床下のバッグから発見された20歳の娘…「避難先にとどまらせておけば」と悔やむ父親
元交際相手からの暴力やストーカー行為を訴えていた川崎市川崎区の岡崎 彩咲陽(あさひ) さん(20)が遺体で見つかった事件で、父親の鉄也さん(51)が読売新聞の取材に応じた。彩咲陽さんが最初に警察に被害を訴えたのは1年前の昨年6月。鉄也さんは昨秋、彩咲陽さんを名古屋市に避難させていたと明らかにした。約3週間後に川崎へ戻ることを認めたが、「名古屋にとどまらせておけば」と悔やんでいる。(川崎支局 金子祥子)
亡くなった岡崎彩咲陽さん(岡崎鉄也さん提供)彩咲陽さんは昨年2月頃、白井 秀征(ひでゆき) 被告(27)(死体遺棄罪などで起訴)と交際を始めた。破局と復縁を繰り返していた。
「遺影の写真ですら、まだまともに見られない」と語る岡崎鉄也さん(12日、川崎市川崎区で)=武藤要撮影「けんかをして服を破られた」。昨年6月13日、神奈川県警川崎臨港署に通報した。復縁直後のことだった。殴られた後、泣きながら街を歩く姿が鉄也さんの知人にも目撃されていた。
鉄也さんは彩咲陽さんと白井被告、白井被告の勤務先関係者らを交え、話し合いの場を設けた。白井被告と会うのは初めてだった。
鉄也さんによると、白井被告は彩咲陽さんに、暴力はなかったと口裏を合わせるようLINEで指示。話し合いでも当初、暴力を否定した。しかし、鉄也さんがLINEのやりとりを示すと平謝りしたという。
彩咲陽さんは9月20日、「殴られ、ナイフのようなもので脅された」と同署に被害届を出した。「殺されるんじゃないか」。そうおびえ、顔を腫らした娘。鉄也さんは出張で長期滞在中の名古屋市に呼び寄せ、ホテルにかくまった。
しかし、友人と離れて部屋にこもる生活はつらかったようで、彩咲陽さんは川崎に戻ってしまった。10月29日、「大げさに話してしまった」と同署に説明し、被害届を取り下げた。
「加害者から脅されて取り下げた可能性もある」。DV(配偶者や恋人からの暴力)やストーカー問題の専門家は、こう指摘する。
彩咲陽さんが行方不明になったのは12月20日。身を寄せていた川崎区内の祖母宅からいなくなった。1階の窓ガラスが割れていることに気付いた祖母は22日、白井被告に連れ去られた可能性があると110番した。警察には「事件性がない」と言われたという。
遺体は先月1日、白井被告宅の台所床下にあったバッグの中から見つかった。白井被告は県警の調べに黙秘を続けており、彩咲陽さんが亡くなった時期や経緯は分かっていない。
県警は今回の事案への対応を検証している。
「太陽のように明るく、花開いてほしい」。鉄也さんは彩咲陽さんの名前に、そんな願いを込めた。
彩咲陽さんは寂しがり屋だった。一人でいることを嫌がったという。一方で、中学時代は陸上部で短距離走に励んだ。鉄也さんが運動会や部活の大会で応援に駆けつけると、いつも友達に囲まれ、輪の中心にいる「自慢の娘」だった。
父の日には、きょうだいと一緒に「いつもありがとう」とメッセージ動画を送ってくれた。今年の父の日は今月15日。彩咲陽さんからの動画はもう届かない。
鉄也さんは毎日、仏壇に手を合わせる。来月に納骨するつもりだが、遺品を見たら泣いてしまいそうで、整理する気にはなれない。
「なぜ彩咲陽は死んだのか。県警が検証後、納得のいく説明をしてくれるまで泣きたくないんです」