獲得率は5割に留まる…米頭脳流出1年、日本の研究者獲得施策の現在地|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社
米国研究者を獲得し世界レベルの研究・教育を目指す(名大が整備中のLYKEION研究棟での講義のイメージ=同大提供)
米トランプ政権に端を発する米国からの頭脳流出に各国が対応を始めて1年が経とうとしている。欧州では2025年5月、日本では同年6月に研究者獲得施策が始まった。米欧中などに比べて研究者の待遇が劣る日本は、給与が比較的安い若手研究者に狙いを絞った。だが獲得率は約5割に留まる。各国からのオファーと競り、円安に苦しんだ形だ。それでも優秀な研究者は獲得できた。トランプ旋風はまだまだ続く。中長期的に研究環境を立て直す必要がある。(編集委員・小寺貴之)
政策支援でホープ獲得
「最後は海外研究機関と競り合う形となった。カウンターオファーでうちを選んでもらえたのは政策支援のおかげだ」と名古屋大学の山中宏二副総長は振り返る。米国ローレンスバークレー国立研究所からミクニ・ヴィニシウス博士研究員を准教授待遇で引き抜いた。ミクニ准教授は素粒子物理学に基盤モデルを適用したホープだ。来日にあたり、経団連からインタビューを受けたという。
ミクニ准教授が着任した素粒子宇宙起源研究所(KMI)の別名は、「小林・益川インスティチュート」とノーベル賞受賞者の名を冠している。公募を出せば海外からも応募がある。今回は文部科学省の「グローバル卓越人材招へい研究大学強化事業」(EXPERT―J)を利用して待遇を向上させた。海外機関と競り合いにはなりつつも、ミクニ准教授を射止めた形だ。
2人目のユスフ・ヴァレンティーノ・カネティ准教授は豪州クイーンズランド大学から引き抜いた。名大の山内悠輔卓越教授が直接一本釣りした。2人は研究室を立ち上げて学生を指導する。
広島大学はEXPERT―Jで集めた海外研究者でチームを作る。米セントラルフロリダ大学からアヌープ・プラダン・サキヤ氏を研究室主宰者(PI)として迎え、インド工科大学カンプール校とタタ基礎研究所から招いた2人と先端材料のラボを立ち上げる。大学院生を加えて5人のチームになる。
欧と争奪戦、苦戦続く 好待遇用意できず
課題は獲得率だ。EXPERT-Jには米国などからの研究者獲得に33億円が措置され、11大学が約70人にオファーを出した。この内、今年の4月1日までに来日したのは34人。半分に留まっている。文科省担当官は「競り合いになる優秀な人材にオファーした結果」と説明する。その後18億円が追加され、総額51億円が措置された。3大学が追加され、10人程度にオファーすると見込まれる。EXPERT-J全体では14大学から約80人分のオファーが出され、40人強が来日すると見込まれる。
対してドイツはグローバルマインズ・イニシアティブというプログラムで166人を選抜した。フランスのエクス・マルセイユ大学は約60人を選抜。日本の14大学は仏1大学を下回る規模となる。
欧州連合(EU)全体では25―27年の3年間で8億7400万ユーロ(約1600億円)を投じ、100件以上の獲得プログラムが動いている。日本もEXPERT―Jを含めた研究者獲得プログラムは「J―RISEイニシアティブ」として政府全体で1000億円規模の関連政策を総動員することになっている。だが、ほぼ既存事業で構成され、内訳や成果は非公開だ。予算の捻出にも人材の獲得にも苦労している。
ある大学関係者は「3年は短い。最低でも5年。本来はテニュア(無期雇用)を提示しなければ、いい人材は採れない」と明かす。支援終了後は大学が負担するため、好待遇を用意できない大学もあった。結果として日本と親和性の高い日本人から着任が決まっていき、EXPERT―Jを通じて来日した34人中15人は日本人だった。中には2―3年の海外経験で元の研究室に戻る人材もおり、頭脳流出への対応よりも研究室の戦力強化になった側面がある。
また獲得した海外研究者の定着も課題だ。日本で競争的研究資金をとり、研究室を運営していく必要がある。日本で研究するよりも、日本で研究予算を獲得する方が難しいとも言われる。これは競争的資金やプロジェクトの企画立案の過程が必ずしも公開されていないためだ。日本人研究者であっても公募要領に書ききれない政策意図を読み解くところで差ができる。
そのためにプロジェクトディレクターなどと直接話して意図を探ることが有効となる。顔が見える関係だと当然有利になる。つまり言語の壁よりもコミュニケーションの壁が海外研究者の参入を阻んでいる。
海外資金獲得へ 「コミュニティー」形成
京都大学の鮎川慧上席URA(リサーチアドミニストレーター)は「組織的な分析支援と研究者コミュニティーが重要になる」と指摘する。政策の立案過程を研究者が追跡するのは現実的ではない。URAが分析して学内に共有し、海外研究者と戦略を練る。
京大は09年から若手育成の「白眉プロジェクト」を動かしてきた。26年度採用は19人中8人が海外出身と国際比率は最高となった。この海外研究者の厚みが財産になっている。鮎川上席URAは「URAだけではすべての領域を支えらない。専門領域と連携して海外研究者を支えていく」と説明する。
名大では学術研究・産学官連携推進本部が海外研究者コミュニティー「NODES」を運営している。月に一度、コーヒー片手に集まる場だ。日本での生活や習慣への気付きや悩みが持ち寄られる。こうしたコミュニティーのつながりを通して予算申請の締め切りなどの細かな情報が共有されると、業務上の注意喚起ではなく、心の通ったケアになる。
今後、日本人研究者の海外の研究資金獲得が政策課題になる。日本はEUの研究開発支援プログラム「ホライズン・ヨーロッパ」の準参加国になる。国際プロジェクトや研究計画の立案段階から参加し日本の不可欠性を作っていくことになる。
海外研究者はこうした活動の推進力になる。山中名大副総長は「複数の国の研究グループを作り、それぞれが予算を取ってプロジェクトを動かす。日本人研究者よりもチャンスは大きい」と説明する。そのため名大は若手の採用に注力する。名大でいい仕事ができれば、シニアとなって海外大学に引き抜かれても名大の研究者との連携が続くためだ。
宮﨑誠一広大理事は「国際ネットワーク作りには中長期の海外留学が極めて有効。ただ留学期間中の学内用務の代わりが必要で、その余力を生むための資金獲得と循環が大きな課題」と指摘する。米国の頭脳流出が突きつけたのは研究者待遇の格差だけでなく、不足する資金と低下した大学の体力だった。トランプ旋風は続くが、中長期的な視点での立て直しが求められる。