『国宝』吉沢亮の化粧シーン、なぜ多い?映画オリジナルシーンはこうして作られた|シネマトゥデイ
吉田修一の小説を吉沢亮主演、横浜流星共演により映画化する『国宝』(公開中)のメガホンをとった李相日監督。原作は文庫本で上下巻の長編だが、李監督が「小説のダイジェストにはしたくない」との思いをもって映画化した本作には、原作にないオリジナルのシーンが多々登場する。その裏側を李監督が語った。(※一部ネタバレあり)
【画像】『国宝』吉沢亮・横浜流星・渡辺謙・田中泯、圧巻の歌舞伎シーン<16枚>
物語の舞台は、戦後から高度経済成長期の日本。極道の息子として生まれ、抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られた喜久雄の50年の軌跡を追う。女形として類まれな才能を持ちながら歌舞伎の世界で不可欠な「血筋」を渇望し、葛藤する喜久雄に、李組初参加となる吉沢亮。半二郎の実の息子として将来を約束された御曹司・俊介に、李監督と『流浪の月』(2022)以来のタッグとなる横浜流星。歌舞伎界のスターで喜久雄と俊介を厳しく育てる半二郎を、李監督と『許されざる者』(2013)、『怒り』(2016)に続いて3度目のタッグとなる渡辺謙が演じる。
ADVERTISEMENT李監督にとって、吉田修一作品の映画化は『悪人』(2010)、『怒り』に続き3度目。前2作では自ら脚本も手掛けているが、本作では監督に専念し、奥寺佐渡子が脚本を担った。そこにはどんな意図があったのか。
「原作の情報量、ボリュームのすごさ。いわゆるダイジェストになってしまうのは何としても避けたかったので、どう映画用に組み直せるかと考える時に、脚本家に立っていただいて、なるべく自分が俯瞰して見られる状態にしておきたかった。それに、奥寺さんは前々から一度組んでみたい方だったんですね。奥寺さんは相米慎二監督の作品(『お引越し』(1993))でデビューされて、奥寺さんが一緒にやっていらっしゃった成島出監督ともご縁があって、ずっと注視していたんです」
楽屋の描写は原作にも多数登場。半二郎(渡辺謙)と妻・幸子(寺島しのぶ)映画では喜久雄と俊介の関係に焦点を当てるため、二人を取り巻く人物たちのエピソードを取捨選択しつつ、オリジナルのシーンを追加している。前半では喜久雄の少年時代に父(永瀬正敏)が殺される場面で、その場に居合わせた半二郎が喜久雄を守ろうとするシーンや、半二郎の代役を担う恐怖と緊張に震える喜久雄の化粧を俊介が手伝うシーンなどがある。特に後者は、血筋が欲しい喜久雄と才能が欲しい俊介の葛藤を際立たせるエモーショナルなシーンに仕上がったが、喜久雄の化粧のシーンが数多く登場する理由を、李監督はこう語る。
ADVERTISEMENT「ほぼ無意識でしたが、あの白粉の白さや紅の赤みは強烈なイメージとして脳内に焼き付いていました。歌舞伎に限らず、映画の撮影でも俳優によってはメイクをしている最中に自分をどんどん削ぎ落としていくこともあるので、そうした変容していく瞬間というものに興味があったのかもしれないですね。ほぼ毎日舞台に上がる喜久雄の人生はいわばその連続だったと思うんです。絶えず他の何かに変わり、突き詰めていく。しかも歌舞伎の場合、役者が自分で化粧をするので日常の一部になっている。例えば、歌舞伎役者さんの写真集などで化粧にまつわるシーンを見た時、何とも言えない美しさがあって、同時に何か見てはいけないものを見ているような感覚を覚えました」
喜久雄が女形の道に一層没頭するきっかけとなったのが、少年時代(黒川想矢)に人間国宝・万菊(田中泯)が舞った「鷺娘」に衝撃を受けたこと。この時の喜久雄の心象風景は紙吹雪と火花で表されているが、これは原作にはない描写で、この後も喜久雄の恍惚の瞬間を表した映像が随所に差し込まれている。
「火花に関しては若さも意識したかもしれません。吉沢くんが演じた喜久雄では使っていないので。そうした感情の元となったのは、原作にもあった雪のイメージです。少年時代に父親が殺された時に降りしきる雪、あの一瞬が彼の中での恍惚の種になる。後半の演目で『鷺娘』を選んだのも、雪(紙吹雪)が効果的な演目であることにも連なっています。雪、紙吹雪ときて最後、何に変容すると違う世界に誘えるのかと、CG部と何度も何度もやり直した結果、非常にシンプルな、美しい空気感を表現できたと思っています。喜久雄が見たかった風景、最後に訪れた恍惚の瞬間は、おそらく万菊にもあり、その景色はもしかしたら俊介も最後の最後に見たかもしれない、そう思えてなりません」
ADVERTISEMENT 少年時代の喜久雄(黒川想矢)を魅了した人間国宝・万菊(田中泯)の「鷺娘」吉沢が歌舞伎の稽古を積み、吹替えナシで演じ切った「二人道成寺」「曽根崎心中」「鷺娘」などの歌舞伎シーンもさることながら、きらびやかなスポットライトの当たらない喜久雄を捉えたシーンも圧巻だ。類いまれな美貌、才能を兼ね備えながらも「血筋」を持たない喜久雄は、やがて決して抗うことのできないその事実に苦しむこととなる。特に、人生のどん底に落ちた喜久雄が地方のホテルの屋上で心身ともにボロボロになりながら舞い続ける姿には、何とも言えない哀愁が漂う。原作にはないオリジナルの本シーンを取り入れた経緯について、李監督はこう振り返る。
「歌舞伎でしか生きていけない、芸と切り離せない人生がここにあるんだ、と。化粧が剥げながら踊るイメージは割と早い段階からありました。『祇園祭礼信仰記』という演目があるんですが、父の復讐に失敗した雪姫が桜の巨木に捕縛され、逃れようと桜吹雪舞い散る中で踊るようにもがく場面があります。雪姫の執念から、桜の花びらが鼠に変貌し、その鼠たちが姫を縛る縄を噛み切る、という奇想天外な仕掛けなのですが……妙に印象に残っていまして。結果的には全く違うシーンが生まれたわけですが、発想の源泉のひとつかもしれません」
ADVERTISEMENT 舞台裏の彰子(森七菜)と喜久雄(吉沢亮)本シーンを撮影する中で、喜久雄という人物像に新たな気付きもあったという李監督。
「初めはもう少し死の匂いを意識していました。喜久雄が舞っている最中に落ちて死んでしまうのではないか、あるいは死んでもいいと思って飛び降りてしまうのでは……そうしたイメージを抱いてロケハンしながら、ビルのベランダや屋上などの危うい場所を絞り込んでいきました。ただ、実際に撮影が近づくにつれ、逆にしがみつくんだと思うようになった。喜久雄が歌舞伎から離れられないのか、歌舞伎という存在が喜久雄から離れられないのか。両者が離れがたく結びつくことによって獣が生まれていくという、凄みがありつつも哀しみが溢れるシーンにしたいと思っていました」
予告編にもあるシーンだが、喜久雄は神社で手を合わせたあとに「神さまと話してたんとちゃうで。悪魔と取引してたんや」とつぶやく。その言葉通り、人生の全てを女形の道に捧げた喜久雄が最後に得るものは何なのか。スクリーンで観てこそ凄みが伝わる、原作と異なるラストシーンも見ものだ。(取材・文:編集部 石井百合子)
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教師による児童へのいじめが日本で初めて認定された体罰事件を追った福田ますみのルポルタージュ「でっちあげ 福岡『殺人教師』事件の真相」に基づく映画『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』(6月27日公開)で主演を務める綾野剛。三池崇史監督と『クローズZERO II』(2009)以来のタッグとなった本作で、保護者である母親から、教え子への体罰を告発される小学校教諭の薮下誠一を演じた。律子の目に映る薮下と、彼自身による証言の再現、一人の人間を恐るべきふり幅で演じた撮影の裏側、役へのアプローチを、独特な感性あふれる言葉で語った。
“どう見せたいか”ではなく“どう見られているか”が重要
教え子に凄惨な体罰を行ったと糾弾される薮下(綾野剛)だが……(C)2007 福田ますみ/新潮社 (C)2025「でっちあげ」製作委員会綾野が三池監督と組んだのは、実に17年ぶり。三池監督についてあらためて、「誠実に真っ当にスタッフやキャストを見つめ、敬意を持って大切にされる。以前もその姿を現場で見ていましたので、再びご一緒でき演出を受けるのが楽しみで、ワクワク感でいっぱいでした。本作でも監督の姿勢は美しかったです」と、監督の“人間力”に魅了された様子。チームを信頼する三池監督を、「(スタッフ・キャスト)それぞれの個性を調和させていきます。それも誘導するのではなく、それぞれの尊厳を大切にされるんです」と称賛する。
ADVERTISEMENT初めて脚本を読んだときの印象を「共演者との総当たり戦トーナメント」と振り返る綾野。「しかもそれぞれにジャンルの異なる者同士の格闘技のよう。ノーガード、防御なしの打ち合いと言いますか。そんな脚本に出会えるチャンスはなかなかありません。しかも真っ向からいっても、役として立っていられる気がしない方ばかりで」と、期待感が高まったことを明かす。
保護者会で謝罪を強いられる薮下だからこそ、薮下を演じるために自分の頭で考え、何かを提案する必要はなかったそうで、「共演者とつくるもの、現場でつくっていくものという感覚で。薮下という役は“どう見せたいか”ではなく、“どう見られているか”が重要でした。役づくりというより作品づくり、三池さんと一緒に作品と向き合う、ということでした」
「静」を貫く柴咲コウに「動」で対抗
薮下のいじめを訴える保護者を演じる柴咲コウそんな薮下を訴える、教え子の保護者である氷室律子を演じたのは柴咲コウ。いわばこの“総当たり戦”の初戦にしてクライマックスを戦う相手でもある役を、圧倒的な“静”の演技で揺るぎなく表現していく。一言で言って、この映画の柴咲は震えるほど恐ろしい。その演技について綾野は、「人というのは、話しながら常に動いているもので。限りなく静止しながら話し続けるのは精神力が必要なんです」と、その揺るぎなさがもたらす恐怖、律子が醸し出す恐ろしさについて解き明かす。そして、柴咲と初共演となったこの“戦い”を、「その瞬間はとても近しい感覚、役同士にとって同族とでもいうような部分があるから“着火”したのだと思います。静かに呼吸が合っていくようでもあって、とても幸せな時間でした」と感慨深げに語る。
その圧倒的な静を貫いた柴咲に対し、動の演技で対峙するにあたって綾野は「お芝居の間は美しい。同時に間こそが、お芝居とも言えます。ですが、今回はその間を恐れずに潰していきました」という。薮下は登場人物の視点によって全く異なる見られ方をする人物で、「ある行動をしたとき、正面から見る人への伝わり方は、右から見たときと左から見たとき、後ろから見たときとでは印象とは異なります。やたらと自分の体を触ったり、いろいろな“誤解”を散りばめることで、“薮下はこういう人物です”と一言で言えるものを捨て、見る人の目に映る薮下の面の数を増やそうとしました」とアプローチに触れる。
ADVERTISEMENT 写真:尾鷲陽介そうしたことを頭で構築することなく、共演者それぞれとの“総当たり戦”に全力で対峙し、相手の演技へ反応するように一つ一つ積み上げていった綾野。「(映画づくりは)チームで臨む労働ですから。そうしてできた映画が、観てくださる皆さんの人生の2時間程を少しでも彩ることができたら。だからこそ撮影という決められた時間の中で、出し惜しみせずにとことんやるのです」と、どこまでも真摯なのが彼らしい。
それでいて、自身の演技のふり幅の大きさを指摘しても「それはセリフが違うだけです」とさらり。「セリフが持つもの、言葉の扱い方の違い、そこから感じられるムードは異なります。そのセリフが持つ“エンジン”が異なるので、その言葉を信じることです。声のトーンもさほど変えていません」と、演技について語る言葉にはどこまでも純な気合いを感じさせる。
ある意味、構造は『クローズ』と同じ
薮下を追い詰める記者の鳴海(亀梨和也)完成した映画を観て、「特に冒頭の15分は、こんなにワクワクして観られる映画だと思っていませんでした。(柴咲)コウさんの出力の強さもあって、どうなっていくんだ?」と、自身にとっても驚きの仕上がりだったよう。また、舞台や設定は違うものの「ある種の『クローズ~』と近く、この映画の構造はシンプルなのかもしれません。骨組みは下から上に上がっていく、戦いの話。前者は学生だけで他者が介入しませんが、今作は当事者だけでなく、マスコミなどの他者が介入します」と独自の解釈も明かす。
さらに「ジャンルがハイブリッドされている」と、ここでも彼らしい感性で映画の魅力を語る。サスペンス、ホラーといくつものジャンルを思わせる側面があるといい、「ホラーやサスペンスでもあり、クライムフィクションのようでもある。ヒューマン、ホームドラマでもあり、それでいてベースドオントゥルーストーリー(実話に基づくストーリー)です。音楽も素晴らしくて、のせられてしまうんです。この映画のなかで生きている人たちはみんな本気であって、遊びがない。それを手練れの役者の皆さんが出し惜しみなく演じ、三池さんがその調和を保っていく。それは三池さんがこれまでいろいろなジャンルの作品に誠実に向き合われてきたからこそできる総合芸術。そうして完成した映画は、それぞれの生きざまをエンタメに昇華した、三池崇史監督の最新作にふさわしい作品になっています」と確かな自信をのぞかせた。(取材・文/浅見祥子)
ヘアメイク:石邑麻由/スタイリスト:佐々木悠介
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俳優の今田美桜が主演を務めるNHK連続テレビ小説の第112作「あんぱん」(総合・月~土、午前8時~ほか)は、16日に第12週「逆転しない正義」第56回が放送。あらすじを紹介する。
嵩(北村匠海)は、絵の才能を見込まれ宣撫(せんぶ)班勤務を命じられる。宣撫班では紙芝居を見せていた市場でひと騒動があったといい、物々しい雰囲気が漂っていた。
ADVERTISEMENT数日後、健太郎(高橋文哉)も宣撫班に入ることになり、2人は地元民から反感を買わない紙芝居を作ることに。さっそく内容を考える嵩だが……。
「あんぱん」は、「アンパンマン」を生み出した漫画家・やなせたかしさんと小松暢さんの夫婦をモデルとしたオリジナルストーリー。脚本は、「花子とアン」(2014)以来2度目の朝ドラ脚本となる中園ミホが手掛け、激動の時代を生きた二人があらゆる荒波を乗り越え、“逆転しない正義”を体現したアンパンマンにたどりつくまでの物語をフィクションとして描く。
暢さんをモデルとしたヒロイン・朝田/若松のぶを、「おかえりモネ」(2021)以来2度目の朝ドラ出演で初主演を務める今田が演じ、やなせさんがモデルの柳井嵩役を北村匠海が務める。RADWIMPSの主題歌「賜物」がドラマを彩り、語りを林田理沙アナウンサーが担当する。(清水一)
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2本立て映画『仮面ライダーガヴ&ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー Wヒーロー夏映画2025』(7月25日全国公開)の新たなゲストキャストが発表され、映画『ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー』に中川翔子、サンシャイン池崎、ゴー☆ジャス、てつや(東海オンエア)が出演することが明らかになった。
【動画】ガヴ&ゴジュウウルフが共闘!『Wヒーロー夏映画2025』特報
「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」(毎週日曜午前9時30分~・テレビ朝日系)は、巨神テガソードと「指輪の契約」を交わした5人の“はぐれ者”が、悪の軍団ブライダン、歴代レッドたちとおきて破りの頂上バトルを繰り広げるスーパー戦隊シリーズ50周年記念作品。
ADVERTISEMENT中川は、スーパー戦隊をこよなく愛する1人として、先日行われた「発表!全スーパー戦隊大投票」のゲスト出演も記憶に新しい。サンシャイン池崎は、幼少期に「超新星フラッシュマン」に熱中しており、ゴー☆ジャスは「烈車戦隊トッキュウジャー」にも出演するなど、共にスーパー戦隊が大好き。さらに、登録者数717万人(6月2日時点)を誇る人気YouTubeグループ「東海オンエア」のメンバーであるてつやも、スーパー戦隊好きを公言しており、念願のシリーズ出演を果たす。
ゲストキャスト4名のコメント全文は以下の通り。(編集部・倉本拓弥)
中川翔子
夢を超えたミラクル! ずっと大好きで良かった! スーパー戦隊は希望をくれる存在だと改めて感じ光栄な想いです。 リアルタイムではないですがビデオで観て幼少期に大好きになったデンジレッド!
大人になってからもデンジマンを観ると心の健康が保たれるので、ずっと大好きでいつも心にデンジマンが居ました。後楽園ゆうえんちに祖父と通っていた幼少期の自分に教えてあげたい! 末代までこの喜びを伝えたいです。
サンシャイン池崎
出演させていただきめちゃくちゃ嬉しいです! 空前絶後の喜びで、リアルにイェーーーイと叫びました! 僕の子供の頃はフラッシュマン見てた記憶があります! フラッシュマンが負ける回が確かあったと思います! それがかなりショックだったのを覚えてます! 違ったらすいません! 子供達の誰もが一度は好きになるスーパー戦隊に出れて本当に嬉しいです!
公開が楽しみだぜ!ジャースティス!!!
ゴー☆ジャス
スーパー戦隊にレボ☆リューション! 今回ゴジュウジャー出演が決まったと事務所のマネージャーさんに聞かされた時は『よっしゃラッキー! 燃えてきたー!』って感じでニキニキしました! 以前トッキュウジャーにも出演させていただき最高の思い出でした! なぜならゴー☆ジャスはスーパー戦隊シリーズ大好きなのです! いちばん最初に買ってもらった戦隊のおもちゃはダイナマンロボでした!
劇場版も派手にいくのでみんなも観るしかナイジェリア!!!
てつや(東海オンエア)
一番大好きなデカレンジャーは変身アイテム、武器、ロボ全て持っていました。 ブレスロットルを買ってもらう条件がマラソン大会で3位入ることだったんですが、 あまりに欲しすぎて3位に無事入賞できました。
ヒーローはいつだって僕たちに力をくれます。自分がその世界の一部になれることを心から光栄に思います!
映画『仮面ライダーガヴ&ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー Wヒーロー夏映画2025』特報 » 動画の詳細※VODサービスへのリンクにはアフィリエイトタグが含まれており、リンク先での会員登録や購入などでの収益化を行う場合があります。
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人気アクションシリーズ第8弾『ミッション:インポッシブル/ファイナル・レコニング』(公開中)の来日記者会見では、トム・クルーズがクリストファー・マッカリー監督の脚本家としての能力をたたえつつ、名プロデューサーでもある自身の映画作りの方法を明かす一幕があった。
【画像】『ミッション:インポッシブル』女優が大胆すぎるドレスで都庁に!
『ユージュアル・サスペクツ』の脚本家として名をはせたマッカリーは、脚本家、監督、プロデューサーとして、『ワルキューレ』『アウトロー』『オール・ユー・ニード・イズ・キル』『トップガン マーヴェリック』そして『ミッション:インポッシブル』シリーズと幾多の作品でトムと組んできた。
ADVERTISEMENTトムは「彼の物語を作り、語る能力と、俳優の中に才能を見る能力の高さには言及しておかなくてはならない。僕は彼に会った瞬間に、彼とはこれからずっと一緒に働くことになるだろうと思ったよ。キャラクターに対する理解、俳優が持つ声への理解、彼らのために書く能力……。『ユージュアル・サスペクツ』など彼が書いた映画を観たら、俳優のために書くという彼の能力が並外れていることがわかる。映画はもともとそういう風に作られていた」と切り出した。
「スターたちがいて、映画は彼らを中心に作られる。それは、かつてはスタジオによってなされていたけど、僕はこれまでのキャリアでずっと、自分のために、自分でそうしてこなければならなかった。どのように作品を選び、俳優を軸にそれを組み立てるかとね」と徹底してきた自身の映画作りの方法を明かす。
「そして彼(マッカリー)はそれを完璧に理解してくれる。彼はただ自分の部屋でキャラクターを書くのではなく、俳優たちと一緒に時間を過ごし、彼らのことを見る。僕は、僕と一緒に映画を作る人は誰であれ、全員に輝いてほしいと思っている。時に『これは“あなたの”映画だね』と言われることがあるけど、僕は『そう言うのはどうかやめて。これは“僕たちの”映画だ』と言うんだ。僕の、マッキュー(※マッカリーの愛称)の映画であるのと同じくらい、あなた(俳優たち)の映画なんだ! “僕たちの”映画なんだ! そして、あなたの声は重要なんだ! 僕はあなたがどう思うか聞きたいし、あなたが作りたいものを聞きたい!」
ADVERTISEMENT「彼(マッカリー)は俳優たちが持つ声を反映させていとも簡単に書いてしまう。『トップガン マーヴェリック』を観てごらん。彼の美しい才能によるものだ。僕たちは、脚本ありきでそれに合う俳優たちを雇い、撮影するのではない。俳優たちの人間性を感知し、脚本を発展させていくんだ」
「そのためには、俳優たちが何をしたいか耳を傾けなければならない。そして、彼らの能力が見えなければならない。時には、本人が自分のその能力に気付いていないこともある。『それを僕に照らさせてくれないだろうか?』という感じなんだ。それはストーリーへと反映され、観客がストーリーを楽しむことへとつながる。僕の人生におけるゴールは、“手助け”をすること。僕たちとの映画作りを経験することで、俳優たちによりよくやってほしいと思っている。それが、僕たちがやっていることなんだ」とプロデューサーの顔で語っていた。(編集部・市川遥)
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「超クウガ展」メインビジュアル - (c)石森プロ・東映2000年に始まった「仮面ライダークウガ」から続くシリーズは、いつしか「平成仮面ライダーシリーズ」と呼ばれるようになり、さらに時代は平成から令和へと移り変わり、現在放送中の「仮面ライダーガヴ」に至る。「クウガ」25周年を記念した展覧会「超クウガ展」の開幕を記念して、メインライターを務めた荒川稔久が取材に応じ、「クウガ」に参加していた当時の貴重なエピソード、「超クウガ展」に際して再会を果たした当時のキャストやスタッフへの思い、さらに未来へ向けてのメッセージを語った。(取材・文:トヨタトモヒサ)
【動画】「仮面ライダークウガ」25周年!一条薫役・葛山信吾からメッセージ
大変な中でも喜びが継続した一年間
「仮面ライダークウガ」メインライターの荒川稔久Q:メインライターを務めた「仮面ライダークウガ」ですが、改めて当時の一年を振り返ってみていかが思われますか?
ADVERTISEMENT渡辺勝也監督も言っていましたが、当時、ものすごく大変だったはずなんですけど、やっぱり楽しかったです。泊まり込みで打ち合わせなんて、今ではあり得ないけど、それを一年間続けられたというのは「これまでとは違う作品を作るんだぞ」という意気込みがあったからだと思います。1・2話の頃でよく覚えているのが、制作の沼尾和典さんというコワモテのおじさんがいたんですけど、その方がラッシュの夕焼けの映像に見入ってるわけですよ。「あの怖そうな人があんな満足げに見てくれてる」と思ったら、なんかすごくワクワク感が増して来たんですよね。その後に上がってきたカットのどれもが、過去の東映の特撮ヒーロー作品とは一線を画していて、そういう意味では、その瞬間に立ち会えているという喜びが継続していたからこそ、一年間乗り切れたんでしょうね。
Q:一方で、スケジュール的には相当タイトだったようですが。
1・2話の撮影時には、6話くらいまで上がってたんじゃないかな。それが11・12話をやっていた3月頃になるとかなり切羽詰まってたような記憶があります。だって、5・6話を撮っている頃に7・8話の打ち合わせをしてましたからね。その辺りの話題も今回の「超クウガ展」の展示で触れてるので、是非御覧になってください(笑)。
ADVERTISEMENTQ:「クウガ」に関しては、本当に数々の「伝説」がありますよね。
1・2話の打ち合わせの途中で教会を燃やすことになったくだりもその一つですね。何稿か重ねて大筋は固まったものの、「何か足りない気がする」と膠着状態になってたんですよ。その空気に耐えられなくなって「ちょっとトイレ」って行って戻って来たら、なぜかみんな晴れ晴れとした笑顔になってて。「教会燃やすことにしました」って(笑)。えーっ、マジですか!? って驚きましたけど、その「やるんだ!」がどんどん蓄積して「クウガ」という作品を作り上げたところがあると思います。
落命するラストも検討された五代雄介の行く末
「超クウガ展」で再現された、クウガアルティメットフォームとン・ダグバ・ゼバの最終決戦Q:最終回は、それこそ雄介が落命する案もあったと当時の「仮面ライダークウガ超全集」(小学館)のインタビューなどで証言されていますね。
今でこそ、“みんなの笑顔で終わる”というラストは、視聴者からしても、すごくホッとできる結末で良かったと思っているんですけど、自分で書いておきながら、当時はあのラストに対して、どこか腑に落ちないものを感じてました。落命するのは最も極端な案だとして、雄介は、心情的にみんなとニコニコ暮らし続けるのは難しいんじゃないかなと思ってたんです。詳しいことは展示を見ていただきたいんですが、最後は先代のクウガと同じように自らを封印するべきではないかと。ただ、途中からキューバロケの話が持ち上がったりしてきて、だったら、ある程度譲歩して生き残らせるかと。それで、冒険者として世界を巡ることにして、みんなとはしばらく会わない決断をする、という結末に落ち着きました。
ADVERTISEMENTQ:そこに至るまでには荒川さんご自身、かなり葛藤があったと。
ええ。当時は高寺さん(高寺成紀プロデューサー※高ははしごだかが正式)に対して具体的に反論が出来なかったんですけど、25年ぶりにやりとりをして、今回そこが整理出来たんですよね。自分がどうして最終話だけなかなか書き進められなくて、それを高寺さんはどう見てて、どうしてそうなったのか、というところが。当時ちゃんと整理出来てれば、石田さん(石田秀範監督)にご迷惑をかけずに済んだんですが。
Q:石田組の最終回は、通常の2話持ちではなく、第47~49話の3本持ちでしたよね。
とにかく撮り始めて数日経っている状況で、本当に時間がないことがひしひしと伝わってきて、そうなると、やっぱり焦りもあるし、そんな中、自分を納得させながら、あの結末を書いていたんです。
Q:そこは25年の歳月を経て、荒川さんの中で本当の意味で納得ができるようになってきた、ということですか?
ええ。今はあのラストにして本当に良かったと思っていますけど、小説を書いているときにもモヤモヤした気持ちがあったから、なんとなくどちらでも解釈できるような感じで書いていたし、石田監督も「天国にも見えるように撮った」と仰っていたから、或いは石田さんの中にも、もしかしたら、そういう感覚があったかもしれませんね。
ADVERTISEMENTQ:番組が終わった後はどのようなお気持ちでしたか?
打ち上げもあって、「楽しかったな」という印象で終わってはいるんですけど、当時、映画化の話も出ていたでしょう。すぐに気持ちを切り替えてそちらに移行していたから、余韻に浸っているヒマはなかった、というのが正直なところです。映画に関しては紆余曲折あって、9か月くらい他の仕事を殆ど入れずに色々検討を繰り返しましたけど、書いては白紙に戻り、また書いては白紙の連続でした。流石に他の仕事もしなきゃ生活に響くということになって、高寺さんから「ある程度形が決まってきたら、またお呼びします」と言われて、そのまま25年の歳月が流れてしまいました(笑)。
「クウガ」の作り手から次世代に向けてのメッセージ
「超クウガ展」に展示されているマイティフォームの立像Q:今回「超クウガ展」の仕事に関わってみて、どのような手応えを感じていますか?
25年の歳月を経て、久々に高寺さんやオダギリジョーくんと仕事をさせていただいた感触から言うと、みんな変わってないんなあと。変に粘ってしまうところとか、端から見たらどうでもよさそうな部分にこだわるところろとか(笑)、みんなどこか似てるんですよ。だから「しょうがないなぁ」と思いつつも分かるところがあるし、だいたい僕らのような仕事には、その「大人になり切れない」ところも必要なんです。だから今回も、それぞれの人生を抱えながらも「久々だし、思い切りやりましょう」と。改めて、あの頃に近い感覚に戻ったような気がしています。東映ヒーローでは初の番組単独の展覧会なので、湯水のように予算がもらえるわけでもなく限界はありましたが、それなりに頑張った結果を楽しんでいただけたらと思います。
ADVERTISEMENTQ:今回のイベントを通じて、「クウガ」の魅力を再発見する機会にもつながるのではないかと思います。
さすがに25年も経つと、時代に合わないところも多々あるとは思いますけど、それでも画面から伝わる熱気はあるはずなので、そこを感じてもらえると嬉しいです。僕自身としても、それまでとは違う作品を作ることができたという手応えは感じていて、「どうしてこの人たちは『クウガ』を作ったんだろう?」と今の若い人たちや子どもたちが「クウガ」から感じたことを次の世代につなげてもらえれば、これに勝る喜びはありません。僕らも「ウルトラマン」を作った金城哲夫さんや上原正三さんといった方々に影響を受けて今があるわけですからね。
Q:幼少期に特撮作品に夢中になり、マニアからやがて作り手に転じた荒川さんですが、次世代に向けてのメッセージはありますか?
「仮面ライダー」にせよ、「ウルトラマン」にせよ、右も左も分からない中、創世記の方々が夢中になって作った作品だからこそ、我々の心に届いたんです。「セブン」は、今でこそ名作と言われてますけど、予算的に厳しくて途中から怪獣や宇宙人が出ない回が増えてきたり(笑)、尻すぼみになっていく中、当時のスタッフは気概を持って作っていたわけですよね。そして、それを特撮評論家の池田憲章さんが「我々はすごいものを見せられていたんだ」と説き、それに触発されて僕らはこの世界に入ってきたんです。今の時代はシステムが確立されて、コンプラもあるのでとんでもない無茶は出来ないかもしれないけど、若い人もチャンスがあれば徹底的にこだわって、新たな世界を切り開いて行ってほしいですね。
ADVERTISEMENTそして製作サイドにも、たとえば一人でもそういうプロデューサーがいれば、面白いことができるはずなんですよ。僕なんかは今でもおかしなプロットを出して、プロデューサーから「ベテランなんだからこんなの通らないってこと分かりますよね?」ってよく怒られるんだけど(笑)、敢えて無茶を入れたりしているんです。ダメなら引っ込めればいいだけですから。そんな中、もしかしたら気まぐれでも「やってみますか」となるかもしれない。もう、その繰り返しですよね。「クウガ」で言えば、本当にそれの当たり年だった。今だって、可能性は決してゼロではないんです。いろいろと胸の奥底に溜め込んでもらって、逃さずチャンスを掴んで欲しいですね。以前、上原正三さんから「僕はウルトラマンも仮面ライダーも(スーパー)戦隊も宇宙刑事もやった。君たちの世代は、そのいずれでもない新しい作品を作ってくれなくちゃ」と言われていて、残念ながらそれは今だに果たせずにいるわけですが、僕は今でもそれらの作品のインパクトを引き継いで、何か新しいものを生み出したいと思ってますし、これからの皆さんにも大いに期待しています。
「超クウガ展」東京会場は7月6日(日)まで東京ドームシティ Gallery AaMo で開催中 ※休館日なし
「超クウガ展」展覧会&一条薫役・葛山信吾のコメントが到着!仮面ライダークウガ25周年記念「超クウガ展」 » 動画の詳細