位を落としたクラブのJ3残留を願いながら、サポーターやスポンサーにも感謝。「指導者は続けていきたいし、自分の旅は続く。もう高知は離れるけれど、サッカー人として来られて良かったと本当に思っている。短い間でしたが、ありがとうございました! 高知、最高です!」と締めくくった。

クラブは6月29日、秋田監督の休養を発表。直ちにヒアリングを実施したが、両者の意見に相違があるため、第三者の弁護士3人で構成される特別調査委員会に委ねることが決まった。秋田監督は結論が出るまで練習、試合への参加を見合わせることになった。

神野卓哉ヘッドコーチが代行として暫定指揮を執っていたが、今月10日に契約解除。「クラブと話し合いを続けてきたが、状況の変化がないことから、これ以上のマネジメントは難しいと考えた」と自ら退団した。山本社長が謝罪したものの、文面だけで、改善の兆しは見られず。この点についても秋田監督は「(神野氏に)来てもらったのに申し訳ないことをした。山本社長の責任。トップなら決断しないといけない」と指摘した。

秋田監督は現役時代、鹿島アントラーズや名古屋グランパスのセンターバックとして活躍。日本が初出場した1998年ワールドカップ(W杯)フランス大会と、自国で行われた02年W杯日韓大会に出場した。監督としては京都サンガやFC町田ゼルビアを率い、今季は岩手(当時J2)時代の22年以来3年ぶりに現場復帰していた。

高知は、日本フットボールリーグ(JFL)5年目の昨季、過去最高の2位でJ3との入れ替え戦へ。YS横浜を破って初のJリーグ昇格を決めた。四国で唯一、Jクラブのなかった県の宿願を成就したが、泥沼化が話題になっている。

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