「ウクライナ戦争は日本に近づいている」 千葉「正論」懇話会・兵頭慎治氏講演詳報
千葉「正論」懇話会(会長=宮澤英男千葉信用金庫理事長)の第88回講演会で、防衛省防衛研究所研究幹事の兵頭慎治氏が「激動の国際情勢と日本の安全保障」と題して講演した。兵頭氏は、特定地域での軍事的緊張が他の地域や世界全体を不安定にする「地政学リスク」が高まっていると指摘。中国、ロシア、北朝鮮と接する日本の安全保障環境も戦後最も厳しく、複雑な状態となり、「複数の有事が発生する『複合事態』の危険性も高まっている」と述べた。講演の要旨は以下の通り。
◇
8月15日の米アラスカ州での米露首脳会談で、ロシアのプーチン大統領はトランプ米大統領とともにレッドカーペットの上を歩いた。この歓待により、プーチン氏にとっては国際的孤立を打破できたというアピールの機会となった。しかも2人は別々の車に乗るはずだったのに、トランプ氏の車にプーチン氏も乗せてしまうというアクシデントが起きた。通訳なしの密室で会談が始まってしまい、ウクライナの停戦より和平を優先するというプーチン氏のペースで流れが作られてしまったといえる。
講演する防衛省防衛研究所研究幹事の兵頭慎治氏=9月24日、千葉市のホテルニューオータニ幕張(松崎翼撮影)9月3日には、中国・北京で行われた抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年という軍事パレードで中国の習近平国家主席、プーチン氏、そして北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党総書記の「スリーショット」が実現してしまった。
「地政学リスク」とは、ある地域での政治的、軍事的緊張の高まりが、他の地域や世界全体の先行きを不透明にするリスクのことだ。これからは、グローバルな地政学リスクを意識する時代となっている。
アメリカ発の地政学的リスク
「世界は戦争の時代に回帰しようとしているのではないか」とも言われている。欧州と中東で2つの戦争(ウクライナ戦争、イスラエルとハマスの戦闘)が起き、東アジアで3つ目の戦争が始まるのではないかという心配もある。米は「世界の警察官」をやめたといわれており、国際秩序に無関心になっている。国際社会の素の状態(アナーキー=無政府状態)が顕在化している。
国際政治学者のイアン・ブレマー氏が率いる調査機関「ユーラシア・グループ」が予測した2024年の世界リスクの1位は「米国の分断」、2位は「中東の緊迫化」だった。2025年の世界リスクになると、1位から4位までがトランプ氏に関することだった。トランプ氏のノーベル平和賞への個人的功名心やディール(取引)志向など、「アメリカ発の地政学リスク」が増加している。
ウクライナの戦況だが、ロシアによって全領土の約2割を占領されている。ロシアはクリミア半島と東部・南部4州を州境まで憲法で自国領と規定し、「制圧せざるを得ない」という理屈を立てている。
ロシアと北朝鮮の軍事支援に関する新条約が2024年12月に発効したことは、ウクライナ戦争が東アジアに近づいてきた1つ目の要素となる。金氏は「(ウクライナ戦争に)参戦した」と明言している。露朝の「同盟化」が着実に進展している。
当初、習氏は露朝の軍事的接近に距離を置いていたが、冒頭のスリーショットが実現した。恐らく中国はまだ軍事的な3カ国連携に踏み切るつもりはないと思うが、スリーショットの映像を米側に見せてトランプ氏と駆け引きしたいというレベルにおいては、踏み込んできたといえる。
露軍が日韓ミサイル攻撃対象リスト
ウクライナ戦争は3年半をへて、新しい中距離ミサイルを相互に打ち込むという新たなフェーズ(局面)に入っている。ロシアは、欧州に届く新型中距離弾道ミサイル「オレシュニク」を今年後半にもベラルーシに配備する。いずれ、ロシアの極東地域にも配備されることになり、日本はその射程に入る。これが日本にとって2つ目のウクライナ戦争の副産物だ。
昨年末、英紙フィナンシャル・タイムズが「ロシア軍が日韓のミサイル攻撃対象リストを作成していた」と報道した。リストには、北海道・奥尻島の空自レーダーや茨城県東海村の原発も入っていた。ロシアはNATO(北大西洋条約機構)との戦争が東アジアに波及することを想定している。これが、ウクライナ戦争の3つ目の余波だ。
日本は「複合事態」のリスク
日露関係について、露大統領報道官は「すべての関係が停止して最低レベル」と言っている。ロシアは日本を非友好国に認定し、平和条約締結交渉も打ち切られている。9月3日を中国と同じように対日戦勝記念日にした。中国に合わせて反日のレベルを引き上げている。
日本は、戦後最も厳しく、複雑な安全保障環境にある。中国、ロシア、北朝鮮の3正面に対峙(たいじ)せねばならず、中露、露朝の軍事的接近もある。米の国際社会への関与も低下しており、複数の有事が同時に発生する「複合事態」のリスクすらある。それを期待しているのではないか、といわれているのが中国。台湾侵攻を考えるなら、米軍と自衛隊の戦力を分散させるのは鉄則だ。
ウクライナ戦争は遠い場所の戦争ではなくて、徐々に日本に近づいている。複合事態に陥らぬよう、早くこの戦争を終わらせる必要がある。危機意識を持った上で、「自分ごと」として日本の安全保障を考えないといけない。
◇
講演は9月24日、ホテルニューオータニ幕張(千葉市美浜区)で行われた。
ひょうどう・しんじ 専門はロシア情勢及び国際安全保障。昭和43年愛媛県生まれ。上智大学大学院国際関係論専攻博士前期課程修了。外務省在ロシア日本国大使館専門調査員、英国王立国防安全保障問題研究所客員研究員、ロシア・東欧学会副代表理事、内閣官房国家安全保障局顧問等を歴任。現在、防衛省防衛研究所研究幹事のほか東北大学東北アジア研究センター客員教授、青山学院大学大学院兼任講師、国際基督教大学非常勤講師も務める。