50歳でFIREを達成し、私は米国からメキシコへ移住した。「失敗と予期せぬ出費」だらけの1年目に、海外リタイア生活のサバイバル術を学んだ(海外)(BUSINESS INSIDER JAPAN)
50歳でアメリカでのキャリアに見切りをつけ、メキシコに移住したが、最初の1年目は、試練の連続だった。周辺環境の下見もせず、地元の人にも話を聞かないまま賃貸契約を結んでしまったのは、大きな失敗だった。為替レートの変動への対応や、予期せぬ出費に備えた予算の確保など、多くのことを学んだ。 50歳になったとき、私は薬剤師としてのキャリアを終えて海外に移住したいと思った。 【全画像をみる】50歳でFIREを達成し、私は米国からメキシコへ移住した。「失敗と予期せぬ出費」だらけの1年目に、海外リタイア生活のサバイバル術を学んだ 生活費の高騰が続くアメリカでは、早期リタイアなど夢のまた夢に思えたが、堅実な資産運用と戦略的な移住を行えば、決して手の届かない話ではないはずだと私は確信していた。 退職後の移住先としてメキシコを選んだのは、アメリカより物価が全般的に安く、家族が暮らすサンフランシスコからも近いためだった。 ではメキシコのどこに住むか。最終的に落ち着いたのは、ハリスコ州アヒヒックだ。チャパラ湖畔に位置するこの街は、穏やかな気候と活気ある文化で知られ、メキシコ政府が文化・建築・歴史的な価値を認定する「プエブロ・マヒコ(Pueblo Mágico、魔法の町)」の一つとして人気を集めている。 荷物を整理し、売り払い、寄付する作業だけでも疲労困憊だった。しかし、サンフランシスコのメキシコ領事館でビザ申請の予約を取ることは、それ以上に困難を極めた。 何週間も予約専用ダイヤルに電話をかけ続けたが、一向につながらない。業を煮やして移民手続き代行業者を雇うと、「最短で予約が取れるところはテキサス州ラレドの領事館だ」と告げられた。 何度もフライトを予約してはキャンセルに見舞われ、最終的には夜通し車を走らせる羽目になった。そしてようやく南部のその領事館にたどり着き、2022年末にビザを取得することができた。 予想通りと言うべきか、これは新米の海外移住者として私が直面することになる数々の試練の、ほんの序章に過ぎなかった。
私がアヒヒックに到着したのは、北米の「スノーバード(寒い季節に暖かい地域へ移動する人)」たちが押し寄せる、賃貸市場のピークシーズンだった。そのため、物件の争奪戦はとりわけ熾烈だった。 移住する前、私は高いボベタ(丸天井)と緑あふれる中庭のある、メキシコらしい伝統的な家での暮らしを思い描いていた。不動産会社のサイトを毎日チェックしたが、理想に近い物件はまったく見つからなかった。 そんなとき、Facebookでようやく素敵な一軒家を発見し、すぐに不動産業者に連絡を入れて内見の予定を組んだ。実際に足を運んでみると、写真で見る以上に美しかった。 理想のリタイア生活を送る絶好のチャンスを逃すまいと焦った私は、1年分の家賃と敷金を前払いすることに同意してしまった。しかし、そこに住み始めて間もなく、いくつもの欠点に気づいた。 その家があるのは、深夜まで続く大音量のブロックパーティー(ご近所で開催される路上パーティー)が頻繁に行われるようなエリアだったのだ。眠れない夜が続き、セキュリティ上の不安を覚え、しかも敷地内でガス漏れまで発生した。我慢は限界に達した。結局、賃貸契約を途中解約したが、前払いした家賃はごく一部しか返金されなかった。 この“高い授業料”が教えてくれたのは、契約を結ぶ前に、まずは近くのホテルやエアビーアンドビー(Airbnb)に滞在して周辺環境をチェックし、そのエリアを把握しておくことの大切さだ。バラ色の理想の生活にばかり気を取られて冷静さを失い、家賃を前払いしてしまったことで、問題が起きた際の交渉力まで手放してしまったのだ。 数カ月後、住環境をより自分でコントロールしたいと考えた私は、物件の購入を検討し始めた。アヒヒックは古くから海外から移住してきた退職者に人気の土地のため、投資先としても有望に思えたからだ。 その頃にはこのエリアの勝手も分かってきており、静かな住宅街に自分の希望に合う家を購入することができた。