空襲被害者は「我慢しなさい」 自民・維新が同意せず閉じた扉
その人の涙を見るのは、17年ぶりだった。
河合節子さん(87)。
2月から開かれた特別国会で、全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)が強く望んでいた空襲など民間人戦争被害者救済法案が審議未了廃案となった。それを受けて7月24日に東京都内でした記者会見の席だ。
法案提出は38年ぶりのことだった。
「長く待ち続けた日を、みんなで喜びました。でも扉は閉ざされてしまいました。81年前に命を落とした人たち、その後ずっと運動を続けてきた被害者の人たちに、どう報告すればいいのでしょうか」
民間人切り捨ての「戦争被害受忍論」
1952年に独立を回復した日本政府は元軍人・軍属と遺族らへの援護を進め、約60兆円を支給してきた。
その一方で、民間人には何の補償もしていない。「国が雇用していなかったから」というのが理由だ。
納得できない民間人被害者は60年代以降、国に補償を求めて司法に訴えた。だが、ことごとく敗訴した。
司法が編み出した理屈が「戦争被害受忍論」だ。すなわち「戦争では国民全体が何らかの被害にあった。だからみんなが我慢しなければならない」という論理だ。
被害の責任を負うべき国家が、被害者である国民に「我慢しなさい」と言っているようなものだ。
これに対して73~88年、立法による救済を目指した野党が「戦時災害援護法案」を14回、国会に提出したが、与党自民党が同意せず実現しなかった。
2000年代に入り、被害者たちの新たな動きがあった。07年、東京大空襲の被害者と遺族ら131人が国に補償を求める裁判を始めた。
河合さんは原告の一人。大空襲の時、自身は茨城県に疎開していて助かった。自宅にいた母親と弟2人は行方不明となり、父は瀕死(ひんし)の大やけどを負った。
自民党内と厚労省の抵抗根強く
しかし09年12月14日、東京地裁は原告敗訴を言い渡した。
「ひどいですよ。一言くらい謝ってくださいよ」
河合さんは、そう言って…
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