7校連合VS朝鮮学校の「集団決闘」 割って入った先生、そこに車が
現場から
土曜の昼下がりだった。
校長室の黒電話が鳴り響き、受話器の向こうの保護者は早口で訴えた。
「うちの生徒たちが、朝鮮学校の生徒と乱闘を計画しているようだ」
校長はあわてて職員室に駆け込み、全教職員に集まるよう指示を飛ばした。
広島電機大学付属高校(現・広島国際学院高校)の外観=1975年ごろ、広島県海田町、鶴素直さん撮影の8ミリフィルム映像から時は1970年12月5日。大阪万博が開かれ、作家の三島由紀夫が割腹自殺した年のことだった。
ある高校で韓国・朝鮮語を教える先生は日本の教員免許に加え、朝鮮民主主義人民共和国の教員資格も持つ珍しい経歴です。その謎を解く物語の始まりは1970年。朝鮮学校生と、日本人高校生ら「7校連合」による「集団決闘」騒ぎでした。
広島県海田町の広島電機大学付属高校(電高)では午前の授業が終わり、生徒らはすでに下校していた。
保護者の話によると、「乱闘」の現場はバス停のある広場だという。電高から徒歩15分ほどで、在日朝鮮人の中高生が通う広島朝鮮中高級学校からも遠くない。
本当に乱闘が起きれば、大事になる――。
知らせを受けた生活指導担当の教員らが車で急行すると、その気配はなかった。全員で周囲の見回りを続けたが、何事も起きる様子はない。
ほどなく解散となり、電高教員だった鶴素直(すなお)(87)は学校を出た。300メートルほど歩くと、橋のたもとで8人ほどの男子生徒たちがもめていた。
31歳のときの鶴素直さん=1970年撮影、本人提供黒や紺の学生服を着た生徒らが二手に分かれ、それぞれ1人の生徒に襲いかかろうとしていた。
「これが、保護者の言う『乱闘』に違いない」
鶴はそう直感した。
急ブレーキで止まった車
襲われているのは朝鮮学校生だろう。
当時31歳だった鶴は素早く体をいれ、1人の生徒をかばおうとした。ところが少し離れたところで、もう1人が襲われようとしている。
どうすることもできない、と考えたその時だった。
1台の車が急ブレーキをかけ…
この記事を書いた人
- 宮崎亮
- 大阪社会部記者|平和・人権
- 専門・関心分野
- 子ども・若者・教育・人権・平和・核兵器