「生きていれば…」能登豪雨で最愛の娘失った父、旅先で思わぬ出合い
いつも近くにいると思っているけど、何かが足りない。ここに最愛の娘、翼音(はのん)がいてくれれば――。
喜三(きそ)鷹也さん(43)=石川県野々市(ののいち)市=は今も、心に埋めることのできない寂しさを抱えている。
Advertisement真っ白なままの寄せ書きページ
翼音さんは絵を描くのが得意で、中学では美術部の部長を務めていた。今年4月には県内の高校に進学する予定で、今ごろは高校生活を楽しんでいるはずだった。
この春、鷹也さんは翼音さんが通った中学校から卒業アルバムを受け取った。巻末にある真っ白なままの寄せ書き用のページが目に付いた。
「生きていれば、たぶん、同級生に書いてもらったんだろうな……」
アルバムには翼音さんの写真も載っている。だが、そのページは今も見ることはできない。
それでも、うれしいことがあった。
見覚えのあるぬいぐるみ
8月、親族で関西に旅行へ行った際、温泉街の土産物屋で、見覚えのあるネコのぬいぐるみを偶然見つけた。
翼音さんが「もち」と名付けたぬいぐるみと同じものだった。小学生のころから、寝る時も旅行に行く時も肌身離さず持っていた。
1年前のあの日、能登豪雨により当時、輪島市内にあった自宅近くの塚田川があふれた。自宅にいたとみられる翼音さんはその後、遺体で見つかった。
14歳だった。
「もち」も流され、家族で同じぬいぐるみを売っている店を探し回ったが、結局、見つけられずにいた。
「翼音が大事にしていたものを仏壇に供えたかった。売っているとは思わなかったので、うれしかった。本人が大事にしていたものだから、翼音も喜ぶと思う」
「翼音もきっと喜んでくれる」
鷹也さんの父、誠志(さとし)さん(64)は輪島塗職人だ。鷹也さんは今、両親が県内外で出店する輪島塗の出張朝市に立ち、仕事を手伝う。
翼音さんも中学2年生の時から誠志さんの店を手伝い、祖父が作った輪島塗の商品を売っていた。
「店に立てば、翼音もきっと喜んでくれるのではないか」。鷹也さんは最近、誠志さんに教わりながら、箸の漆塗りにも挑戦するようになった。
「いつまでも下を向いてはいられない。翼音から『何しとるん? 人生もったいないよ』って言われる気がするから」
野々市市の自宅の居間には、2代目「もち」とともに翼音さんの思い出の品が並べられている。鷹也さんが見つめる遺影の中の翼音さんは、優しい表情をしていた。
豪雨から1年となる21日は、自宅で静かに手を合わせるつもりだ。【岩本一希】