【ボクシング】佐々木尽、無敗王者に大の字5回KO負け 日本人初ウエルター級世界王座獲得ならず
<プロボクシング:WBO世界ウエルター級タイトルマッチ12回戦>◇19日◇東京・大田区総合体育館 【写真】ダウンを奪われる佐々木尽 WBO世界ウエルター級2位の佐々木尽(八王子中屋)が日本人初の世界同級王座獲得に失敗した。世界初挑戦で同級王者ブライアン・ノーマン(24=米国)に挑戦し5回46秒、強烈な左フックに顔面に浴びKO負け。ミニマム級からミドル級の13階級で唯一、日本人の世界王者がゼロだった難攻不落の激戦階級。これまで「日本人初のウエルター級世界王者になる男」「日本の歴史を変えるために生まれてきた男」を決めぜりふにしてきた佐々木は有言実行できなかった。 挑戦したノーマンはKO率72%の無敗王者だった。契約を結ぶ米プロモート大手トップランク社のボブ・アラムCEOから「(ノーマンは)この先、スーパースターになると思っている。攻撃的でパンチも強い」と評価される将来性豊かな若きスター候補。トレーナーの父ノーマン・シニア氏との二人三脚で人気ボクサーとして階段を駆け上がると期待された存在だっただけに、佐々木にとっては厚い「壁」だった。 欧米男性の平均体格とされる同級では有名かつ人気の名ボクサーが多く誕生してきた。シュガー・レイ・レナード、フロイド・メイウェザー(ともに米国)、マニー・パッキャオ(フィリピン)をはじめ、最近ではテレンス・クロフォード(米国)が4団体を統一した。日本勢は挑戦することも難しいとされ、国内で開催された同級の世界戦もわずか2回。今回は89年12月、WBA世界同級タイトル戦(マーク・ブリーランド-尾崎富士雄戦)以来、約36年ぶり。日本人の同級世界戦も09年10月、ウクライナで開催されたWBA世界同級タイトル戦(ビアチェスラフ・センチェンコ-佐々木基樹戦)以来、約16年ぶりだった。 ミニマム級からミドル級まで13階級で102人の世界王者(JBC公認)が誕生した日本で、ウエルター級は誕生していなかった。同級では佐々木が日本人5人目(6度目)という貴重な世界挑戦チャンス。佐々木は「日本で(世界戦を)やらせていただくのは一生に1回」と気合十分で、日本人未踏のベルトを奪う自信をみせていたが、若き王者ノーマンの前に屈した。 中学卒業まで柔道で都大会2位になるほど有段者だった佐々木は、並行して学んだボクシングで世界王者になると決意。高校は定時制に通って練習時間を確保して18年8月にプロデビュー。アジア2冠(東洋太平洋、WBOアジア・パシフィック)王者、そして世界2位まで到達していた。「人生のすべてを懸けて勝ちにいく」。何かを起こしそうな雰囲気を持っていた佐々木だったが、ウエルター級で日本ボクシング界に新たな歴史を刻む瞬間は「お預け」となった。 【ラウンドVTR】 1回 衝撃のスタート。開始40秒、王者ノーマンの左フックで佐々木がダウン。コーナー、ロープに追い詰められ、2分すぎには再び左フックで2度目のダウン。佐々木は残り1分で左ボディー、左フックの連打で反撃した。ニッカン採点はノーマンの10-8 2回 王者ノーマンが開始50秒に左フックなどで攻勢。1分半に佐々木はワンツー。その後も距離をつめて打ち合うも、有効打はノーマンが勝る。ニッカン採点はノーマン10-9 3回 1分すぎからノーマンが左右の連打など猛攻。佐々木はフラフラの状態も、大声をあげた。気合で懸命に左フックなどを出す。ノーマンは左右の強打を決めるが、佐々木は何とか耐えた。ニッカン採点はノーマン10-9 4回 開始から佐々木は前にでる。得意の左フックを狙うが、有効打は奪えない。ノーマンは冷静に交わしながら自分の距離に。佐々木は終盤接近戦に持ち込み、懸命にパンチを放った。手数は佐々木が上回った。ニッカン採点は佐々木10-9 5回 佐々木は積極的に前に出る。しかし、40秒、ノーマンは強烈な左フックを顔面にたたきこむ。佐々木は大の字に倒れる。そのまま動けなくなった。ノーマンが5回KO勝利 ◆佐々木尽(ささき・じん)2001年(平13)7月28日、東京・八王子市生まれ。小学5年から4年間は柔道を学び、都大会2位に。中学1年から並行してボクシングも開始。ボクシングの練習時間を確保するため、定時制の八王子拓真高に進み、18年8月にプロデビュー。20年12月、日本ユース・スーパーライト級王座獲得。21年10月、日本、WBOアジア・パシフィック同級王座決定戦で平岡アンディ(大橋)戦に敗れてプロ初黒星。ウエルター級に転向し、23年1月、WBOアジア・パシフィック王座を獲得。24年5月、東洋太平洋王座も奪取。身長174センチの右ボクサーファイター。血液型はAB。