なぜthe cabsは特別な存在になったのか――12年ぶりの“再生”を前に、当時の記憶を振り返る

“残響レコードの正統”が今の時代に響く理由

2025年7月31日 20:00 33

2025年1月9日、the cabsが再結成を発表し、8月よりワンマンツアー「the cabs tour 2025 “再生の風景”」を開催することがアナウンスされた。the cabsは首藤義勝(B, Vo / 千也茶丸)、高橋國光(G, Vo / österreich)、中村一太(Dr)が2006年に結成したスリーピースバンド。2013年1月に1stフルアルバム「再生の風景」をリリース後、同年2月に解散を発表しているので、12年ぶりの再始動となる。

この発表には彼らをリアルタイムで追いかけていたファンはもちろん、当時を知らない若いリスナーからも大きなリアクションがあり、ツアーの開催を発表したバンドのX公式アカウントのポストはインプレッション数が158万を突破。最初に発表されたワンマンツアーの東名阪3公演はすぐにソールドアウトを記録し、その後追加された全国5公演もすぐに完売となった。さらにツアーファイナルとして11月5日の東京・豊洲PITでのライブも発表されたが、すでにこの公演のチケットも売り切れている。

2025年の日本のバンドシーンにおいて大きなトピックとなっているthe cabsだが、今回の再結成でその名前を知ったという人も少なくはないだろう。彼らは当時から大成功を収めていたわけではなく、「再生の風景」リリース後に予定されていたものの中止となってしまったツアーのファイナルは下北沢SHELTERであり、キャパシティ3000人の豊洲PITを埋められるようなバンドではなかった。ではそもそもthe cabsとはどんなバンドで、なぜ現在の彼らがここまで注目されているのか。彼らと同じレーベルでバンド活動をしていたこともある筆者が、当時の記憶を思い起こしながらまとめてみたい。

文 / 金子厚武

2000年代バンドシーンの「次」を担う存在

小・中学校の同級生だった高橋、首藤と、高校で首藤と出会った中村の3人がthe cabsを結成したのは2006年。その手前、2000年代前半の日本のバンドシーンには大きく2つの潮流があった。1つは下北沢を拠点に活動していたバンドたちが次々にメジャーへと進出した「下北沢ギターロック」の流れで、BUMP OF CHICKENASIAN KUNG-FU GENERATIONsyrup16gART-SCHOOLストレイテナーなどが代表格。シーン的にはNirvana、My Bloody Valentine、Radioheadといった1990年代の洋楽からの影響を感じさせたが、その一方で、よりインディー寄りのハードコアをルーツとするbloodthirsty butcherseastern youth、あるいはNUMBER GIRLらが先駆けとなってエモやポストロックの流れが生まれ、いち早く海外へと進出したMONOenvy、国内ではtoethe band apartといったバンドが頭角を現していた。

この2つの潮流の両方を受け継いだのが、2004年に設立された残響レコード。代表がメンバーでもあるte’をはじめ、インストバンドが数多く所属していたこともあり、このレーベルは日本のポストロック / インストのシーンの盛り上がりに大きく貢献した。さらに、2005年に残響レコードからの初作を発表した9mm Parabellum Bulletの人気が爆発し、彼らが2007年にメジャーデビューをすると、レーベルの中でも歌の要素が強いバンドが人気を集めるようになり、People In The Boxcinema staffらがメジャーへと進出。この頃には「残響系」という言葉がすっかり定着していた。ART-SCHOOLの結成25周年を記念して今年8月にリリースされるトリビュートアルバム「Dreams Never End」に、ASIAN KUNG-FU GENERATION、ストレイテナー、syrup16gらとともにcinema staffとPeople In The Boxが参加しているのは、まさに2000年代のバンドシーンの系譜を表していると言えるだろう。

そして、この流れの「次」を担う存在として大きく注目されていたのが、まさにthe cabsだった。2011年4月に残響レコードから発表された1stミニアルバム「一番はじめの出来事」は、変拍子を多用したマスロック的な展開を基調に、テクニカルで流麗なアルペジオを奏でるギター、手数多く歪んだ音像のドラム、躍動感を生むベースが絡み合い、焦燥を感じる高橋の絶叫と、内省的かつファンタジックな歌詞をポップに歌い上げる首藤のボーカルがスリリングに交錯する、インディーロックのクラシックと呼ぶにふさわしい傑作だ。

the cabs「僕たちに明日はない」

「誰かのために生きてみたい、でも僕たちに明日はない」と歌う「僕たちに明日はない」の残酷な現状認識とわずかな願いは、syrup16gやART-SCHOOLの世界観ともリンクしつつ、作詞を担当する高橋のパーソナリティが端的に表れているようにも感じられ、とても魅力的だ。同年12月に早くも2ndミニアルバム「回帰する呼吸」を発表したthe cabsは、その勢いのまま数多くのライブを行い、2012年の年末には「COUNTDOWN JAPAN」に初出演。「ネクストブレイク候補」としての空気が確実に高まっていた。

当時の資料に僕が書いていた「正統残響」という文言

当時の僕は、2006年にrejuvenated half-faceとして残響レコードから作品を発表していたメンバー(大学の後輩)と、2007年にAFRICAEMOというバンドを結成し、2010年の「残響sound tour」などでthe cabsと競演している。デビューの時期こそ近かったものの、年齢的には僕は彼らより10歳上なので、同世代のライバルという感覚は薄く、後輩のバンドを見守るような心持ちだったが、当時の彼らはすでに独自の世界観を確立していて、「すごいバンドが出てきたな」という印象を持っていた。

またこの頃から僕はバンドをやりながらライター業を始めていて、AFRICAEMOからは2010年末に脱退をするのだが、その後もライターとしてレーベルに関わり、the cabsの作品の資料作りをしていた。当時のthe cabsの資料を引っ張り出してみると、僕がそこで書いていたのは「正統残響」という文言。2009年デビューのハイスイノナサがミニマルミュージック寄りのアート性の高いバンドだったこと、2010年デビューのAFRICAEMOがラップを用い、エレクトロを意識したサウンドだったことを踏まえ、「People In The Boxやcinema staffの次はこのバンド!」ということを強く打ち出したかったのだと思う。

しかし、2013年1月に満を持して初のフルアルバム「再生の風景」をリリースするも、2月に高橋が失踪。のちに連絡は取れるようになったものの、バンド活動を継続することが困難となり、2月27日に解散を発表する。デビューから解散までは2年に満たない期間であった。高橋は一時的に表舞台から姿を消し、首藤は2007年から並行していたKEYTALKの活動に専念、中村は2014年にplentyに加入し、2017年の解散以降はベルリンに活動の拠点を移していた。


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