Suchmos、5年半ぶりの復活ライブレポート「こんなに大事な人たちを待たせてた」 | カルチャーメディアNiEW(ニュー)
Suchmosの物語は、ずっと続いていた。
この日のライブを観ながら心に湧いてきたのは、そういった感覚だった。
2015年に1st EP『Essence』でデビューした、Suchmos。2021年2月、活動休止を発表。この日のライブは、2020年1月以来、5年半ぶり。バンドで音を合わせること自体、2020年3月より開催予定だった『Suchmos The Blow Your Mind TOUR 2020』が新型コロナウイルスの感染防止のために中止となり(Zeppなどのライブハウス規模で松任谷由実、Mr.Children、The Birthdayらと2マンを行う、伝説になること間違いなしのツアーだった)、2020年7月に行ったオンラインライブ以来、約5年ぶり。そのあいだには、Suchmosの結成や音楽の誕生に欠かせないメンバー・HSU(Ba)の逝去もあった。そこから再びバンドとして動き出すのは決して楽でも簡単でもなく、「再始動して当然」と信じられるような状況でもなかったことは十分に理解している。それでも、この日感じたのは、Suchmosの物語は2021年以降も止まらずにずっと続いていたのだ、ということだった。
Suchmos(サチモス)2021年2月に活動休止を発表する際、彼らは「俺たちSuchmosは、修行の時期を迎えるため、バンド活動を一時休止します」と、「修行」が理由であると世の中に伝えていた。
その期間中、TAIKING(Gt)はVaundy、藤井 風、RADWIMPSなどでギターをプレイし、ソロ名義で独自のポップスを表現するソングライティングとボーカルの技量を磨き上げてきた。2022年に行った初ツアーのときから、活動休止期間中に寂しさを感じているファンの想いや世の中からSuchmosに向けられる期待を、TAIKINGが引き受けようとしているように見えた。
TAIKING(Gt)TAIHEI(Pf)は、賽、N.S.DANCEMBLEといったバンドを始動し、STUTSやReiなどのサポートも行い、以前からやりたいと語っていた劇伴音楽も実現させた。わかりやすいところで言えば、ライブで披露された新曲“Eye to Eye”などは、TAIHEIが、現代の名トランペッターである佐瀬悠輔(賽)や寺久保伶矢(N.S.DANCEMBLE)とバンドをやる中で得た経験がアレンジに活かされているように思う。
TAIHEI(Pf)YONCE(Vo)は、表舞台に消極的だった期間を経て、5人組バンド・Hedigan’sで「音楽、バンドは楽しい」といったシンプルな想いを取り戻したと同時に、驚くくらいに歌の深みを獲得し続けている。
YONCE(Vo)Kaiki Ohara(DJ)、OK(Dr)の兄弟も、Suchmosとしては立てなくなったようなローカルな規模感などで、自分たちの音楽の美学と向き合っていた。たとえばこの日演奏された新曲“Marry”は、OKやTAIKINGのコーラス力と、Hedigan’sで“再生”を生み出したあとのYONCEがあってこそ、描くことのできる1曲のように思う。
Kaiki Ohara(DJ) OK(Dr)バンドとは、ひとりの人生や思想が表現されるものではなく、メンバー全員分の人生や思想が絡まり合って、ひとつの生命体として存在するようなところがある。特にSuchmosは、そういったバンドの在り方を信じてきた人たちだ。
2025年6月21日の横浜アリーナで見たものは、YONCE、TAIKING、TAIHEI、OK、Kaiki Ohara、そしてHSUの人生や想いが絡まり合った「Suchmos」というひとつの生命体だった。それぞれの心の動きが、人生が、すべて今日の「Suchmos」として浮かび上がっているように見えた。活動休止期間中、それぞれが「Suchmosの自分である」というアイデンティティを脱ぎ捨てることはなかったのだとも思った。私が感じた「Suchmosの物語は、ずっと続いていた」という感覚は、そういったところから生じたものだった。