「がまんは美徳」と腹痛を耐え死にかけた男の結末――「たかが」と侮ってはいけない命に関わる腹イタの正体。昔と今では違う“治療の新常識”(東洋経済オンライン)
2/22 7:30 配信
1泊2日の予定で実家に帰省したところ、そのまま近くの病院に1週間も入院することになってしまった男性。たかが“腹イタ”のはずが緊急手術を受けることになった、その理由とは――。■よくある軽い腹痛のはずが… 「おなかが痛くなることは、ときどきあったんです。でも、軽い腹痛なんて誰にでもよくあることだし、まさかあんな大変な目に遭うなんて、思いもしませんでした」
そう話すのは、カメラマンの樋口祐也さん(40代、仮名)だ。当時は20代後半。普段は都内で妻と2人暮らしをしているが、その日は郊外にある実家に用があり、1人で帰省していた。
「夕方、実家に着いた頃には、すでに右の脇腹に鈍い痛みがあったんです。だけど、いつものことだから、そのうち治るだろうと高をくくっていました」本連載では、「『これくらい平気』だと思っていたら、実は大変な病気だった」「こんなバカな行動で、病気になってしまった」という体験談を募集しています(プライバシーには配慮いたします)。取材にご協力いただける方は、こちらのフォームからご応募ください。
当時の樋口さんは、上司であるカメラマンのサポートをするアシスタント。撮影前の準備から、撮影後の写真の整理まで、こまごました業務をこなさなければならない。働き方の意識が変わってきた今と違い、当時は徹夜も珍しくなかった。
心身ともに常に多大な負荷のかかる状態だったという樋口さん。「おなかはそんなに強くないほうなのに、ストレスを感じると暴飲暴食してしまう。翌日におなかを壊すのは日常茶飯事だった」と振り返る。 さて、夕方に始まった腹痛は、夕食を食べたあとも治まらない。
妻に電話をかけて腹痛が治らない旨を伝えたが、日頃の樋口さんのおなかの調子を知っている妻からは、「また? 一晩寝たら治るんじゃない?」と軽くあしらわれる始末。本人も「やっぱりそうなんだろうな」と妙に納得し、深く考えないまま床に就いた。
しかし、翌日も腹痛は続く。しかも、痛みは前日よりひどくなっていた。だが、おなかは痛くても、朝食も昼食も普段どおり食べられた。 悲劇はその後に起こった。■気絶しそうな痛み 「昼食後、腹痛が加速度的に激しくなっていったんです。例えるなら、内臓をギュッと手で握り潰されているかのような痛み。3時ごろには脂汗が出るほどの激痛で、とうとう立てなくなりました」
さすがにこれはおかしいと思った樋口さん、インターネットで症状を調べると、虫垂炎の症状にぴったり当てはまっていた。虫垂炎とは、大腸の右下のあたりにある虫垂という部分に炎症が起こる病気だ。一般的には「盲腸」と呼ばれている。
折り悪く両親は外出中で、実家には樋口さん1人だけだった。 「電話でタクシーを呼び、おなかがめちゃくちゃ痛いので近くの大きな病院に行ってほしいと頼みました。そうして、たどり着いた病院で、運転手に肩を貸してもらって受付を済ませて待合室へ。このときには、もう気絶しそうなくらいの痛みでした」 血液検査や画像検査を受けた結果は想像どおりだったが、“たかが虫垂炎”とはいかなかった。
「急性虫垂炎で腹膜炎の一歩手前」で、このまま放置していれば命にも関わっていたかもしれないとのことだった。
「医師からは、虫垂がいつ破裂してもおかしくない状態なので、緊急手術が必要だと言われました。『こんなになるまでよくがまんできましたね。すごく痛かったでしょう』と言われた記憶があります」(樋口さん) そして、すぐに診察室の隣の処置室で看護師にアンダーヘアを剃られた樋口さん。「まだ20代だったので、一瞬、腹膜炎の痛みを忘れるほど恥ずかしかった」と言う。こうして手術室へと運ばれた。
虫垂炎の治療では、おなかに穴を開けて行う腹腔鏡下手術を行うことが多い。ただ、樋口さんの場合は炎症が強く、その範囲も広かったため、開腹手術となった。手術にかかったのは1時間程度だが、右下腹部に10センチほどの傷が残った。
樋口さんは全身麻酔の影響で眠ってしまったので、気がついたときには手術を無事に終え、病室のベッドにいたという。■え、ウソだろ!? ただ、悲劇は手術後にも起こった。
「目を覚ますと、痛いというよりも体がだるくて。全身麻酔の影響なのか、耐えがたいほどの倦怠感でした」という樋口さん。ぼんやりとベッドサイドから心配そうにのぞき込む妻と母の顔に、「来てくれたんだ」と安堵したのもつかの間、その先にあった光景に、わが目を疑った。
なんと自分の点滴に違う人の名前が書かれていたのだ。 「え、ウソだろ!?」 だが、これもまた全身麻酔の影響なのか、声を出そうとしても、「うーうー」といううなり声しか出ない。それでも、なんとか重い腕を持ち上げて点滴のほうを指差し、この一大事を伝えようとした。 しかし、懸命な樋口さんの訴えに、妻はまったく気づかない。
それどころか、「もうこれで、大丈夫だよ」と言いながら手を握ってきた。母も「うん、うん」とうなずいていた。
「これはヤバい! と思いました。以前、点滴を間違えて投与されたせいで亡くなった人がいるというニュースを見たことがあったので、本当に怖かったし、パニックになりかけました」(樋口さん) 樋口さんの尋常じゃない様子に、事の重大さにようやく気づいた妻と母が慌ててナースコールをした。点滴は取り替えられ、「栄養と水分補給のための点滴だったので害はない」と看護師から説明と謝罪を受けた。
幸いにも事なきを得たが、以来、樋口さんのなかには「病院選びは重要だ」という意識が残っているという。
その後は、若いこともあって順調に回復していった樋口さん。むしろ手術後は空腹との闘いだったようだ。 「よく虫垂炎の手術後に、“おならが出たら腸が動いている証拠”だって言いますよね。実際、おならが出たと看護師さんに報告したら、お粥から軟飯にしてもらえました。すごくうれしかったです」(樋口さん)
1週間ほど入院して、無事に退院。1泊2日の帰省のつもりがずいぶん長くなってしまったが、このタイミングで病気になってよかったと思ったそうだ。「仕事が忙しい妻には迷惑はかけられない。親に来てもらえたから気持ち的にはラクだった」とのこと。
■がまんは美徳…ではない 一方、反省点は、早めに受診しなかったことに尽きるそうだ。 「昔は『泣き言を口にしたら負け』とよく言ったし、がまんは美徳だった。そのせいか、痛みに強くなったんですよね。でも、もう少し遅かったら虫垂が破裂して、最悪の場合、命を失ったかもしれないと言われたので、今後は早めに受診しようと思います」(樋口さん)
なお、おなかが痛いと話したときに樋口さんを軽くあしらった妻は、反省しきりだったそうだ。
総合診療かかりつけ医・菊池医師の見解 総合診療かかりつけ医、きくち総合診療クリニック院長の菊池大和医師は、「虫垂は、腸の右下にある“行き止まり”になっている臓器。糞石(ふんせき)という石のように固くなった便が、虫垂の入り口を塞ぐことなどにより、内部に大腸菌などの細菌が繁殖して、炎症を引き起こした状態を虫垂炎といいます」と説明する。
誰にでも糞石はできるため、年齢、性別、生活習慣などに関係なく、誰でも虫垂炎を発症するリスクがある。
「小学生までの小さな子どもはなりづらいですが、それ以外の人はいつなるかわからない病気。これは運としか言えません」と菊池医師。これまで中学生から100歳ぐらいまでの患者を診たことがあるそうだ。 昔は虫垂炎がわかったらすぐに手術が行われたようだが、近年はこのような緊急手術をすることはめったになく、いったん抗菌薬で虫垂の炎症を抑えることが多い。
そのほうが計画的に手術できるため、安全かつ回復も早いからだ。よく聞く「薬で散らす」というのが、これにあたる。
「実際には、患者さんごとにCTや超音波検査で虫垂の炎症の程度を確認し、また痛みや経過などから、いったん薬で炎症を抑え込むべきか、すぐに手術を行うべきかを総合的に判断します」と菊池医師。 ただ、薬で抑えても、1年以内に再発する割合は50%ほどなので、炎症が落ち着いたところで、早めに手術をしたほうがいいそうだ。
虫垂炎の手術は、おなかに5〜10ミリ程度の穴を数箇所開けて行う腹腔鏡下手術で虫垂を切除するケースが多い。「開腹手術に比べて大きく切らないので回復が早く、すぐ動けるというのが利点」と菊池医師。
■虫垂炎で命を落とすことも ただし、これが腹膜炎を併発しているとなれば、話は別だ。 「虫垂炎で起こる腹膜炎は、破れたり壊死(えし)したりした虫垂に溜まった便や膿がおなかの中に漏れ出し、炎症を起こした状態です。放置したら便中にいるバイ菌や有害成分が血液中に入り込み、敗血症という命に関わる状態を合併してしまうおそれもあります」(菊池医師)
そのため、腹膜炎を併発している場合は、生理食塩水などでおなかの中を洗浄する必要がある。したがって、この場合は開腹手術になることが多い。
樋口さんの場合は、炎症の程度がひどく、腹膜炎の一歩手前だったため、緊急で開腹手術をするしかない状態だったのだ。 虫垂炎の手術後の食事は、消化に良いものから少しずつ増やしていく。よく「おならが出たら食事を摂っていい」と言うが、これは医学的に本当なのだろうか。
「本当です。虫垂炎の手術後は腸の動きが悪くなる麻痺性イレウスや、腸の癒着による機械的イレウスになりやすい。おならが出れば腸が動いている証拠なので、“食事を摂っていい”という合図になります」と菊池医師は話す。
退院後も、当分は食べすぎに要注意。便秘や下痢をしやすいので、おなかの調子と相談しながら食事をしたほうがよさそうだ。 最後に、菊池医師は「虫垂炎を軽く見てはいけない」と警告する。
「なぜか虫垂炎は軽い病気と思われがちですが、腹膜炎を放っておくと敗血症になり、亡くなることもあります。特に高齢者や人工透析をされている方は要注意。右下腹部が痛い場合は、早めに病院にかかりましょう」
菊池 大和 :きくち総合診療クリニック/大西 まお :編集者・ライター
最終更新:2/22(日) 7:30